終戦の5日後に生まれて、27歳で絵本作家デビュー、現在80歳の五味太郎さんの創作意欲は衰えを知らない。その作品は、「子どもの本」の枠や国境を超え多くのファンを獲得してきた。約400冊の全著作に加え世界各国の翻訳版が並ぶ東京のギャラリーで、五味さんに絵本作りについて聞いた。
1973年の絵本作家デビューから2025年まで、半世紀余りにわたり五味さんが生み出した作品が一堂に会した「五味太郎 絵本出版年代記展 ON THE TABLE」展(東京・LURF GALLERYで2月15日まで開催)。全372タイトルに加え、海外30カ国以上で出版された翻訳版も並ぶ。人気作『みんなうんち』をはじめ、各国版のタイトル文字を眺めるだけで、国境を越えた五味ワールドの広がりを実感できる。
「自分の絵本の広がり方は、頭の中では分かっているつもりでも、具体的にはよく分からない。どういう風景なのか一度物理的に並べてみたかった」と五味さんは言う。「50年で(作風などに)何か変化があったか。いや、むしろ、ぼくってぶれないな、変わらないなと、つくづく思ったよ」

展示された絵本は、自由に手に取って読むことができる。(左)海外での翻訳出版は、1979年に米国で刊行された『はやくあいたいな』が最初。英語タイトルは『Coco Can’t Wait』だった。(右)『きんぎょがにげた』『みんなうんち』もさまざまな言語で刊行されている(撮影:花井智子)

(左)『仔牛の春』(Spring is Here)は1981年のボローニャ国際絵本原画展賞受賞作。(右)79歳で刊行した『ぼくはふね』。<どこからきたの?><どこへゆくの?>と問われながら進む小さな船に、50年の絵本作家人生のさまざまな気分を託した。繁体字、簡体字でも刊行 (撮影:花井智子)
「子どもの本」って何?
かつては工業デザインや広告制作の仕事をしていた。「ユーザー」「クライアント」を意識するのは窮屈だった。絵本作りの面白さを発見してからは、仕事をしている意識はないし、「子ども向け」を意識したこともない。
「そもそも、子どものための本って何だろう。子ども向けの本というと、どうしてもしつけとか、道徳観とか、秩序とか、大人の価値観を子どもに理解させようとする態度になっちゃう。ぼくの場合は、いつも、“こういう絵本を描いたけど、ぼくと趣味の合う人いるかな”と問い掛けるスタンス。それに対して、たくさんの子どもたちが反応してくれた。外国からもね」
「子どもって、大人に指導されて本を読むわけじゃなく、自分が読みたいから読む。 本とは“出会う”ものだから。“子どものため”とする切り口はわざとらしくなる。それなのに、子どもと本の中間に、いつも大人がいる。読み聞かせてあげるとか。それ、いらないよねって、最初から思っていた。それで、初期のころは編集者と結構バトルもした」
「今は、バトルもなくなって、つまらないぐらい。(自作を並べてみて)そういう歴史を感じるし、日本の絵本(の位置付け)は五味太郎以降変わったと自負も感じるよ」
『みんなうんち』はみんな大好き
1977年刊の『みんなうんち』のころから、幼い読者からたくさん手紙が届くようになった。
「子どもは、この食べ物が好き、おもちゃが好きとかと同じレベルでうんちが好きだと思う。ただ、大人があまりまともに取り上げるべきじゃないとする文化があった。それで、どこかのおじさんがうんちについて描いているのを見て、うれしかったんだろうね。“わたしも注目していました”とか、“ぼくのうんち日記”とか、そんな手紙がいっぱいきた」
もちろん、子どもの受けを狙った“作戦”などみじんもなかった。
「たまたま多摩動物園で園長先生に会う用事があった。忙しいから開園前の朝早く来てねと言われたので、朝6時ごろ、裏門から入って動物園の中を横切り、先生の研究室までぶらぶら歩いた。その時、朝日が当たって、湯気が出ている動物たちのうんちがきれいだなと思った。それでどんどん写真を撮った」
「帰り道で、うんちの本を描こうと思いついた。食べ物の本はあっても、体を通って外に出た“結果”について生き生きと描いたものはない。みんなは掃除した後のきれいな動物園しか見られない。たまたまぼくはラッキーだった。それで描き始めて、ちょっと面白い絵を描いたからと出版社に見せたら、“うんちですか!”と、あまり乗り気じゃなかった」
いざ刊行すると、子どもたちの反応は早かった。そんなある日、突然見知らぬ初老の外国人女性が訪ねてきた。フランス人編集者で、『みんなうんち』を翻訳したいと直接伝えにやってきたのだった。日本語は読めないが、絵を見てすっかり気に入ったらしい。五味さんは、「海外にもぼくと同じ趣味の人がいるんだ!」と初めて意識したという。仏語版は1989年に刊行。現時点で18言語に翻訳出版されている。

みんな仲良くならんでうんち。ユーモラスな絵がほほ笑みを誘う(撮影:ニッポンドットコム編集部)
翻訳刊行が進むにつれ、海外の子どもたちからも手紙が届くようになった。
「『みんなうんち』は少し特別かもしれないけれど、ぼくの絵本を読むと、どうもみんなしゃべりたくなるらしい」。自分が描いた絵や言葉遊びを送ってくる子どももいる。「ぼくの本を中心にみんなが遊んでいる」と五味さんは満足げだ。
世界で仲間が増えていく
今は、世界各国からメールが届く。「“I love your books. I want you” みたいな。よく見ると、送信元はアゼルバイジャンとか南アフリカとかの出版社だったりする。翻訳出版のオファーは著作権エージェントに仲介してもらう。オンラインインタビューの依頼もあるよ。ありがたいけど、少し面倒くさいね」
翻訳に関しては、「翻訳者のセンス」に任せている。「言葉も絵本の一部として融合しているシャープな短い文章を書きたい。翻訳者が、その文章をどんなセンスで理解して自分の言葉に置き換えるのか。翻訳には常につきまとう問題だけど、言葉を変えても、ぼくの本の本質はそうゆがまないという自負がある」
五味さんの絵本は「参加型」アートでもある。『らくがき絵本』(Part1 1990年、Part2 92年)は五味さんが途中まで描いた絵を読者が仕上げる描き込み式絵本だ。18言語で刊行され、五味さんは各地でワークショップを開催してきた。
「海外でワークショップをすると、子どもたちとすぐ仲良くなる。初めて会っても“やあ!”と声を掛け合う感じ。みんな自由にワイワイ楽しんでいる。言葉の違いに関係なく仲間が増えていくね」

各国で刊行された『らくがき絵本』をらせん状に積み重ねて展示。五味さんのこだわりが伝わる (撮影:花井智子)
若いころは一人ぶらぶら旅をしたが、今は海外のブックフェアやワークショップ関連の旅がほとんどだ。ヨーロッパ、ラテンアメリカのほぼ全ての国を訪れ、中国、アフリカにも行った。
外国に行くと、街の本屋をのぞき、自分の絵本を見つけることもある。「見覚えのある本だな。そうだ、ぼくの本だ!──そんな出会いは、やっぱりうれしいね」
本作りは「中毒」
戦後間もない生まれで、少年時代は外で遊ぶことが多かった。当時は東京にも田んぼや原っぱがあり、ベーゴマを回したり、缶蹴りをしたりして遊んだ。そして、穴掘りが好きだった。空き地だけでなく、庭や校庭でも掘ったという。
絵本作りを穴掘りに例えることもある。「ここで曲げよう、もっと深くしようとか、穴を掘るのが面白くて…。ぼく、いい穴を掘るよ」
「方法論があるわけじゃない。いつもどこかで、絵本になるテーマを収集している人生だと思う。面白いことはたくさんあるし、あるときの気分やイメージを絵的に、あるいは立体的に表現できそうだと感じる瞬間が、一番わくわくするね」
絵を描きたいというより、本を作りたい思いが強い。「本作りは仕事か遊びか分からない」と言う五味さんは、1冊終わると、すぐ次に取り組みたくなる。
「本の形態が好き。何を書いてもいいし、(仕掛け絵本など)穴を開けても切ってもいい。本作りをしているときが一番落ち着く。もしかしたら中毒かもしれない。本はさまざまなアイデアを落とし込めるプラットフォームのようなもので、可能性は限りないよ」
バナー写真:海外でも人気の『みんなうんち』を手にする五味太郎さん(2025年12月、東京・代官山のLURF GALLERYで/撮影:花井智子)




