[べらぼう] 天明の蝦夷地調査と最上徳内について [大河ドラマ/解説]
※概要
田沼意次の命によって、天明5年(1785)から天明6年(1786)にかけて行われた、幕府初の正式な蝦夷地調査に「竿取り」として参加した、最上徳内の活躍についてお話ししています。
2025年、NHK大河ドラマ「べらぼう」解説動画です。
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こんばんは、きりです。 ラットです。こです。 歴史はエンターテイメント鹿島歴史チャンネルへようこそ。今日はね、ドラマには登場してないんですけど、映像開発のお話が出てきたので、以前もお話ししたも神内についてねじ込んでいこうと思っております。 [音楽] [笑い] あの、ドラマに登場しなくてもね、江戸時代の江戸の話をするならも神徳特内のことは知っとかなきゃねってことでね、今日は強引にお話するつもりでございますというかしております。ただね、神内と地の関わりを全部話すとね、もう相当長くなっちゃうので、ま、今回は天名 5年から6 年にかけての、ま、田沼つぐが行った爆府初の江地調査のも神徳特内との関係みたいな感じでお話したいと思います。 うん。 これはやっぱり知っといた方が色々と頭の中でこうなのね、あなのねと思いながら見れるっていうことですね。 そう、そう。絵の開発といえば、あ、こういうことがあったのねと思いながら見れるということなのではい。 ということでね、も神徳内は高暦4年成暦 1754 年に生まれましたのでスタジオより4 歳年下になりますね。ちょいおめって感じですね。 歌村さんと同年したのかな。 ただね、花の江戸でね、生まれた銃とは違って、も神内は出の国、ま、今の山形県の反応の農家に生まれました。半分農家で半分消化っていうのは特内のお家っていうのはね、タバコを作っていたらしいので、そのタバコを売り歩く業症もなりわにしてたからですね。 うん。 ま、なんですが子供の頃からも勉強が大好きで特にねとか算数がね好きだったと言われているので、もう本当理系の頭のいい子供だったみたいなんですね。 タバコを作って売っているっていうので、もう私の頭の中にはタバコって書いてるところの下でおばあちゃんがタバコを売ってるイメージが急に来てしまって全然エ戸の方に行かないんやけど、 そのタバコ屋さんは割と昭和だからあのどっちかっていうとあの晴天をつけの渋みたいな感じで背中にしっていろんなね村に売り歩くみたいそっちの方のイメージだと思うんですけどもとりあえずね暦 1780年江戸では10 が伊達建模様見立て放 っていうのね、出した年なんですけど、ま、この年も神特内のお父さんが亡くなりまして、特内が後をついだんですけど、彼はどうしても勉強したかったもんだからお父さんの 1周期が過ぎた。よく天名元念。 弟に家を譲って心江戸へと旅立ってきたわけなんですね。も神特内すでに 27歳になっておりました。 とはいえに出てもね、遊んで学べるほどのお金があるわけじゃないんで、知り合いのを頼って神田の魔町にあったタタバコ屋さんに住み込みで方向始めたんですね。つまりさんになったわけなんですよ。普通っちさんって言ったら 123 歳のね子供がやるものなので27 にもなったいい大人がね、いくら戸で勉強したいからって出になって働くっていうのはそう簡単なことじゃありません。でもも神徳内はもうそれくらい学びたいというね意思が強かったわけ。 その後元々ね、戸半でも学んだ武士だったのになぜか武士を辞めて旅屋になっていた藤八郎っていう人物に中国の古典のね重差電ってね、左電ってのがあるんですけどそういうのをね教えてもらったりあとお医者さんだった山田総春っていう人の家にこ住み込みでね働いてでそこで医学をかじったりなんだり色々ねろんな方面にとにかくね学のためにってやってたんですけどそのうちね島の小 で、数学を教えていた長井正っていう先生 に、ま、教えをこうことができたわけなん ですね。で、そこにはなんと同京の間安明 っていうね、人物も学びに来ていて、この 間安明がご国寺のお通り、今後高談者 なんかがあるね、あの辺でお塾の開いてい た本田俊明先生の弟子だったことからも 神徳内もこの本田先生の弟子にして もらえることになったわけなんです。 神とを結びつけるきっかけになったわけな。 今までの話の中できっかけが全然わからないのでどうしてそうなったのでしょうか? 実はね、この本田俊明っていうね先生がある意味むちゃむちゃ先進的で尖った人物でたぬ継ぐの映像開発なんかよにもずっと前に像を開発してロシアとバンバン攻撃して国を飛ばせるべきだって出張してた人なんですよ。 その上にもっとひどいのが漢字なんかしててアルファメットを導入しろとか日本の人もカブチャック半島にセトしろとかなりねぶっ飛んだ思想の持ち主だったんですよ。そんな先生の弟子になったもんだからも神徳内ももろ日本田先生の先進的な思想をね受け継いちゃったんでしょうね。江ぞ地北海道についても人方ならぬの興味を抱くようになっていったんですね。 問題の天名5年成暦1785 年田沼つぐがに調査を派遣するっていうことが決まったわけなんですが、この時ねまず推師相産の本田明が調査隊への随行を許されてるんです。 もうなんだって早くからね、F 開発すべきだとかって唱えてたような人だからもうこの計画聞くや大喜びで私も連れて行ってくださいって言って知り合いで幕府の調査隊にも選ばれていた青島って人がいたんですけどその人に頼み込んで頼み込んでその人のつてでようやく本田先生がず行を許されたわけなんですが出発直前になって急にねお腹痛いとかで病気になっちゃったもんだから私の代わりにこの弟子のものも神を参加させてやってくださいって言って風府にお願い してこれが許されたっていうわけだったんですよ。実はこれが弟子の中でもむっちゃ優秀ででも身は役省に過ぎない特内をエの調査に参加させてやろうっていう本田先生の策だったみたいなんです。 最初からね身分も低いも神内を追行させてやってくれって言われても許可されない可能性が高いんでだから本田先生まず自分が随行員になりたいって言ってなるわけですよね。 で、でもって他の人間に変更されないギリギリになってから病なんででしょうにとかって言って申し出たみたいなんですよ。だからまそれくらい本田先生が目をかけたくなるほども神得ないっていうのが優秀だったっていうねことになるかなと思ですよね。 あ、いい上司を持ち、いい部下を持ちって感じだよね。両方とそうなんですよ。 [音楽] [音楽] だからもう本当に神徳内存に行けたのはまずはこのね、本田先生のね、深いんな作があったからばかりがあったからってのがまずあるわけなんですね。こうして爆府最初の正式な調査隊の一員となったも神国内だったんですけど残念ながら府の正式な調査員ではなくて正規の調査員である青島俊蔵本田先生の知り合いのねその住者っていう形での参加だったんですよね。 でもそれでも5年の2月にも神徳内は江戸 を出発しまして3月に松前にね到着します 。江戸調査隊っていうのは松前からね、 この西から北上していって宗御み先目指し てそこからカラフトへ渡るっていうことを 目標とした西江戸調査隊っていうのと東 海岸通ってね千島船とかエトロフウルプト へね渡ることを目標とした東江隊の東西の 2手に分れてね調査することになってたん ですけども神徳内の方は東江戸調査隊と 配属されたわけなんですね。 上市の青島が東だったので別に神徳内が生きたいってわけではなくて、ま、そういう割振りで自動的にそうなったっていうだけなんですけどもね。 4月29 日正式な幕の調査員5 名のうちの山口鉄郎と青島孫、それから大石一ぺっていうね、 3 名に従う形でも神徳内も松前を出発しました。 で、その後釧、あけし、キリタップって いうのをね、東破して7月頃にね、 ようやく眠室まで到着したんですけど、 この頃になるともう誰もがね、ヘロヘロで ね、もうそれ以上先進みたくないっていう 、もうここまででいいじゃんって、本当は その、その先進む予定だったんだけど、 もういいじゃんみたいな感じで、それまで の工程がね、むちゃくちゃ大変だった上に 7月ってことは現在の8月なんで、こんな 頃に千島レッドに渡ったらもうすぐ台風が 来て帰ってこられなく なるって可能性が高かったので、もうだから他の調査員とかもうこの辺でいいんじゃね的な雰囲気が蔓延してたわけなんですよね。 でもこのも神内とそれから戦式な調査員の中の大石一ぺだけはいやな何としても先へ進むんだって言って聞かなくてでそれで案内役のねアヌたちがいやいや時期が遅すぎるから怖いです。無理ですって言って怯えてるのにそのケツ叩いてちっちゃいアヌの川張りの小舟で北の海にね乗り出しちゃったわけなんですよね。 とか島にまで到着しましてで先を争うように島の北端の後ってところまで到着したんですね。 でもさすがにその先にあるエトロ布島まではもう海があれに荒れて渡ることができなくてしかも案内員のアヌたちもねここまではまあなんとかね無理やりでもそうやってきてんだけどもこれ以上進んだら絶対死ぬからやだって言ってもう泣くしめくし絶対やだとかっていうもんだからも神徳特内にしてもそれから大し一ぺにしてもまく泣く眠室まで戻ってまそこから松前に帰って冬起こしたっていうわけなんですね。 台風とかってあっちの方まで行かないイメージなんだけど、昔は結構あっちの方行ってた。 そうそう。あの辺のシ島レットあたりっていうのは夏場にあれるらしくて、こう来る台風っていうのじゃなくて、あの辺になんかね、やっぱりこの台風、恐風なんかみたいなのが走て、で、海の塩がまた荒いんで、そこに風が来るんで季節とかをしてるあいのがそういう悪天候になるからダめだっていうんでなかったっていうことなんですよね。 あと、ま、寒くなるんでね、もう余計にね、危ないってことらしいですけど。 うん。はて、今でも距離とか地形のになんか長い棒でこうやってこうなんかあるじゃないですか。あの竿を持って歩く役目っていうね。言ってしまえばもう下っぱ中の下っぱの役目だったんですよね。でも調査が進むうちにね、測料術にしろ、公開術にしろ、天文にしろ、計算にしろ、も神内が一の中の誰よりもできるわけなんですよ。 正規の調査隊のメンバーもね、感情配下団 で当時の一般的な物資よりは3のできる人 たちではあったんですけどなんせも特内は 江に必要なのは術だ、公開術だ、外国語だ とかって言ってた本田先生の弟子なんでね 。しかもその中でも相当優秀な弟子だった んでね。 ああ、そこらのブスなんかにもう何でもできて、ま、当然ではあったんですけど、捜査隊の人たちはそんなん知りませんから最初はね、ただの竿取り不勢がとかって下に見てたんですけど、色々歩いていくうち、進んでいくうちにサとが自分たちも行けなかった。知り島の北端まで行って、しかもその途中のね、測料にしろ何しろ全部自分たちよりも上なわけですよね。 測料性格だし深いし、おまけなんかアヌと 仲良くなってあぬばで覚えちゃうしてね、 優秀な人だったので、なんからみんなそれ にもう気づいたので、こいつすげえなって 、もう冬コスコにはなってたわけなんです よ。 なので、ま、翌年の天名6年、成暦 1786年の1 月にも神徳大が今度は1 人でチャレンジしたいんですって言い出した時もね、身分的には上の調査隊員もいやこいつはやるかもしれんと思っていいよってきなみたいな感じで黙って送り出すことになったわけなんですね。 で、もってこの2度目のチャレンジでも神 特内はとうと船島からエトロフまで渡る ことに成功しまして、で、しかもエトロフ にはね、なんかそこにね、漂流してたね、 ロシア人が3人住んでたんですけど、その ロシア人とも接触してるんですよね。 アイヌとロシアと日本人のも神特内って いう三国宴会っていうのが始まりまして、 むっちゃ楽しそうなんですね。 アヌの人たちはアイヌ語でなんか歌って踊るし、ロシア人はロシア人でロシア語でなんか歌って踊るしなんかも神徳特内も一応なんかね地元の孫歌を歌って踊るという日の三加国によるまい宴会ってのはおそらく日本初だったんじゃないかなと思うんですけどね。そういうの楽しくやったりもしたわけなんですね。 なんかその時代いいなって思うよね。今は思うとなんか素敵なことだよね。 実はね、その辺も神特内的には北法のね、そういう島は日本の領土だっていうことにしたいんで、ロシア人がそれを侵略してるって思ってるから、そのロシア人を、ま、うまいこと騙して連れて帰って、それで、ま、色々と国へ追い返すか、ま、ここは日本の領土なんだとかって思い知らせるっていうような、ま、役割も思いつつの、ま、ちょっとそういう下心ありの宴会ではあったんですけど、ロシア人の方もロシア人の方で日本と貿易したいとか色々、ま、下心悪いのっていうのではあったんだけれども、その場としてはう 楽しい宴会みたいな感じでで仲良くなっても神徳はそのロシア人 3 人を連れてしに戻ってったわけなんですね。 そうすると後から追ってきてた山口てぺと あの青島俊蔵がね来てたんでなのでその ロシア人たちを2人に引き渡しましてここ は日本の領土なんだから帰れとかって言っ てここは日本なんだってことを思い知らせ て説明してああげてくださいねみたいな 感じで言って後のことは頼みますって言っ て預けてで自分は再びちっちゃなアの船に 乗ってエトルフ島に戻ってさらには ねあまく波を乗り越えて感じでウルプトの に上陸に成功してるわけなんですよ。 内はそこからさらにね、カ着会渡るつもりだったんですけど、さすがにもう季節がね、遅くなりすぎたのとあと食べ物ねなくなってきたので、ま、諦めて今度は江藤路道の東が通って戻ろうとしたんですけど、ところがそこで大嵐にあって、これくらいの季節になるとやっぱアヌが言った通りに嵐が来るわけなんです。もうね、もう船は揺れるわね。風は強いわ、もう転覆しそうになるわ。 [音楽] で、もうだめか、もう死ぬかって何度もね、ここで終わるんじゃないかって命を諦めかけたんですけども、なんとか九に一生を得て船しまで、ま、命からがから戻ってこれたわけなんですね。で、ここで、ま、山口と青島っていうね、 2 人と再度合流しまして8月21 日に松島へと戻ったわけなんです。 も神特内としてはね、ま、まだまだ調査は 続くだろうとね、思ってたんですけれども 、というか、ま、この時上司の青島も山口 もね、みんなそういう風に思ってたと思う んですけど、なんとこの年の8月25日に 江戸で将軍の家春がなくなってしまって、 8月27日には田沼が失しというね、 大事件が起こってしまったもんで、江戸地 の調査は中止てことになってしまったん です。神特内は上司の青島と共には一旦 江戸に戻ったんですけどでも彼はどうして も江戸調査が諦めきれなくて再び今度は もう個人的に単心松前へと戻ってくわけな んですね。 その時はさ、もう府の調査費とかそんな何もないんで、今度はね、頭丸めましてね、お坊さんになって松の法当寺ってお寺に弟子して、お寺で働きながらこの江戸調査の機会を伺ってたんですけど、なことを当然松前ハにバレちゃいまして、もう強制追放されてしまうわけなんですね。 なぜなぜそこまでみたいな やっぱりだから映像調査しないといけないって指命感があるから本田先生のねを受けてるからこんな中途半端に終わっちゃいけない映像をちゃんとね調査してそして日本の領土だってロシアにも分からせてやらなきゃいけないんだって使命感に燃えてるわけですよね。 なのでもう幕府が言われなくても俺はやる ぜみたいになってたんだけれどもでも松前 班にしたらね実は松前班ってさ両地が来た すぎるってコメが取れないので松前班の 家臣っていうのはアヌとの攻撃によって さらにはロシアとかねそこから先のロシア とか深国とかの二重貿易みたいな形で利益 を得てそれを給料代わりにしてた人たちな んですよね。 なんですけど、この松前半たちのアイヌとの攻撃っていうのがむちゃくちゃアイヌに不利な、ほぼ手と言っていような形をしてたわけなんですよ。む徳したね、松前派の実態っていうのを見て知ってたのでで、批判もしてたんですよ。 ひどすぎるみたいなことね。愛のもっと ちゃんとしてあげろみたいなこと言ってた ので。で、なので松前は幕府の調査隊の時 は一応協力してたけどだけども、ま、 こいついつ幕府に告げ口するか分からんぞ と思って結構ね、危険視してマークしてた んですよね。それが言うたら幕府のお 声がかりならともかく単心で個人で江をね 、調査したいですとかてうろうろされたら もうそんなの絶対許せんってなっちゃうの も当然で、ま、だからこそね追ちゃった わけなんですよね。なんですけども、も神 特内そんなことで諦めるような人では ございません。6つの国っていうか、今の 青森県の先道でね、紳士っていうのがいる んですよ。その人と知り合いになって、 そいつに何とか協力してくれって言って船 出して出してもらって、また単心映像を 渡ろうとするんですけど、でもそれも失敗 してしまいます。そこでしょうがないんで 、青森のね、旦那州とかね、その土地の 旦那種とかに、ま、天文とかチ理とか三術 とか中国の古典とか、ま、彼知識が いっぱいありますから、そういうのを教え たりして暮らしてるうちになことから業を 営んでいた島やひ清ひ郎っていう人の妹の さんていうのと結婚することになっちゃっ たわけなんですよね。この時も神特内35 歳では19歳でございます。 若い方をお嫁さんにしたけれども、ま、それでその後はずっと青森で平和に暮らしたっていう風になりそうだけれども桐さんの顔がそうじゃなさそうな気もしないでもない。 そうですね。ま、筆さん的にはね、そうなってくれたら良かったんでしょうけれども、残念ながらの翌年ね、江戸で砕し目なしの戦いっていう、ま、大規模なアイヌの氾濫が起こっちゃうんですよ。 そこでも神徳内の人生は再び大きくね、江と向かうことになるわけなんですが、ただその辺も話し始めるとむっちゃ長くなるので、ま、この辺もまたね、機会がありましたら続きはお話ししようかなと思いますけども、ま、とりあえずも神徳内最初の江戸地域というのはこういうね、乱に満ちたものだったんですよっていうのをね、知っといていただけで、しかもその後彼は生涯、ま、色々あるんですけど、障害この江地の探検、江地の探索っていうのを諦めることなくね、ま、ローに入 れられたり、かつての上司の青島さんがご死したりとか色々ある中なんかついには爆に取り立てられ、そして何度も何度も映像に行ってアイヌとのそういうね交渉をしたりとかそして最終的にはなんか江地をね府の天量にしたりとかまそんなことまで色々やったりなんだりしてるんですけれども、ま、その辺はま、また次、次の機会ということにしてこの辺で終わりたいと思います。も神特内のことちょっとは分かったぞという方はチャンネル登録グッドボタンをよろしくお願いいたします。 今回は田沼つぐ以外の登場人物を誰1 人聞いたこともない名前だったので はい。誰1 人出てきてませんだ。誰どこの社会の歴史の教科書でももしかしたら出たかもしれないけど一切聞いたことがなかったんである意味だったしまとしてはすごく面白かったのでまたこの続きを聞きたいなとは思ってます。 それを思ってる方々もしかしたらXでまた 色々教えてくれるかもしれないのでそちら もチェックよろしくお願いします。特内 さんの熱苦しさとそれをとにかくねじ込ん でも話したいさんの熱苦しさダブルの 熱苦しさがああっちゃ気持ちいいわと思っ たそこの変態のあなた是非メンバーシップ へ是非メンバーシップへまメンバーシップ で話もぐらい長くなるんだけどね。はい。 ということでね、また次の動画でお目にかかりましょう。 でもね、このね、て名ごの江戸調査の時にこの西ルートの方ね、も神内以外のね、別のルートった人たちにまだこれも全然あんまり教科書でもね、ドラムでも出てこない。取り上げられることの少ない茨原っていうのと、あの斎藤原力郎っていうね、そうい人たちがいるんですけど、この人たちまずね、船で 4 日かけて宗に到着するんですよね。 で、それで佐藤原力郎は宗に残って原野郎の方がカラフトのね、白主ってところまで渡ってるんですよ。でもやっぱこっちもね、食料不足になったんで、ま、宗にね、戻れなくならなくなったんだけども、茨原にしたらこのまま宗夜やに残って頭したら来年になったらすぐまたカラフト太に渡れるから、だからちょっと宗やで頭したいですって言い出したわけなんですよ。 でも茨原やろの方はね、宗やの冬がどれくらい寒いか知らなかったんですよ。 なので、ま、あまりの寒さとそれからあの多分解決病じゃないかって言われてるビタミン結望症ですよね。これにかかってまなくなってしまうわけなんですよね。カラフトの調査については翌年多いし一ぺあのも神く内と俺が先じゃとかってやってたすごいあの調査隊のね割となんかキに盛かんなあの大石兵がその翌年やってきました。 去年はね、東だったけど、今度西の方に彼 が参加して、この人がね、カラフトの 1/3ぐらいなのかな、薬ないっていう なんか今の苦春内って呼ばれてるところ までジさんに行ってるわけなんですよね。 だからあの千島列島の方ではね、も神徳に 遅れを取ったんですけど、カラフト調査で はね、もうかなり先まで行った人ってこと でね、この人も知られていいかなとは思う んだけども、ま、だからこの岩原やろの市 っていうのも名誉のね、死だし、王子一の カラフトも、ま、すごい海峡だったんです けれども、だからも特内にしてもね、 すっごい海峡だったんですけれども、田沼 部が失う松が対当してきた時に 田沼政権でやったそういうなんかいい こと、すごいことは全部葬りさられちゃったわけなんですよ。なのでこう歴史の中にも消されちゃったんで名前にあんまり残ってないその知られてないってのがあるのでなのであの江戸時代そんな内臓開発の 1 回目のなんか消しちゃるでみたいな感じになっちゃったのがま、ちょっとね毒って言えば木の毒なんですよね。 あとね、西の方のね、投資はしなかったんだけど、宗山まで行った佐藤原六郎っていうのがこの人がね、江ぞっていう、ま、本を書いてるんですけど、それまではね、新井白石の江師っていうねのが日本人が江の知識を知るための唯一の書もバイブルみたいな本だったんですけど、でも実際に言った佐藤原六郎はこの江戸師をケちょんケちょんに避難してるんですよ。こんなもう嘘やみたいな。 なんかあの新井白石はアヌの人々に対する 認識っていうのになんか、ま、別の人 みたいなね、日本人がいて、愛の人がいて みたいな感じでこう全然違う民族だみたい なこと書いてたんだけど、これが全然違う 。 のことは結構なんか、ま、野番人みたいなことを書いてたらしいんですけど、でも佐藤原力郎は実際にアイヌと知り合ったもんだから、あの人達たっていうのは上下のね、すめっていうのもちゃんとしてるし、男女の滅もあるし、親子のこうなんていうね、こうこするっていう先生のそういう優しさみたいなのもえた、非常に優秀な人たちなんだって言って、新井白石が言ったあいつらや番じゃんみたいなことを言った愛人の民族感というか、その人種感みたいなのを違うんだっていうのを訴えた本を書いた人たちなんですよね。 で、しかもも神戸特内と一緒で、やっぱり 松前派のこのアヌ差別というか、あヌ作っ ていうのに対してなんとかしないといけな いっていうこうも神特内と一緒になって なんとか改善しようっていうのを頑張った 人などでも神特内もだしこの佐藤原郎って いうのもこの江戸のそういう政策の政策に 対してはました人ので覚えておいて くださってもいいかなとは思ったりもする わけなんですよね。ああ教科書とかには 乗ってないんですね。うん。おまけなのに 熱く苦しい。うん。 そう、色々知ってほしい人がいっぱいいるんでな。長くなるのよ。長くなるのよ。映像の話は長くなるのよ。北海道開発。 おまけやったら3 人でわちゃわちゃわちゃってなんかどうでもいいこと喋んのに今回はおまけやけどずっと続き はい。まだまだ喋りたいことはあるんですが、ま、だいぶ長くなったのでそこはこたい たぬとか失客してなかったらなんかあそこら辺が変わってたかもしれないよね、今。 そう、そう、そう。 ま、ただね、頼む継ぐ失客した後に松田サ田の時はずっと停滞してたんだけど、その後にもう 1 回はちゃんとしなきゃいけないってなって爆府の天量にするとかまでやるんですよね。だから途中色々頑張った時また松ハがね、いやいや俺たちの領土返せみたいな感じで運動してとかっていうね 2点3点するってのがあるんですよね。 これが結構爆末まで続く色々こう2点3 点するこの江戸とアイヌっていうので面白いって言うと失礼なんだけど非常にねあんまり知られてないけどもなかなかいろんなことがドラマチックに起こったあれなのでま中のスタジオの時代とは全然かけなくなるんであれなんですけどもえまなので表でやれるかどうかはまちょっとドラムの加減でどうなんだろうってのあるんですけどもしメンバーシップでできたらまた続きやりたいなと思います。よろしくお願いします。 [笑い] 熱く語れるのではい、 よろしくお付き合いください。 [音楽] [拍手] [音楽]
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41 Comments
最上さんを詳しく!
ラットちゃんに同感です。
登場人物、誰一人知らないけど きりゅうさんの語りが滑らかで、とっっても楽しかったです😊
続き聞きたい❤
凄まじい最上さんのガッツに大笑いしてたらまさかの続く……!!!
きりゅうさん!!絶対に絶対に続きお願いします!!!!!
ロシア人が貿易したかったのか掠奪したかったかわからんよな。
ロシアはパワーが全てだから。
蝦夷地の歴史ってこんなにドラマティックで面白いんですねー!!!
良い話、ありがとうございます❤❤
メンシプでさらに暑苦しく語っていただきたいです😂❤
元北海道民としては蝦夷と聞くだけで嬉しくなります😊
ぜひ次回続きをお聞きしたいです〜。
松前藩によるアイヌ圧政って昔の映画とかでは酷い悪者として描かれてるのがいくつもありますね。
同じように沖縄や南西諸島で先住民を圧迫して搾取してたのに薩摩藩は善玉扱いで。
薩長土肥中心の支配体制の明治維新に由来した価値観なんでしょう。
当時はすでに時代遅れだったオランダとの密貿易の薩摩藩。より先進的な工業力や国土の広さから来る産物の種類も多いロシアとの密貿易の松前藩。
幕末が近づく中ですでに海外貿易、権益の争奪戦が始まってるんですね。幕府も入れて三つ巴。実は他にも密貿易してた藩も多いから、めっちゃ複雑😅
その辺の海外利権の争いの部分がべらぼうでどう描かれるのだろうか?
実は先祖たどると薩摩藩の島津家(どの島津かは分からず)にも繋がるらしくて、鹿児島は好きだけど薩摩藩は調べれば調べるほど酷いことしてて、、、凹んでます。
かしまし歴史チャンネルのファンは、みんな変態だったのね😂😂😂
…じゃあ、出演している、く〜さんとラットさんときりゅうさんは?
うーん😅、どうだろう、まあ🤣🤣🤣
寒いし未開の土地だし、大変な事も沢山あっただろうけど
人の情熱が暑かったから今があるんだと
暑苦しいきりゅうさんの様子からよくわかりました😅
見ておくとこの先のドラマも楽しめますね🍀*゜
今回もありがとうございます😊
以前松潤がNHKで蝦夷開発に関わった人物のドラマをやっていたと記憶していたので、その人かと思って調べてみたら違いました。
松浦武四郎だそうで(ドラマはちらっとしか観なかった)、きりゅうさんがおっしゃっていた「松平定信のその後」時代だったようです。
そう考えるとアイヌの方々の苦労は本当に長かったのだなと感じます。
続編楽しみにしてます!
蝦夷地といえばちょっと違うけど、樺太探検の間宮林蔵さんしか知らない私です😰😰😰
勉強になりました😁
蝦夷調査隊、戦後初の日本南極探検隊みたいですね。悲壮感凄すぎる😂蝦夷地こんな寒いところなのに話が物凄く暑苦しいの😆
蝦夷地開発の功績も定信に潰されて歴史の溝に葬られたんなら悲しすぎる。
くーさんとラットさんはきりゅうさんが話したくてウズウズしてるのを見抜いてますねw
北方探検は江戸後期の間宮林蔵や近藤重蔵のイメージが強いですね。田沼時代の蝦夷調査は詳しく知らなかったので解説をしていただいてありがたいです。
あと先進的で過激な!?思想を持った指導者といえば吉田松陰が思い浮かびます。
彼の教え子達がのちのち日本を動かしていきますからね。
間宮林蔵が出てきませんが、年代が違うのでしょうか?
そのあたりの地域、今でも普通に台風きますし、冬には爆弾低気圧的なやつも発生してますよ。
日本の天気予報は、日本から外れれば(という意味では北方領土も範囲のはずなのだが・・)話題にされませんけど、
冬にそのあたりの天気図見てみてください。台風並みに等圧線グリグリ(=暴風雨)な低気圧が居座ってます
「この辺の地域、冬大変やなぁ。。」と冬の天気図見るたびに思っています
松平定信時代に帰ってきた大黒屋光太夫が不憫です。田沼時代ならまた対応が違ってたんでしょうね。
ま、定信も、相応の理屈があってのことではありますけどね
名前だけは知っていた最上徳内、ここまでの話でも、他の人も含めて蝦夷探検は、そのうち大河ドラマになりそうな予感。まさにリアルゴールデンカムイ!早く続きが聴きたいです👍
最上徳内、知らなかったので、とても興味深かったです。凄い熱量で、更にそれだけの力量のある人で、もっとお話を聞きたかったです。きりゅうさんの解説を伺うとドラマにしても良いくらいの人物ですね。ありがとうございました🙏❣️
当時の北海道なんてどんだけ未開で過酷な地だったんだろうか‥
ウルップ島まで行くなんて凄まじい執念
大河ドラマの蝦夷地の話題について最上徳内の話をもってくるところがさすが川合さんです。蝦夷地調査に乗り出した幕府の命で蝦夷地調査を行った最上徳内について詳しい解説をいただきありがとうございます。
今でも北海道の気候は厳しい環境なのに、当時小さな船で国後島まで渡って調査したって本当に凄いですよねぇ。しかも単身調査までして自分の意志を貫こうとした使命感には驚きです。この後、寛政年間に伊能忠敬が調査することに繋がっていくんですかねぇ?
大河見て、きりゅうさんで予習復習が日課です😅大河見たら、かしまし見ないと落ち着きません😂
この頃は「天明の大飢饉」(1782年〜1788年)浅間山噴火(1783年)など世情が不安定になっていた時期!?。田沼意次もこの「蝦夷調査・開発隊」に期待するものが大きかったのでしょうか。😊
※最上徳内が、後の松浦武四郎(TVで松本潤が演じていた)や゙伊能忠敬(測量)の先駆者で有ることを、この動画で初めて知りました。感謝です。😃🙏
この方で大河ドラマ観たいです。
司馬遼太郎の代表作の一つ「菜の花の沖」で江戸期の蝦夷地に関心を持ちました
主人公の高田屋嘉兵衛や、徳内先生を始めとする在野の才あふれた商人や学者が大勢関わっていたんですよねえ
これからのべらぼうでの蝦夷描写も楽しみです
また最上徳内の続きを聞きたいです
熱いおまけも楽しいですね
最上徳内のお話、とてもわかり易くて面白かったです😊
苦労しながら勉強を続けて、情熱を持ち続けて、すごいことを成しとげた人!
本多利明先生の弟子への優しさ、期待も心を打ちました😊
たくさんの登場人物もいて、次のお話も楽しみです
教科書では学べない、最上徳内の解説ありがとうございます😊 今で言ったら、蝦夷は宇宙か深海への旅!と想像します😮 人以上神以下の何か… と思ってしまう😮
勉強になりました。それにしても昨日の今日でUPするとは、スタッフも熱い‼︎
教科書では1行にも満たない記憶だった最上徳内だったのでとても興味深く伺いました。もっとお爺さんな学者のイメージでした。
まだまだ序盤だったと思うので続きを楽しみにしています。全然、暑苦しくないです。
そして将軍崩御の数日後に田沼失脚と聞いてあまりの急展開に驚いています。
待ってました!最上徳内さま🎉本多利明先生のエピソードも、面白くて泣ける。
正式には数にも入っていなかった徳内が、だからこそ自由に動けたところも有り、この時代の身分の不自由さは、本当に不便極まりないですね。
蝦夷アイヌ史、めちゃくちゃ面白いです!オマケも凄く良かったです。ドラマ本編と関係ないけどもっと聞きたいです。
蝦夷の開拓史熱いですね〜!大河いけるじゃないですか〜?
すごく面白かったです!最上徳内さんのこと、すごく気になります!北海道在住ですが、こちらでも聞いたことはありませんでした。
私は蠣崎波響のことが好きだったのですが、最上さんのこともファンになりそうです。かたや、松前藩の人でかたや松前を天領にしてしまった人、敵対する間柄ですね。
最上徳内さんこそ、大河ドラマの主役になりそうですね!
この続きも楽しみにしてますね!
凄い事を成し遂げたのに…幕府によって軽く扱われた方って沢山居たんでしょうね
そんな方々の功績を是非メンシプで熱く語って頂きたいっ
蝦夷地開発のお話面白かった😊
メンシプでの続き楽しみにしています♪
最上さんのこと初めて知りました。知りたいという欲求や、素直な人の使命感ってすごいですね。人をここまで突き進ませるんですねぇ😂
不便な時代に荒波に揉まれながら(物理的にも)努力した人の話ってジンとしますね。
ゴールデンカムイの大ファンなので、アイヌと松前の歴史非常に気になります♡
きりゅうさん、ラットちゃん、くーさん、かしまし歴史チャンネルの皆様、何時もありがとうございます。
今回も最上徳内とその人をめぐる沢山の方たちの活躍を教えてもらって、感謝します。
北海道をめぐる沢山の方の話はどうしてこうも熱いのでしょうか。
是非この続きをまたの機会にお話して下さい。🤗🤗🤗
この際、きりゅうさんも使命感に燃えてロシア大使館で押し掛け講演してはどやろ!
最上さんの先が聴きたすぎる!!!
最上徳内さんの生地、山形県村山市の出身72歳女です
郷土の偉人として小さい頃から『徳内』の名前には親しんできました
今日のきりゅうさんのお話のおかげで徳内さんの働きはすごかったと更に感銘を受けました
機会があれば山形の村山市民に講演ぶちかましていただきたいところです
私、アルゼンチンに移住し8年目で帰国予定は今のところありませんが
かしましチャンネルで日本の文化を、大河を通して、深く味わっております
大感謝!