#朝鮮出兵 #歴史 #解説

※概要
秀吉の唐入りについては、さまざまな説があって確定していません。そうした説の中からいくつか面白そうなものをピックアップしてご紹介してみました。

2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。

【関連動画】
秀吉はなぜ将軍にならずに関白になったのか?

メンバーシップやってます。
https://www.youtube.com/channel/UCnX2QqRfB-nFmS6Hn3rfCLw/join

Twitterで配信情報とか配信前のネタをフライングでつぶやいてます。

▼エンディング曲
お祭り太鼓 (feat. マニーラ) / Stardom Sound
(P) & (C) Star Music Entertainment Inc.

▼使用効果音
「効果音ラボ」
https://soundeffect-lab.info/​​​
「DOVA-SYNDROME」
https://dova-s.jp/

▼使用画像
「Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/
Webニュース各サイト

▼使用動画
「MotionElements」
https://www.motionelements.com/ja/

※素材提供ありがとうございます!

▼お問い合わせ(☆を@に変えてください)
tonreki.ch☆gmail.com

40 Comments

  1. 日本とか中国とか国が明確になったのは近代の話で、江戸時代までは無かったと考えます。鄭成功はハーフであるという認識は無かったでしょう。かなり自由に行き来していて人も常に混ざっていた。江戸時代は徳川家の勢力範囲があり、大陸では明皇帝の勢力範囲があって、国境ではなく勢力範囲だけがあったのだと思います。庶民が勢力範囲を超えても何のことはないはず。信長や秀吉が勢力範囲を広げようというのは自然な考えかも。

  2. グッドボタン押すのいつも忘れてたよ。グッドボタンをぐっと押すよ。

  3. まぁ、秀吉が全国制覇した頃から、戦働き・槍働きの武辺者より、石田三成、本田正信が重用され始めたから、腕っ節に自信のある武者が放置出来なくて、外に職場を与えるか、傭兵になって各地に出張るしかないのが、自然な流れではありますね。
    今回の「どうする家康」では、足利義昭役の古田新太の飄々とした演技が良かった様に思います。
    それと、終盤に茶々の懐妊の知らせに、歓喜の笑い声をあげる秀吉演ずる、ムロツヨシさんが、「葵徳川三代」で家康を演じた津川雅彦氏に面影が重なって、ムロツヨシさん上手くなったな、と感じました。

  4. 色々ありますが、領土拡大、スペインのバカイエズス会が徴発しすぎでしょう!

  5. なかなか説としてはでてきませんが、スペインの存在はどうでしょうか?当時領土拡張していたスペインに対し防衛で地政学的に朝鮮半島や明を抑えておきたいと考えたのではと想像してます。

  6. 職場を与える説はありですね。目から鱗です。

    幕末の奇兵隊の末路を考えるとありですね😊
    タスクフォースのタスクがなくなったら、タスクを作るのはありですよね

  7. なんか無知を晒すようで恥ずかしいが、唐辛子って名前の印象から絶対に大陸から入ってきたものだと思ってたわ。ちと調べてみるかな

  8. 秀吉の朝鮮出兵の色々な詳しい解説が聞けて、とても勉強になりました。ありがとうございます♪そして、私が聞いた秀吉の出兵は、明国に行くために、朝鮮を通らねばならなかったのを、きりゅうさん言われる様に断られたようですね?で、秀吉はなぜ明国に行きたい理由は、ポルトガルなどが、日本人を奴隷として、大量に拉致したりして、ホルトガルの水兵から、日本の侵略しようとしていると聞いたから・・だと。特に日本の女性が、裸にされて、奴隷の競りにかけられているのを秀吉が聞き、激怒し、明国に渡り、ポルトガルやスペインを制覇しようとしたため・・・と。

  9. 朝鮮半島を外国との認識が無かったんじゃ無いかとの説、新しい見方だとは思いますが、私は秀吉はちゃんと認識していたと思います。なぜなら、奈良時代からこっち、朝鮮半島に日本の権益が及んだ事か無いからです。では、何故攻めたのか?本気で明に勝てると思っていたんだと思います。それも日本流の、敵の本城を攻め落とせば、それで勝敗が決まると言う考えで。だから、兵站が伸び切ってしまった。また、攻め込まれる朝鮮の人たちの心根も日本国内の民衆と同じと考えていて、今で言うナショナリズムに近い考え方をする事に考えが至らなかった様に思います。

  10. 織豊時代は、南蛮との往来が盛んとなり、織田信長は宣教師から贈られた地球儀を持ち、かつ彼らの話す地球が球体であったり、日蝕のおこる原理まで理解していた人の家臣の秀吉がいくら阿呆だったとしても、人種や宗教や国家の違いを理解していなかったはずがない。NHKでも放送していたが、秀吉の本当の目的地はマニラやマラッカなどであり、理由はスペインやポルトガルの植民地の富の集約のハブとなっているからであり、アジアが蓄えていた富をヨーロッパへ持ち帰ることを阻止し、南蛮貿易を秀吉政権んが独占することであった。つまり、スペイン王の向こうを張って、日本が大航海時代の主役になることであったのだ!

  11. 薩摩も朝鮮半島も秀吉から見たら変わらない説。目からウロコです。まさに現代人の盲点ですね!

    そして、もし仮にいわゆる生まれながらに武将のような立場にあった人たちからすると、この薩摩と朝鮮半島には何がしかの明確な線引きがあったとして、、、

    一方元々農民出身の秀吉やその近習たちはその辺りの感覚が無く、元々の視点が比較狭いところから始まったが故に、逆説的に領地がどんどん広がるごとにそれに伴い国の範囲、概念もいわば無限に広がっていった、と考えると、

    例えば家康などでは小さい頃からそう言う知識もあり、明確に線引きがあった。すなわち九州を支配下に治めることと、朝鮮半島や明までその範囲に入れてしまう事は全然違う事、と言う暗黙の了解のようなものがあった、のかもしれないですね。

    この辺り決定的な証拠が無いにしても、そう言う様々な武将・大名達の認識の差、みたいな観点からこれまであった資料などの横並び比較などで浮かび上がったりしないのかな…もしくはそう言う研究はもうなされてるんだろうか…とか、とにかく凄く興味が湧きました!ありがとうございます!

  12. 伴天連に九州をあわや完全に支配されかけてたからか海外戦力に対する恐怖もあったのだと思う。
    実際に伴天連と繋がってた奴隷商に勝手に農民を売り払われてたり実害も出ていたし

  13. なるほどなるほど😳 当時は外国、自国の感覚なんてそんな物だったのかも知れませんね。何だか誰かに話したくなる説ですね🤣
    めっきり寒くなってきたしたので皆様身体に気をつけて下さい🙆‍♀️

  14. きりゅうさ〜ん!
    城下町総選挙、見てますか〜?!
    城下町の歴史についても色々聞いてみたいです😊

  15. 今日も面白い話でした。私としては、信長が冗談交じりに言っていた明国政服の話を、信長を凌駕したい気持ちから、実現しやろうと考えたと思っております。

    唐辛子が日本から持ち込まれたのだとしたら、当時の日本人は、どんな唐辛子の食べ方をしていたのでしょうか?

  16. やっぱりどうしても信長の野望を引き継いだ説をとりたいです。信長は天皇を超える神(信長教)になろうとしたともいわれています。
    そして、いち農民だった秀吉が信長に気に入られ重臣となり信長の計画を聞く機会はあったと思います。
    少数意見かもしれませんがあの破天荒な信長が日本の天下布武だけで納得したとは思えません。とにかくきっかけは絶対信長から影響をうけたことだと思います。

  17. いろいろな説がありますが、秀吉くらい強い独裁的権力を持っているトップでなかったら、海外領土を獲得しようなんて考えなかったでしょうね。
    平安時代から明治維新までの日本は貿易はするけど海外との外交や戦争は避けることを基本的方針としていましたからね。
    遣唐使は平安時代前半ごろ廃止になったし、足利義満の遣明使は義満ならではの特殊な例だったし。
    江戸時代だけが鎖国だったわけではないですよね。

  18. 今日も楽しい解説ありがとうございます😁秀吉さんの朝鮮出兵、何で行ったか本当によくわからないです🤔🤔
    瓜売りのシーン真田丸でもやっていて面白かったけど昌幸パパが今回いなかったのが残念😅

  19. いつも楽しみに観てます。ありがとう😄 
    歴女ではないけど訳あって細川ガラシャの小説書いてます。珍しく気になったのが、「慶長の役」の期間です。太閤秀吉が没したのが1598年で、朝鮮半島上陸再開したのは、たしか1595年だったと思います。記憶違いでなければ、テロップの期間が間違いかもしれません。もいちどご確認くださいね♬ちなみに細川忠興は九番隊リーダーの1人で豊臣秀勝と「しんがり」でした。諸説あるので、知らんけど💦

  20. 1.李氏朝鮮は完全に明の属国ですよ、
    李成桂が洪武帝から受けた称号は朝鮮国知事代理、しかも高麗王では都合が悪かった為朝鮮と国名をいただいています。
    2.信長が信忠に家督を早くに渡した理由が、戦場を設けて家来の働き場所を大陸に求めた為だと思われます、無論秀吉も天下平定後の在り方は、
    危惧していたので、同様の唐入り政策なのではないでしょうか?歴史が語るように、その後の日本は東西に分かれて半分を家康が滅ぼす形で江戸時代を迎えます、その後も家光が散々老害を消し去って、長期政権を安定なものにします。信長も秀吉も天下平定の為に戦った仲間を徳川家ほど冷たくできなかったのではないですかね。
    3.信長も秀吉も南蛮人にはものすごく興味があり、おそらくインド東南アジアや明での植民地支配活動も知っていたと思います。
    恐らく、恐れではなく「なら自分たちもやれるんじゃね」と、思ったんだと私は思います。
    4.よく大陸侵攻なんて無謀と教えられますが、当時鉄砲の数で言えば日本は世界一。兵力でも明が3方面(三款)中だった為ほぼ互角。
    秀吉が死んでなければ、明を倒すのは清ではなく日ノ本軍だったかもしれませんね。

  21. 戦う場を与えるための朝鮮出兵と聞いて、ガンダムWが頭をよぎりました。
    古いアニメですが、大好きだったもので…。

  22. 明、朝鮮、日本、みんな漢字でだいたい通じたのでしょうか?そのころ。

  23. 朝鮮出兵でトウガラシが韓国に入ってきた時「敵の毒か?」と思われなかったのかな? 単品ではおいしくないですよね?(偏見かな?)

  24. そもそも「日本人」という概念が生まれたのは明治維新以後(国民国家成立後)だから、現代日本人が認識する「日本」と当時は異なる国家観・国際的視点だったのは必然でしょう☝🏼

    天下布武の「天下」も「畿内」の意味だったそうですし😉

  25. 最後の説はどうかな~?朝鮮出兵でやる気があったのは秀吉子飼いの加藤清正や福島正則くらいで、他の武将はいい迷惑だったと思いますよ。朝鮮で大活躍した島津でさえ出兵前はゴタゴタしてましたからね。上杉家の直江兼続なんか戦より兵火で焼失の恐れがある貴重な漢籍を集めるほうを優先?していましたからね。

  26. ある意味、現在の日本国はUSAの冊封的体制下において独立国家であると言えなくもない…
    と感じる事が多い昨今です😱

  27. 領土拡大説は、まさに当時ポルトガルやスペインが実際にやっていたから日本に来たわけなので、秀吉もそれを手本に考えたとしても不思議では無いと思います。

  28. 秀吉による朝鮮出兵、明国征服は当時、世界に領土を広げていたスペインに対抗するという説もありますよね。これは世界史と合わせて考えると、こういう見方もできますよね。さらにはバテレン追放令なんかもやってますし、ヨーロッパ勢力との対決を意識してるようにも思えますよね。
    結局確固たる資料がないので
    なんとも言えないですが…

    それと国家に対する考え方ですけど
    近代以降における国家と
    近代以前における国家は違いますからね。
    それもあるのかなとも思いました。

    それと朝鮮出兵で
    日本から朝鮮へと持ち込まれたのが唐辛子だとしたら、
    朝鮮から日本に来たのは、
    中国式の陶磁器をつくる
    技術ですよね。こういった
    東アジアの陶磁器が
    ヨーロッパにもたらされて、
    貴族の宮殿なんかに飾られていますよね。

  29. 加藤清正にトラ退治させて、
    トラの肉を送らせて精力剤として食べたけど、
    下痢しちゃったようですね。
    子作りには、役立たず。残念ーん。

  30. 日本から朝鮮半島に唐辛子が伝わってたなんて知りませんでした。
    唐から伝わった辛子…だから、朝鮮半島から伝わって来たのだと思い込んでました。

  31. 在位・在職中の後陽成天皇と豊臣秀次を大唐の天子と関白とし、日本の天皇には皇子を即位させて日本関白は豊臣秀保か宇喜多秀家にすると構想していたと伝わりますので、別の国だとは認識していたように思います。
    新恩給付のための領土拡張が目的だったという点には同意です。

  32. いつも楽しみに拝見してます。

    唐入りの動機ですが、今回解説されてた理由が全て複合的にからまってのことではないかと思いました。

    一番うなづけたのは、日本という国の捉え方の話です。
    国=nationという考え方は、意外と新しいものですよね。織豊時代、つまり16世紀頃はヨーロッパでも今と同じ感覚ではなかったはずです。
    そもそも、当時の人が「外国」という感覚を持っていたかどうかも微妙かな?と思います。ヨーロッパでいえば、その頃はフランスこそ今とさほど変わらないですが、英国はグレートブリテンではないですし、イタリアもドイツもまだ国ではなかったですからね。
    洋の東西を問わず、地理感覚や国家観は今とはだいぶ違っていたことは大きいと思います。

    あとは天下が治ったことで、武士たちの働き所がなくなったことや、そのための領地を拡大したいというのもあったと思います。

    それと、今のような正確な地理感覚がなかった時代ですから、明という国の広大さや遠さを今一つ理解しきれてなかったからこそ、無謀な遠征を断行できたのかもしれないと思います。

    歴史にifはないと言いますが、本能寺で信長が死ななかったら、秀長が長生きできたら、朝鮮出兵がなかったらどんな歴史になったんだろうなどと、つい考えてしまいます。

  33. 世界史でみると、日本は戦国時代に結構な武力を持った国になってたみたいですね!ポルトガルやスペインの脅威を感じたり、明から絹とかもっと手にいれたかったのかな!
     後、茶道が流行ってて、この時に秀吉の命令で朝鮮の陶工を連れてきて、って習ったなぁと😮思い出しました!
     お話しを聞いて、武闘派活躍の為とか色々な要素で出兵したのかなと思いました!

  34. キリスト教の布教後の国の末路みて、危険性を感じて実は連合してイスパニアとかと戦う算段を進めてたような気がする

  35. 昌幸パパの瓜売りを思い出す唐入りでした。

    どうする家康とは関係ないんですが、利家役宅麻伸さんが今回出演されてるのを観て、山田孝之さん、ムロさん、宅麻伸さんが揃うと「勇者ヨシヒコ」を思い出します笑

  36. 明なのに唐と呼ぶのを、うちの母がロシアをソ連と言ってしまうのを思い出しました😊ソ連が言いやすいからだとか。
    秀吉もまだまだ知らない部分がいっぱいありますね、興味深かったです。大阪は韓国人にとても人気ある観光地で大阪城にもよく韓国語で話してる観光客が多いのですが、複雑な思いがあるのでしょうね。

Write A Comment

Pin