山田洋次監督、武田鉄矢、野間省伸(講談社社長)/「山田洋次 名作映画DVDマガジン」創刊発表記者会見

山田洋次監督50周年記念企画第2弾「山田洋次 名作映画DVDマガジン」の創刊発表記者会見が1月7日に東京ステーションホテルで開かれ、山田監督と武田鉄矢、野間省伸(講談社社長)が登壇した。

野間社長は「(第1弾となった)『男はつらいよ 寅さんDVDマガジン』は多くの読者の支持をいただき、昨年11月をもって全50巻が完結しました。今回のシリーズは読者のさらなる期待に応えるべく、山田監督の『男はつらいよ』以外の作品のなかから26作品を厳選し、松竹の協力のもと世に送り出す大型企画です」と挨拶。

山田監督は「男はつらいよ 寅さんDVDマガジン」が予想を超える売れ行きだったことを喜ぶと、「寅さんシリーズが始まってから40年以上になりますが、上映時に映画館で見ていた方と、今DVDで見る方とでは、別のテイストで味わうのだろうと思います。どちらかと言えば、(あの当時の)はじける笑いというよりも、癒されるような感覚ではないか」とコメント。

さらに「いろいろな映画を作ってきたつもりだけど、振り返ってみれば常に“家族”の物語を作ってきた」と自身の監督作に関し感慨深げに語ると、「今回のDVDマガジンが、僕の作品を見たことのない若い人たちに見てもらえる機会につながればと心から願っております」と話した。

一方、「私の演技の歴史は『幸福の黄色いハンカチ』から始まりました」と切り出した武田は、「『幸福の黄色いハンカチ』はスタートラインの白線。この作品から走り始めて、いろいろな役をやりながら、ちょっとオーバーに言うと、1日たりとも『幸福の黄色いハンカチ』を忘れたことはありません。この映画を生み出す撮影のなかに、自分が学んだことのすべてがあるような気がします。この映画はスタートラインであると同時に、ゴールの白線でもあるような気がしてなりません」とコメント。

また、共演の桃井かおりとは、よくケンカをしたそうで「不思議なことに、桃井さんとケンカした次の日が、必ず映画のなかでケンカするシーンだった」と振り返り笑いを誘った。

山田監督との思い出については「下痢をするシーンがあって、今のタレントさんがいうところの“おいしい”ところだった。ここは受けると思って張り切っていたら、監督から『なぜ笑いながらやる? ここは君が泣きながらやると、お客さんが笑うところだ。いいかね武田君、喜劇ってのはね、泣きながら作るものだぜ』と言われた」と明かしていた。

「山田洋次 名作映画DVDマガジン」は1月8日に創刊となる。

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#山田洋次#武田鉄矢#幸福の黄色いハンカチ

28 Comments

  1. 『3年B組・金八先生』で倍賞美津子さんが金八先生の嫁になりました。そして劇中、乳癌で死去します。

  2. あの産婦人科医って役者?本物?役者だとしたらスゴいよ、すごく自然で本物みたい

  3. 黄色いハンカチのコミカルなシーン(下痢でうんこ漏れそうなシーン)で武田鉄矢が笑いながら演じていて、山田監督に滅茶苦茶怒られたそうですね。

  4. 喜劇は泣きながら作るって言われても、よく分からん。

  5. 日本の喜劇のメインストリートは『涙と笑い』なんだな。涙が付いていないと二流品みたいな、、『山田洋次』『松竹新喜劇』松竹は『涙と笑い』の専門店だったんだね日本人が大好きな。私が好きな喜劇は『ニッポン無責任時代』『幕末太陽傳』とか、、、

  6. 鉄矢さんが往時のエキストラの面々を見て涙する気持ち痛いほど良く分かります。何人たりとも等しく訪れる老いを目のあたりにして映像はいつまでも色鮮やかに残りますからねぇ・・・

  7. 武田さんが下痢で苦しんでトイレに行くシーンは健さんも素で笑ってると思う。

  8. 「黄色いハンカチ」は、テレビですが、観た事が在りました。
    武田 鉄也さんの、金八先生など見てたひとも、芸能界の、人達がみたりして、武田鉄矢さんと、お話したりした人は、なにか、大丈夫というか、考える切っ掛けに成るようなので、あまり、問題起こしたり、悩んだり、不祥事が無い気もします。山田 洋次監督の、作品と同じように、とても、哲学が在ったり、考えが在るので、出逢いも、縁で、運で、タイミングでは在りますが、一般のお客さんにも、芸能界のひと達にも、哲学や、学びの、切っ掛けを、これからも、続けてほしいです。応援して居ます。

    私こじんは、「よかったね。」という事で笑う事が、お笑いだとおもって居ます。

  9. 自分は今58です。

    若い頃は「男はつらいよ」に興味もなく良さも解らなかった。
    ここ10年ぐらいでよく見るようになった。映画の良さもあるのだが、自分の育ってきた昭和の風景が映りこんでいるのもその理由だ。

  10. 話が長いしこの人はいつも
    良い話してやろうって
    野心が強過ぎる
    あくまで監督が主役のイベント

  11. 武田鉄矢さんは私が小学生の頃に大ヒットした「母に捧げるバラード」の頃から好感度の強い方でした。ただ、私も成長するにつれ、その一見謙虚そうな物腰の中で発せられる言葉の端々に大変傲慢な一面もお持ちの方であると気付きました。例えば「プロゴルファー織部金次郎」の制作発表会のインタビューで主人公の織部金次郎を紹介する際、「かつてはトーナメントで活躍していた主人公が、大スランプのため”レッスンプロにまで身を落とし”」と発言されたのを聞いて、大変不快に感じたことがあります。また別の動画で「幸せの黄色いハンカチ」でのご自身の映画デビューについての高倉さんや桃井さんとの思い出の中で、高倉さんについてはもちろん「雲上人」であり、何かと気を遣ってくださっていたことに大変感謝しているとコメントされています。ただ、桃井さんのことを「桃井が」と呼び捨てにされていたのは大変不快に感じました。歳は2つ下ですし、お二人のその後の親密度については存じ上げませんが、彼女も77年当時は映画俳優としては武田さんとは比べものにならないほどのキャリアを積んでおられました。※「青春の蹉跌」での檀ふみさんとのコップの水の掛け合いのシーンは鳥肌が立ちました。自分が俳優として未熟であった、と仰られるのであれば高倉さんと同様、彼女の名前に敬称付けするぐらいのリスペクトがあってしかるべきと感じました。長文失礼いたしました。

  12. ちょっと映画を見てないと分からない感じでね。さらりと話すのが格好いいですよね。昔の役者さんはいいです。

  13. 涙、金八世代のじじいは、武田鉄矢さんの話だけで涙が出てくる。

  14. 吉永小百合さんに湯田川温泉♨の九兵衛旅館紹介したのは山田洋次監督らしい❤️

  15. 働いている人を見ると涙が出てくる 俺もそうだよ、自分も働いているのにね。

  16. 海援隊で有名になったフォーク歌手である当時の武田鉄矢。監督はその時の武田鉄矢だから抜擢したのですよ。その後の活躍など想像しなかったでしょう。
    当時は見るからに不器用で見栄えもイマイチだった。桃井さんとドライブで浮かれる若者の役は、朴訥で物静かで重いものを背負う高倉健さんとは対照的だったのです。

  17. 武田鉄矢さんは結構悪いことを言われることがあるけど僕はそんな部分も合わせてとても魅力ある人だとずっと思ってる

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