

先週、第174回直木賞が発表された。嶋津輝『カフェーの帰り道』が受賞したが、もちろん他の候補作もそれぞれ異なる魅力に富んだ力作揃いなのは言うまでもない。
その中から私がお薦めしたいのは、大門剛明『神都の証人』だ。冤罪事件を巡る大河小説である。
昭和18年4月、8歳の波子は父に連れられて伊勢神宮のお祭りに出かけた。戦時下ではあるが伝統あるお祭りに町は沸き立ち、それを楽しむ父娘の様子も微笑ましい。
だがその後、波子の運命は一変する。父の谷口喜介がその日に起きた殺人事件の犯人として逮捕されてしまったのだ。もちろんアリバイを主張したが娘の波子以外にそれを裏付けるものはいない。さらに有力な目撃証言があると検察が主張し、死刑が確定。絶望して彷徨う波子が出会ったのは、津市の法律事務所で働く弁護士、吾妻太一だった。
物語は吾妻が関係者と協力して谷口の冤罪を晴らしていく過程が描かれる――と言えるほど簡単ではない。なんとここから彼らの戦いは80年続くのである。
戦時下に始まり終戦直後、復興後、高度経済成長期、昭和の終わり、そして現代。著者はそれぞれの時代の色を背景に、関係者の奮闘を描く。たとえば戦時中は弁護士が蔑視されていた。官憲の横暴でまっとうな捜査も弁護活動も行われない。終戦後に調べ直そうとしても、証拠は戦災で焼失している。法律事務所で働くのはろくに教育も受けていない戦災孤児だ。
時代が現代に近付けば生活そのものは安定する一方で、その時代ごとの価値観の変化や社会の問題がある。当然、関係者も代替わりする。それが本書の読みどころだ。最初に担当した吾妻弁護士が亡くなった後、意外な人物がそれを引き継ぐ。時代が変わったことで前は言えなかった証言が出てくる。一方で時が経つに連れて証言者も亡くなる。一度決まった有罪を覆すのが検察にとって汚点なのは今も昔も同じ。弁護側が新たな証拠を提示して再審請求を出し、それが却下されることの繰り返しだ。
令和に入り、波子は卒寿を超える。死刑囚だった父はとっくに死んでいる。それでも冤罪を晴らそうと頑張るのだ。ひとつの冤罪がどれだけ多くの人に波及し、どれだけ多くの悲劇を生むか、その事実が読者の胸を抉る。
時代も状況も変化する中、冤罪を晴らそうとする側の変わらない思いが際立つ。変わるものと変わらないものの対比こそ、この物語の軸と言って良い。時代や社会は大きく変わる。人の価値観も時代ごとに移り変わる。だが正義を信じ、貫く行為は変えてはいけない。登場人物たちの思いも時代ごとに揺れ動くが、その中で変えてはいけないものを見つけていく。
その象徴が舞台となった伊勢だ。伊勢神宮は不変の存在だが20年に一度の遷宮ではすべてを造り変える。何を変えて何を守るのかを本書は問いかけている。
証拠や真犯人を探すくだりはミステリーとしても一級品。世代交代しながらひとつの正義を求めるダイナミックな大河小説である。
(大門 剛明 著、講談社 刊、税込2585円)


書評家 大矢 博子 氏
選者:書評家 大矢 博子
同欄では諏訪康雄さん、濱口桂一郎さん、能町みね子さん、塚越健司さん、大矢博子さん、そして月替りのゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。