代打の神様です。プロ野球界の裏エピソードを動画にしています。
今回紹介するトレード劇は選手はおろか、球団のオーナーでさえ
水面下の動きを知らされていないほど極秘で進行したものです。
プロ野球に変革期が訪れていた93年のオフ、西武とダイエーの間で行われたトレードは規模に加えて両チームの看板選手が移籍したこともあり、
大きな話題を呼びました。
今回の動画では両チームのトレードに至る背景や、仕掛け人と言われる
根本陸男(ねもとりくお)の動きについても触れていきます
※敬称について
本来なら「さん」「氏」など敬称をつけるべきですが、
ナレーションが不自然になってしまうため
あえて”敬称略”とさせていただいております。
チャンネル登録よろしくお願いします。
https://www.youtube.com/channel/UCVQnQcXGx-wOpnAPIgCFmbw
#秋山幸二
#プロ野球
#代打の神様
11 Comments
1:25で「すべて両チームの主力ばかり」って言うといて14:55では「トレードの時は無名」って、主力なら無名ちゃうやろ。
確かに、ご指摘のコメントいささか矛盾しておりますね。でも、結果的に秋山氏の福岡行きは、パ全体の活性化と発展に、つながったのでは?
結果論やけど、キヨさんがポテンシャル活かせず落ちぶれたのはアキさんのトレードがあると思う。
キヨさんが天狗にならなくて済んだのはアキさんがいたからやけど、そのリスペクト相手がいなかったから、キヨさんは責任感と自由感を感じて奔放にしたのだと思う。
申し訳ないが西武時代だけならキヨさんはアキさんの足元にも及ばんよ。
ダイエーやソフトバンクにとっては良かったかも知らんけどね。
当時選手の全打席を記録をしていた黒江コーチは清原は無冠だったが得点圏では基本的にセンター返し、追い込まれたらバットを短く持って逆方向に進塁打を打つなど個人記録を犠牲にしてまでチームプレーに徹していたが、秋山は派手なプレーが多い反面淡白なプレーが目立っていたので首脳陣からの評価は秋山より清原の方が高かったと述べてました。
どちらも良い選手だけどチームへの貢献度という面では清原の方が高かったのかなと感じてる
秋山は清原が捕まった後も、キヨは番長と呼ばれていたけど繊細で優しい奴だったし、罪を償い終えたら球界に戻って来て欲しいというエールを送るほど仲が良かったので確執があったと誤解するようなサムネは辞めてほしい。来年西武ドームで秋山と清原はダブル解説をするみたいだし楽しみだなと思う
この秋山さんのトレード西武黄金時代の終わりの始まり。86年森さん就任同時に清原入団86年以降秋山退団まで86年~88年90年~93年森就任清原入団以来優勝を逸したのは89年のみそこにはAKは打つ方で不動の3番4番。西武黄金時代にAKあり西武ファンのわたしはショックだった。ダイエー初制覇に大貢献したが福岡ドームになり本塁打は減少、西武でやってれば500本あったかも?球団の顔が他球団へファンからしたらショックです。近年のFA、メジャーも❗️
伊原コーチは清原はOPSや出塁率が秋山より高く、同点、逆転、勝ち越しの場面での殊勲打は毎年清原が秋山の倍で勝負強かったといっていたから4番を任されていたのは、単純に適任だと思ったからなのでは?清原は派手な見た目とは違い玄人好みの選手という気がする
秋山さんがホークスに来てくれたお陰でホークスは常勝軍団になりました。後に監督としても結果を出して本当によかったです。
1995年に発刊された森さんの著書に書いてある事と内容が異なっている印象を受けます。森さんは
①左の強打者が欲しかった→ホークスの佐々木に匹敵する選手は秋山しかいなかった。
②秋山が離婚問題を抱えていたので新天地での巻き返しを願って。
③九州熊本出身の秋山が地元球団に加入する事は話題にもなるしメリットがある
④AK砲が続くことによるマンネリ防止の為・・と語っていました。
この「世紀の大トレード」は球界発展はもちろんの事、ホークスの躍進による福岡経済の発展にも繋がったと今でも考えています。
村田はもっと活躍すると思ってたんだけどね。
弱いダイエーでも黙々と投げる姿は好きだった。
良くぞ
ダイエー球団
西武球団が
主力選手を
放出する事に
なった超大型
トレード成立の
ニュースは
最近聞かないからね。
秋山氏は
後に強くなる
ホークスの
精神的柱に
なりましたからね
私がホークスの
大ファンに
なったのは
かなり後の話。
当時私は
他球団のファンでした。