ニコニコ動画から転載
https://www.nicovideo.jp/watch/sm455824

0:09 Tchaikovsky – Symphony No. 4 in F minor, Op. 36: IV. Finale. Allegro con fuoco
1:40 Brahms – Symphony No. 4 in E minor, Op. 98: IV. Allegro energico e passionato
2:36 3:17 Schubert – Symphony No. 7(No. 8) in B minor, D 759: I. Allegro moderato
3:38 Tchaikovsky – Symphony No. 5 in E minor, Op. 64: I. Andante – Allegro con anima
6:57 Shostakovich – Symphony No. 8 in C minor, Op. 65: V. Allegretto

28 Comments

  1. 楽曲のタイムスタンプです。
    0:09 チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調 作品36 第4楽章

    1:40  ブラームス 交響曲第4番 ホ短調 作品98 第4楽章

    2:36 3:17 シューベルト 交響曲第7番(第8番)ロ短調 D 759 第1楽章

    3:38 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調 作品64 第1楽章

    6:57 ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 ハ短調 作品65 第5楽章

    0:09 Tchaikovsky – Symphony No. 4 in F minor, Op. 36: IV. Finale. Allegro con fuoco

    1:40 Brahms – Symphony No. 4 in E minor, Op. 98: IV. Allegro energico e passionato

    2:36 3:17 Schubert – Symphony No. 7(No. 8) in B minor, D 759: I. Allegro moderato

    3:38 Tchaikovsky – Symphony No. 5 in E minor, Op. 64: I. Andante – Allegro con anima

    6:57 Shostakovich – Symphony No. 8 in C minor, Op. 65: V. Allegretto

  2. 素晴らしい動画、ありがとう。
    ショスタコとムラヴィンスキー。祖国ロシアと同胞を想う哀哭の響きか。
    美しいです。

  3. 的確なアドバイスをして、ほめる時はほめるってのは上に立つ人間として完璧な行動といってよい これができる人はそうそう居ない

  4. 突然オススメに出て来ました。クラシックには疎いですがどんなジャンルでも職人中の職人というのは見入ってしまいますね。

  5. 遅刻で懲戒かけるなんて案外普通かと思うけど、海外は時間にルーズなんだろうな

  6. ど素人的視点から見ると、カラヤンはほぼシャーマン状態、この人はまさに指揮者そのものとして振る舞っているように見える。

  7. ムラヴィンスキー、セル、トスカニーニ
    あと、メンゲルベルク、楽団に君臨した
    帝王のCDにはやはり、名盤が多い
    しかし、音楽を豊かに鳴らす、オケと
    共に音楽を創造していく、わがケンペ
    に原点回帰してしまうなあ、

  8. 指揮者を指導者と読み間違えて思ってた内容とは違ったけど良いものが見れました、ありがとうございました。

  9. マジで凄い指揮者はタクト持たずに手だけで伝えたい事を奏者に一発で伝えられると思ってる。
    客席側じゃ分からないけど、めちゃめちゃアイコンタクトも多いからね。

  10. 情感やその場のノリに任せない理知的で無駄のない指揮、盛り上がる場面でも音楽の進行が安定していて、これこそ正統なロシア音楽という感じがする

  11. たまたまホーム画面に出てきたこの動画。最恐っていうから怒鳴ってるのかと思って見てみたら全然違った。音符も記号も読めない、何も弾けない、さらに音痴な私ですが、音楽が変わっていくのがめちゃくちゃ分かりました。もちろん指揮者の言うように変えられる弾いてる人たちも凄いけどびっくりした。本当に1人1人の音と指が見えてるんだ!と思った。音感も語彙力もないけど。。

  12. ムラヴィンスキーはともかくテンポが速い。この曲はこんな速さでも形になるのかと驚かされる。しつこいほど重々しく、遅く音を聞かせようとするフルトヴェングラーの対極だ。
    フルトヴェングラーが神々しいのであれば、ムラヴィンスキーは超人的だ。

  13. わたしは、1973年の初来日時のチャイコフスキーの5番を聴いた。文化会館が壊れるかと思うほどの金管の響き、その美しい強音と、弱音の弦楽器の完璧なアンサンブル、度肝を抜かれた。すごい時代だった。今、同じロシアで、古代アテネからの使者のようなクルレンティスとムジカエテルナが新次元を拓いている。

  14. ムラヴィンスキーのレニングラードで唯一の難点としていただけないのは、どの演奏楽曲に於いても、あの屋台ラーメン/夜鳴き蕎麦?のまさにチャルメラ音そのもののソロオーボエだ(元々その派生自体は「シャルマイ⇒🇯🇵チャルメラ」ではあるが)。あの音が全てを台無しにしている。俗っぽいうらぶれ感が漂ってしまっている。実に硬質で鉄壁な弦のアンサンブル表情の中に、それにそぐわない間抜けた間延びのトーンのあのオーボエは何とかならなかったのだろうか?それがムラ様のショスタコーヴィチの初演を執り行ったプライドセンスに源流するのだったとしたら、それでも良い。しかし、オーケストラの質感・パーソナリティの基幹をまず1番にイメージさせるソロオーボエの集約的高密度ソノリティを有しなければならない音が、レニングラードでは平坦・間抜けっぽいチャルメラ音。1969年当時、西側からモスクワに乗り込んだカラヤン/BPhの様相に対し、相当の羨望と嫉妬が混濁したコメント表明をしていた事は記録に正しい。裏を返せば彼自身をはじめ、相当のカルチャーショックだったようだ。…聴衆の中、ソ連邦共産党の御偉方最前線の中にショスタコーヴィチと共に、例の列になった勲章を正装の胸に下げて、完全暗譜指揮ができない自分との内的モチベーションの差をまざまざと見せ付けられていた事は否めない。その後のパーティでカラヤンに対し面と向かって「あなたはレコードでの演奏をそのままずっとやってれば宜しいでしょう。」と上から目線で規定断明したという事実(相当、癪に障ったんでしょうなぁ😏。)。画竜点睛でないのはどちらだったか? どちらも限りなく統制バランスは取れているのだが、要はその実情は仕方がないが、当局の目を意識した井の中だけでの(自身は元々オペラ劇場でのパントマイマーや端役からの成り上がりだが、結局カラヤンに比べ、当のオペラの指揮には全く長けてない事などの裏返しだとも言える。結局カラヤンをマトモに相手にすれば、ムラヴィンスキー自身の我が身の貧弱な出自や指揮者コンクールの結果に賭け、ソ連共産党に当然の如く根回しし阿(おもね)てレニングラードのChefのポストを得た事に依るカモフラージュ背景(当然の成り行き)が自動的に白日の下に晒されかねない事の恐怖に慄いたのかもしれない。だからこその典型的な「攻撃は最大の防御」だったのだとも感じる。要は張りぼてプライドだと言うことも…。) 現にカラヤン/BPhがショスタコーヴィチの10番シンフォニーを演奏した直後、そのあまりの精緻凄絶見事なドラマツルギーに、同席したいつもムラヴィンスキーと二人三脚でやって来た関係の当の作曲者ショスタコーヴィチは、感動のあまり涙にむせんでステージに上がるやいなや、カラヤンの右隣で呆然と直立不動になってしまっている記録写真を今でも目にすることができるが、まさにその状況を垣間見ることができる。 ムラヴィンスキー/LPhの閉じた似非権威的脅しの引き締めルサンチマン・アンサンブルの成果のその実どうしようもない堕天使が降りて来ざるを得ない二律背反の分裂した「暗鬱さ」と、カラヤン/BPhの確信的な民主的自発能動的即興性加味の演奏美学・鮮度追求アンサンブル集団の目からウロコの「覚醒Force」との違いだったであろうと思う。仮にちょっとアンサンブルがズレたところで演奏の集中・音楽的核心を突いた流れの中で在れば、それも味わい深い範疇であり、だからこそのライブなのだというカラヤンの読み=レコーディングとライブ演奏との次元を最初から区別している、その頭脳明晰さ。しかしムラ様にはその意識が全く無い事の四角四面の拘りが彼をして権威的牙城となる〜つまり、少しのアンサンブルのズレが生じたところで彼が想うところの音楽性の大意に欠損がなければカラヤンはそれをも内包しスルーが出来たスタンスだが、ムラ様は絶対に1mmも(笑)許さないというその精神狭窄が明らかなのだ。そして当局にその姿勢を見せることで自分の権威的存在のプレゼンスにもなり、同時にレニングラードの楽員を守る側だというスタンス表明にもなる事で、自動的にだからこその楽員からの反論や意見は御法度、それは当然だと。=私は君らを食わせてやっている、というトップダウン構造にもなっている。それはそうだ、楽員たちにしてみれば、ムラヴィンスキー自体が当局そのものなんだから。彼についての批判は口が裂けても言うことなどできるわけがない(兎にも角にも当時西側陣営に対して誇れる我がソ連邦の国家指揮者なのだから。そして「権威」こそが、ムラヴィンスキーの音楽的標榜だった、と観ることができ得る。それはナチ時代のフルトヴェングラーの立ち位置と酷似している。)。悪く言えばレニングラードの楽員たちは、精神的マゾヒスティックな拘束状態での洗脳マインド・コントロールで牛耳られていた、と観る事ができ得る。また西側からお呼ばれし、そりゃ外地、ウィーン楽友協会、東京etcから招聘され物心両面で特別なおもてなし奉仕をされたら誰でも外面機嫌は良くなる。シブトクしたたかであった事は間違いないが。まぁ、人間ってそんなものだろう。 話は違うが、思い出しついでに、ドクター、カール・ベームは来日公演のオフの日に皇居を愛妻のテア夫人と訪ね、それを招聘元のNHKが密着ドキュメントでカメラが張り付いていたのだが、夫妻は皇居前広場の砂利道大通りのところのベンチに座りながら周囲の日本人の様子を観ていた時、ベームはテア夫人にこう述べた。「ねぇテア、あそこのご老人を見てご覧。日本人は私達の様にあんなに年取っていても、あの様に孫子供の世話をしなければならないのだ。かわいそうだね。私達の国とは違うね…。」と、半ば当時ベームが垣間見た一般市井の日本人のリタイアした御年配者に対しての違和感をつい口にした事が実に印象的だった。その映像は今でも鮮明に頭に残っている。

  15. もう何十年も前のことが今でもありありと思い出すことができます。チャイコフスキーの6番でしたが大地の唸るような演奏でした、その時ですらもう二度とこのような演奏は聞けないだろうと思っていましたが、そのとうりでした、ソ連の崩壊は音楽も崩壊させてしまいました。

  16. 冒頭の若き日の指揮姿が端麗で気品があふれている
    この演奏の指揮だけ見たいぐらい

  17. マエストロ・ムラゥィンスキーにはハバロフスクでお会いしました。マエストロ、最後の極東ツアーの際です。私達が来ていることを知ったマエストロはリハーサルの見学、演奏終了後に楽屋にお話しを伺うことを許可してくれました。15分のハズが1時間以上になりました。最後に私がマエストロに「ショスタコーヴィチの交響曲を演奏する際のアドバイスがあれば教え下さい」と云ったら、あのワシのような目でにらまれてしばし沈黙………。「気を悪くしないで欲しい。ショスタコーヴィチの音楽を知るためには、ソ連と云う社会体制下で10年、20年生活しないと不可能だ」と云いました。

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