2025年8月2日

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鑑賞方法:映画館

もっと曲をたくさん聴きたかった…!
恥ずかしながらニーキャップというグループを知らず、なんとなく、で鑑賞を決めたがとても興味深く見た。映画が訴えているテーマのひとつでもある、感情を含めた生活の中で生きた言語としなければ、言葉は失われてしまう、という部分は分かりやすかったし、グループに影響された子供たちが遊びながらアイルランド語でラップをして、言葉が生活の中に再取り込みをされていく、というシーンは印象に残った。

ニーキャップの曲については、「なぜ人気となったのかはわからない、運かそれとも、」というモノローグがあったけれど、彼らの曲から、非常に強い社会不満、行き場のない閉塞感や未来への展望のなさ、肚の底にタールのようにこびりついた癒えない怒りを感じた。
踏みにじられたという思い、手に入る筈のものを理不尽に奪われたという思い、言語化も整理もないまま年数を経て、いつしかそれがその人のアイデンティティの一部になってしまうような、そんな堆積して変質した怒り。
彼らの曲がアイルランドで人気になったというのなら、聞いた人の心の底にあった思いを代弁した、代わりに怒りの一撃を(どこかに、誰かに)喰らわせたように感じたのかもしれない。
だから、彼らにとっては「自由への弾丸」。

あくまで自分が曲から感じた印象で、もっと他の彼らの曲を聞けば、他の印象・イメージを持つのかもしれないけれど。(あくまで個人の感想なので、解釈が見当違いでもご容赦ください)

こち

KNEECAP ニーキャップ

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