「物語」の真髄

12 堀江敏幸『二月のつぎに七月が』講談社

半官半民の青物市場に隣接した「いちば食堂」を中心とした群像劇である。3人の視点人物が交替で登場する。その食堂には毎日同じ服装でやってきて同じものを食べる老人の常連がいる。小説のテクストというのは――時間は伸縮できても――要約され得ないものだ。「つまり」「要するに」とまとめられることを拒む。堀江敏幸9年ぶりの長編にして736ページのこの大作は、その最たるものだろう。明治における自然主義文学の輸入以来、日本語の小説は語り手がいないかのようにふるまう西洋風の3人称客観文体に向かって歩んできたが、本作の文体はそれに逆行しつつ、日本語小説の可能性を広げるものだと感じた。

13 朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』日本経済新聞出版

「推し活」という楽し気な略称の裏にも、巨額のお金を搾取する機構と遠大な思惑が交錯する巨大な闇の存在を疑いたくなってくる。ファンダム経済を舞台にした長編小説だ。本書では、カルトの信徒生活と推し活、信徒獲得とファン拡大のマーケティングは、文字通りパラレルの関係に置かれている。作者はあるくだりで、この二つのトピックを空白行や話題転換もなしに次々と並置させ、いかに性質が似通っているかを見事に示してみせるのだ。朝井の分析の精度に戦慄した。小説は「神なき時代の叙事詩」と呼ばれるが、本作以上にその言葉を体現した小説もない。現代人の必読書と言っていい。

14 柴崎友香『帰れない探偵』講談社

カフカ的ともオースター的とも言える驚くべき探偵小説連作集。主人公の探偵はある町にようやく構えた事務所に帰れなくなってしまい、依頼人たちを頼って転々としている。仕事は、古書探し、迷い猫探し、小学生の喧嘩の仲裁などなど。探偵が国外に探偵研修に出た後、この人の母国はなにか大きな災害にあい、短期間で政権と国のありかたが変わってしまったという。そんな馬鹿なと言うなかれ、中国出身のハ・ジン、ボスニア出身のアレクサンダル・ヘモン、多和田葉子『太陽諸島』三部作のHiruko、みんなそういう目にあった人びとだ。つまりこの探偵は母国と自分の事務所に帰れない二重のエグザイルらしいのだ。本作が画期的なのは、これらのことを「今から十年くらいあとの話」として語るモード。「十年前、あの街の空港から飛び立ったとき、帰れなくなるとは思いもしなかった」という文章が繰り返される。「今」いる地点から未来のことを過去形で書く手法の先駆者はメアリー・シェリーだが、それに次ぐ革新者が柴崎友香だ。

奇想と逸脱

15 ティム・オブライエン『虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ』村上春樹/訳 ハーパーコリンズ・ジャパン

暴走するロードトリップ。2019年8月、第1期トランプ政権下、カリフォルニア州北部の町に始まる。いまこの国を席巻しているのは「ミソメイニア(虚言症)」という伝染病だ。元敏腕ジャーナリストで現在郊外のスーパー店長にして根っからの噓つきであるボイドは、ある日しょぼい銀行強盗を決行する。トール・テイル(大ぼら話)であり、ケイパーストーリー(強盗や誘拐を犯罪者の側から描く)でもあり、ハンター・トンプソン『ラスベガスをやっつけろ』と『ハックルベリー・フィンの冒険』の亜種ハイブリッド風でもある。コミカルな展開の背景にアメリカ合衆国の構造が立ちあがってくる仕組みだ。失うもののない無敵の人はどこへ行く? 

16 マリアーナ・エンリケス『秘儀(上・下)』宮﨑真紀/訳 新潮文庫

アルゼンチンのスパニッシュホラーの旗手による傑作。信者二世の問題がクロースアップされるいま、そうした観点からも注目。主人公のフアンは異能の持ち主であり、闇の勢力〈教団(オルデン)〉に霊媒として長年利用されてきた。霊媒行為は過酷で、その代償として命を失おうとしている。死期の近い彼は息子のガスパルにも同様の能力があることに気づき、彼を〈教団〉の魔の手から守るための逃走劇が始まる。後半はアルゼンチンの独裁政権から1990年代までの歴史も呑みこみ壮大に展開する。阿部和重の『ピストルズ』などゴシックファンタジー風味が好みの読者にもおすすめ。

17 竹中優子『ダンス』新潮社

新世代の会社小説の秀作。かつての男性中心の「サラリーマン小説」から遠くに来たのを感じる。その中間地点には、絲山秋子『沖で待つ』、小山田浩子「工場」、村田沙耶香「殺人出産」や高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』などがあったろう。

語り手の「私」は入社二年目、まるで周りに馴染んでいないと感じている。先輩の下村さんが彼氏に振られたと聞き、妙な憂さ晴らしに付き合うことになるのだが……。よくある話といえばそうだ。しかし色々と変である。先輩の様子は語り手によって奇行めいて描写されている。とはいえ、いちばん何が変かって、それは語り手の眼差しだろう。タイトルの『ダンス』は泥酔した下村さんの奇妙な動きに由来するのだが、これを飄々と語る「私」は死の影をうっすらと感じている。作者の才能もここに輝いている。

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