大乗仏教の古典である龍樹の『中論』を、現代フランス哲学の泰斗が精(せい)緻(ち)に読み解いていく。その中に、現代の私たちにも響く洞察があることを教えてくれる。「自分」と「他人」や「心」と「体」など、ふだん私たちが区別して捉えている事柄は、実はそんなにきれいに線引きできるものではない。

 二つの事柄は「同じ」とは言えないし、「違う」とも言い切れない。だが、つい白黒をつけたくなる。それが、かえって迷いを深めるブーメランとなる。逆に、そうした決めつけを手放すことができれば、もっと軽やかに生きられる。心も体も、動き出し、自然界もまた、絶えず揺れ動くものとして見えてくるだろう。

 すべてを関係性の中で、緩やかに、移ろいゆくものとして捉えていく態度。これこそが、『中論』の核心に流れる根本思想なのだ。

 ……こう書くと、やさしい本だと思われるかもしれないが、「四句分別」や「一異門破」、「不来不去」など、実際にはかなり手(て)強(ごわ)い論理形式が説かれている。けれども、その難解さの奥には、世界の見え方が根底から変わる入口がひそんでいる。(IAAB EDIT、3960円)

読売新聞

2025年6月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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