80年代の日本では流行りの音楽も流行りの服も、みんなと同じもの、最新のものがいいという時代だったように思う。それが私の周囲でも多様化してきたのは90年代で、「ああいい時代になったな」と思ったのを覚えている。PUFFYが力の抜けたヴィンテージファッションで世に衝撃を与え、小沢健二の『LIFE』が流行っていた頃だ。私は詳しくもないアシッド・ジャズなんかを聴きながら95年に放送局で働き始め、やがて99年に創刊されたばかりの『VOGUE NIPPON』にかぶれ、的外れに攻め過ぎた服装で通勤しては、職場で完全に浮いていた。当時の誌面は欧米の影響が強い印象だったが、ここ数年来はアジア人スターが何度も『VOGUE JAPAN』の表紙を飾り、K ー POPアイドルがブランドのアンバサダーに数多く就任している。
音楽もファッションも、時の流れから解放されて久しい。ストリーミングでいろんな時代の音楽と出会えるし、ファッションもSNSから多様な情報を得られる。00年代生まれの息子たちが、私の知らない昔の曲を先入観なく聴いている。新しさや知名度よりも好きかどうかが大事にされるのは健全なことだ。私は最近、ドーチーやチャペル・ローンをよく聴いている。ちあきなおみも聴く。ときおり夏川りみも熱唱する。一貫性はないが音楽に救われている。そして15年ぶりに着物を着るようになった。10年20年でも古びないのが和服のいいところだ。 人生を豊かにしてくれるのは最新の情報だけではない。幸せに賞味期限はないのだから。たった3分の音の高低の組み合わせで気分が晴れる魔法も、生地を縫い合わせて身に纏うだけで幸せになれる奇跡も、等しくみんなに開かれている夢なのだ。周囲と全然好みが違っても、昨日の自分と違っても、私たちは服を纏い、音楽を聴く。あとでちょっと気恥ずかしくなることも含めて、それは愛おしい、大切な生の記憶である。
Photos: Shinsuke Kojima (magazine) Text: Keiko Kojima Editor: Gen Arai