松平定信(写真:Alamy/アフロ)

 NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第30回「人まね歌麿」では、“人まね歌麿”と噂になり始めた喜多川歌磨を蔦重が本格的に売り出そうと、歌麿ならではの絵を描かせようとする。一方、江戸では、のちに「寛政の改革」を断行する松平定信が台頭し始めて……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

二度も田沼意次を刺し殺そうとした松平定信

 歴史ドラマは大筋の展開は分かっている分、「あの人物はいつどんなふうに活躍するのだろう」と先のストーリーをあれこれと想像するのも、楽しみ方の一つだ。

『べらぼう』では、出版プロデューサーの蔦屋重三郎を主人公に据えて、同時代に政策面で商工業を大きくバックアップした老中の田沼意次が準主役のような立ち位置になっている。となれば、2人に共通する敵役は、意次に代わって老中のトップにつき、出版規制を断行した松平定信ということになるだろう。

 今回の放送では、冒頭から松平定信が登場。定信の青年期を演じた寺田心からバトンタッチして井上祐貴が演じることになった。

 定信は、御三卿の一つである田安家の初代当主・徳川宗武の七男として生まれた。血筋の良さと聡明さから将軍に跡継ぎができなかった場合は、その座に就く可能性もあった。だが、白河藩へ養子に出されたことで、将軍の芽がなくなったばかりか、田安家は跡継ぎがいなくなるという事態にまで追い込まれることになる。

 ドラマでは「自分の養子入りは意次の仕業だ」と定信が恨みを募らせているが、実際にもそんな黒い感情を抱いてたようだ。

 定信は自伝『宇下人言(うげのひとこと)』で養母だった宝蓮院から、〈もと心に応ぜざる事なれども、執政邪路の計らいより、せんかたなくかくなりし〉と伝えられたと書いている。つまり「もともと養子話に応じることは本意ではなかったが、老中たちの謀により、やむなく養子に出すことになったのだ」と恨み言を書いている。

 のちに定信は将軍となった11代将軍の徳川家斉への意見書に「二度も田沼を刺し殺そうとした」「懐に剣をしのばせて狙っていたが、付け入る隙がなくて断念した」とも書いている。むしろドラマよりも過激な男だったことがわかる。

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