曇り時々晴れ時々雨
「日記形式で」という今企画のオーダーを読んだ時、正直どうしようかと思った。私は仕事をしている時以外、人様にお話しできるような至極真っ当な人間らしい生活を送っていないからだ。しかし今日は運が良い、とある仕事で六本木に来た。日常生活では余程の用事が無い限りほとんど外に出ない生粋の引き篭もりである私の目に、この街はやはり煌々として映る。普段昼間に活動しないせいで目が光に対して著しく弱くなっているのかもしれない。
ていうか私の公式プロフィールに「特技:文豪」って書いたの誰だよ。母親だよ。正直あなた達のネームバリューよりプレッシャーが大きくなってるんだよ。やり辛いなあもう。
さておき今日は人生で二度目のラジオの収録日だった。私は朝から現場に向かう際、近所のコンビニでボトル缶のブラックコーヒーを買うというきまりがある。例に漏れず今日も缶コーヒー片手にソワソワ現場へと向かった。収録中、勿論映画『星と月は天の穴』の話をしたのだが、そこで話題に挙がったのが今作の役作りについてだった。既に映画をご覧になったパーソナリティの方が、1969年の女子大生を演じる私の声や所作がまるで当時の映像を見ているようだったと仰って下さった。どうやってあの声を作ったのかと聞かれたので、当時の映像を片っ端から見て研究したと話した。実に便利な時代だなあ。特に私が一番参考にしたのは、谷崎潤一郎原作の映画『卍』(1964)の若尾文子である。リアルを踏襲する事も当たり前に大切ではあるけれど、あくまで今作は純文学の原作が存在し、実際当時を生き抜いた生き証人荒井晴彦が撮る荒井映画としての当時の匂い,ムード,そして音を、瀬川紀子というキャラクターに私なりに落とし込んでみたかった。それと、私の仕事に対して放任主義の母が珍しく「お芝居は真似から入るんだよ。自分が魅力的だと思う人の欲しい部分を欲しい分だけ盗む。私もそうしてた」とアドバイスしてくれた。『卍』の若尾さんは劇中では関西弁なのだが、こりゃアタシだって入れ込むわぁ…というほど魅力的だったので、今の自分の力量で盗めるだけ盗んでみようと思った。何をどれだけ盗めたのかは定かではないけれど。
そういえばクランクイン前に観たきり観てないな、この日記を執筆するにあたり丁度良いじゃないの、帰ったら見返そう。と考えながら帰路に着いている時、まだ陽があったのだがもう飲みたくて仕方ない。
……飲んだ。現在時刻16:13。こういうDNAばかり受け継いでどうする。

お仕事してちょっとお酒飲んで帰宅して、良い気分でPCを開き『卍』を探す。が、悲報:自身が入会しているサブスクでの配信が終了していた。またもやどうしようかと思った。しかし奇跡的にAmaz◯nで残っていたポイントでレンタルするという方法を見付け事なきを得た。ふぅ…実に便利な時代だなあ。
再生してみて初っ端の「先生」という声を聞いて、アレ?と思った。もしかして私が紀子に落とし込んだ声は、若尾さんではなく岸田今日子さん演じる園子ではないか、と。恐らく私は園子の様に、若尾さん演じる婀娜婀娜あだあだしく小悪魔的な光子に魅せられて、自らというド素人のまっさらなキャンバスに光子の所作や振る舞いをデッサンし、デッサンした当人達はやはり園子である。というような、そんな気分になった。(あくまで気分、気分ですよ。私自身にはまだまだお二人のような実力は無いですからね)ただ単純に『卍』を参考にしてみた私が演じた紀子が、実際『星と月は天の穴』の現場の中で荒井さんのブランコに乗せられ、揺さぶられながら”そういう人”になっただけなのかもしれない。参考にするというのは突き詰めるとそういう事なのではないだろうか。
いやしかしなんと美しいこと…1カット1カットつい止めてじいっと見つめてしまう。画角、色彩、台詞回し、所作、カメラの前に生きる女優達、全てにおいて惚れ惚れする。「あんまりやわ、あんまりや。うち、あんまり綺麗なもん見たりしたら感激して涙出てくるねん」今現在時刻22:47の私もそのまんまこれである。言わずもがな私は美しい女性達が好きなのだ。こんなのあんまりや。
母の言う「魅力的だと思う人の欲しい部分を欲しい分だけ盗む」というのは、改めて考えるとサラリと言っている割にはとても高度な事であると思う。なにもこれだけではない。客観的に考えたらあまりにも高度な事を当たり前のように「ま、頑張んなー♪」と言ってのけて後はお前次第だと現場に放り投げる人が身近にいる事が私のような未熟者にとってどれだけ有難い事か。
人生全て芸の肥やし、私にはまだまだ耕す必要のある広大な敷地があるのだなと実感した一日だった。別の意味で肥えてる場合ではないのだけれど。嗚呼、堪忍して頂戴。こんなつまらない事書いて。

