▼参考文献
毛利輝元:西国の儀任せ置かるの由候 (ミネルヴァ日本評伝選)
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ #どうする家康
33 Comments
毛利元就、吉川元春、小早川隆景をみてると毛利輝元は無能としか思えない。
この布陣を見る時いつも思いますが、小早川と言わずとも毛利秀元(と吉川広家)が徳川本陣の後ろから突撃していればかなり勝算はありますよね・・・
関が原は盆地なので見晴らしもいいですが、山側になると木もあって戦況を読み違えたのでしょうか。
家康本軍と戦うことより、家康に従って東北・関東に出払って主力がいない西国大名の留守番部隊を相手に切り取り勝手を優先していた節があるので、
毛利輝元は、もっとこの戦乱は長引くと思っていたのだと思います。
西国大名を領国から切り離して、疲弊させて、秀頼の威光と本領の一部返還を餌に、東軍を切り崩していく戦略だったのかと思います。
逆に、家康からしてみれば、戦が長引けば徐々に東軍が切り崩されるだろうことが予想できたため、早期に決戦する機会を狙っていたのでしょう。
しかも、家康は小牧・長久手の戦いで全国を巻き込んだ戦の経験があったが、毛利輝元にはなかった。
輝元に反撃の機会を与えなかった交渉術などは、小牧・長久手の戦いでは戦は勝ったはずなのに、いつの間にか秀吉の政治力に敗北していた、経験が活きたのだと思います。
輝元に先見の明がない、という人もおりますが、九州でヒャッハーしてた如水の爺様を思うと、
状況が違うとは言え、また南北朝初期の頃のように、有力大名があっちこっちで寝返って泥沼化すると思っていた人も、多かったのではないでしょうか。
関ヶ原の布陣図この向きで見るの初めてだな
たしかにこう見ると南宮山の争いって結構影響及ぼすんだね
やっぱり暗君は暗君だね。
広い視野で説明していたどけて、分かりやすいですね。勉強になりました。
父親を早くに亡くし叔父2人に支えてもらっていたの忘れてたのか?
天下への野心があったか知らんが、西軍の総大将って言葉に
のせられ家康が西へ進軍してくると逃げ出すみっともなさ。
昔から言われている、おだてられての西軍総大将と変わらないような…
あくまで反三成VS反家康の方が納得出来る気がするんですが。だから西軍が秀頼を擁していても福島、黒田等は東軍につくわけで。
19:00 北の国からの吾郎さんが入ってるw
興味深いお話ありがとうございました。
個人的な感想ですが、
当時の家康と比べると役不足とはいえ、
西軍が勝つ可能性を模索すると、どうしても輝元が前線にいればとは思ってしまいます。
逆に家康の強さの一つが、重要な勝負の現場に必ずいる点であることと、
士気と時運次第で十分に可能性のある兵力差なため、
少なくとも総指揮官が遠方にいてよい種類の戦場ではなかったであろうなとは・・・
個人的には、戦国中期以降、輝元次第では歴史が変わったんじゃないだろうかという場面が多いのが、
輝元の魅力だと思っています。
毛利家(というより毛利連合?)は全国統一という意味での天下は目指さなかったと思う。元就公以来の家訓でもあるし。歴史Ifシナリオなら、中央政権と西国地方の二国体制か分権体制の可能性はあった。あと輝元は杉元宣の件があるからあまり好きになれない。
毛利てるもとさんって毛利元就さんのお孫さんだね、ゲーム戦国無双5で、キャラクターに、なってますよ🐯🐯🐯ちなみに毛利さんの、ライバル?尼子さんのとこいた、山中鹿之助さんも、もちろん知ってますし、戦国無双5でも、キャラクターに、なっているよ🐯🐯
今回も面白いかったです。関ヶ原の戦いについて、旧説、新説両方の動画(もしくは比較したもの)を出してください。お願いいたします。
毛利の祖である大江 広元が承久の乱でリスクをとりながら上手く立ち回ったけど、関ヶ原の戦いではそのようにはいかなかったのね
関東に住んでいると毛利氏というのは縁遠く感じるけど、実は神奈川県厚木市にある「毛利台」という地名が家名のルーツとなった毛利荘の名残り。
もともとは奈良時代から続く大江氏(大枝氏)で、文人や歌人を多く輩出する学者の家系だった。大江広元の代になって鎌倉幕府の政所別当となり、まずは相模国毛利荘を有して毛利を称し、つづいて安芸国吉田荘を有したのが安芸毛利氏のルーツ。なかなかの歴史ある名家と言える。
毛利秀元は「宰相殿の空弁当」の他に江戸城で鮭弁当を食べたエピソードもあるので、1人にふたつも弁当エピソードがある稀有な人ですねw
黒田如水って『にょすい』って読むんだっけ?
やっぱり輝元と家康では器が違い過ぎる。
毛利輝元は天地人の大河ドラマで演じられた中尾彬がイメージで合っててすごく合ってるイメージがありますね😮
見てた人は同じなはず⁉️
北野映画いいすね(*´ー`*)
首リアルな戦国時代が描かれてる感じで!
数百年越しの復讐は流石。毛利元就面白かったなあ。
ここ最近、関ヶ原の通説が色々と変わってきていますね。
0:27: 🎌 戦国時代の西軍総代モリ照本について解説。
4:03: 🗾 モリ家と秀吉の領土争いがギリギリの状態で行われ、四国の領地をモリ家に渡すことで妥協が成立した。
8:12: 📜 秀吉の遺言により、照本が有利になるような領地配分を独自に行おうとしていたが、石田光成や真田長森が接近し、照本を助けようとしている。
12:54: 🎭 照本は家康を倒すために大阪に来るように誘われ、通説とは異なり自発的に行動していた。
16:30: 🗡 家康は戦争を避けるために広井への元に調略を仕掛けられ、戦わない方がいいと言われた。
20:27: 🏰 照本は大阪城にこもって家康と戦うか、家康の言う通り大阪城から出るか迷っている。
24:09: 🗾 テルモのやり方は成功しなかったが、照元が本線に出入りすれば勝てた可能性もあった。
Tammy AIで要約できました!ご参考になれば幸いです。
最後のまとめの部分で、輝元に対する評価がとても公平な視点に立たれている印象を持ちました。大きな責任を抱えている中で、どこまでのリスクをとれるのかは現代でも難しい問題ですよね。
信長も秀吉も晩年は自分が出陣する事はまず無いし景勝も全部直江お任せだった(負けたが)から、輝元がいないのは別に普通という見解もある。
むしろ家康がおかしい。なんで大阪の陣にもいるんだ。グループ会長がなんで工事現場いるんすか
小早川秀秋はどの時点で東軍に付くつもりになったのか、➀伏見城攻め以前②伏見城攻め後~関ヶ原布陣前③関ヶ原布陣後④その他…と、
その決定について本家毛利家との関わり具合が気になりました。
そんなことが分かる資料など無いのでしょうから、小説の世界でしかスッキリしないことかもしれませんが。。。
途中で田中邦衛が見えたんだが…
秀頼を伴い輝元が、玉城に入城していれば。。、
無能扱いされないガチの無能
史実とは違うのは、毛利に2国ではなく、吉川広家に2国を与えた。広家が直談判して本家に譲った
堅実な立ち回りをした輝元はいい意味で凡将だね。決して愚将などではない
ともかく関ケ原一発で決めた家康が優秀過ぎ。
孫氏の兵法:5回勝つものは亡びる、一回勝つものは皇帝になる。
ダラダラ戦争するようなやつは結局身を滅ぼすということです。
この戦国解説シリーズ面白いですよね。
俗説とか通説に対しての考察にとても見どころを感じます👍