「銀河系で最も観た男」が、20年後に辿り着いた「熱源」

日本人すら、忘れかけていた激戦地。

それを再び、人々の記憶へと繋ぎ止めた映画がある。クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』だ。全編が外国語(日本語)で撮影された映画として史上初めてアカデミー賞作品賞にノミネートされた歴史的名作である。

今年、2006年の公開から20年を迎える。

僕にとって、この映画は特別だ。

硫黄島の歴史が風化していく。その残酷な事実に抗う志が折れそうになるとき、決まってこの作品を見返してきた。

回数は、もう数え切れない。かつてネット上で「銀河系で最も『硫黄島からの手紙』を観た男」を自称したこともある。この作品は、僕が硫黄島取材を続けるための、消えない「熱源」だった。

2006年。29歳だった僕は、上映が終わっても、席から立ち上がることができなかった。翌日も、憑かれたように映画館へ足を運んだ。

米軍の本土侵攻をわずかでも遅らせるための「防波堤」。あの島は、そう位置付けられていた。 全国からかき集められて玉砕を強いられた庶民たち。その悲劇とともに、僕を真に打ちのめした事実があった。

兵士たちは、二度死ぬ。

一度目は、激戦の中での肉体の死。

二度目は、戦後の日本人がたどった「忘却」という名の死だ。この国は、彼らの無念を暗い地底に閉じ込めたまま、記憶から消し去ろうとしていた。

あまりに悲しき、二度目の死。

その衝撃が、僕の人生を、根底から変えた。

以来、20年。政府派遣の遺骨収容団にボランティアとして加わるなどして、民間人の渡航が原則禁止された「玉砕の島」への上陸は4度を数えた。地下に眠る遺骨を、ただひたすらに追い続けてきた。

戦没者2万人。そのうち、1万人はいまだ現地に残されたままだ。土にまみれたその軌跡は、拙著『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(2023年、講談社)にすべて刻んだ。僕のジャーナリストとしての歩みは、常に、この映画の「熱源」と共にあった。

ずっと、会いたい人がいた。

「大久保中尉」役を演じた、在米の俳優・尾崎英二郎だ。

ハリウッド俳優・尾崎英二郎氏(撮影:飯本貴子)

スクリーンの中の彼は、単に役を演じているのではなかった。 硫黄島で散った兵士たちの「声なき声」を代弁する。その凄まじいまでの覚悟が、彼の全身から溢れ出していた。 俳優という枠を超えた、魂の震え。彼に会えば、わかるはずだ。 なぜあの映画が、時を経ても朽ちない傑作となったのか。僕は数年来、ハリウッドで活躍中の尾崎氏へのインタビューを、切望し続けてきた。

尾崎氏が、映画専門メディア以外の単独インタビューに応じるのは、今回が初めてだという。東京・音羽の講談社で行われた対話は、2時間に及んだ。

大久保中尉役として撮影初日を迎えた尾崎英二郎氏(本人提供)

そこで明かされたのは、熱狂的なファンですら知らない、撮影現場の真実だった。

81年前。1945年2月19日。硫黄島で激戦の火蓋が、切られた日。 この節目に合わせ、全3回のインタビュー連載を届ける。米国に戻った後の尾崎氏から託された、撮影現場の希少な未公開写真と共に。

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