掲載日
2025年12月9日
ジュゼッペ・トルナトーレとニコラ・ピオヴァーニという2人のオスカー受賞者が監督と音楽を手がけたドキュメンタリー映画『Brunello, il visionario garbato』のワールドプレミアが、12月4日、ローマのチネチッタという魔法のような舞台で開催されました。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督がブルネロ・クチネリを描いた映画のポスター
ドキュメンタリーとフィクションを交錯させた本作は、ウンブリアの起業家である彼の人生を、田園で過ごした幼少期から、人間主義的資本主義の象徴へと生まれ変わったソロメオの村に至るまで、場所と鍵となる瞬間とともに辿っていきます。証言やアーカイブ映像、個人的な記憶が、ささやかな出自から出発し、何よりも誠実さ、尊厳、社会正義という信念を揺るがせにすることなく、世界的な名声を博す企業と自らの名を築き上げた一人の男の姿を映し出します。

「子どもの頃、私たちは人里離れた農家に住んでいました。隣には叔父やいとこ、祖父母も暮らしていて、総勢13人、皆が小作人でした。家には水も電気も暖房もなく、トイレさえありません。農作業は過酷でした。それでも皆懸命に働き、夕方どれほど疲れていても、夕食の席では笑顔と語らいが絶えませんでした。私たち子どもは、何もないところから遊びを工夫し、素朴な暮らしの中で大いに楽しんでいました。私は自然や動物に囲まれて過ごすのが大好きで、夜には、今でもそうですが、何時間でも星を見上げていられました」と、感慨深げに振り返るブルネロ・クチネリ。

子供時代のブルネロを演じるフランチェスコ・カンネヴァッレ
「父は幼い頃から、正確さと美しさの大切さも教えてくれました。牛を曳いて畑を耕すのを手伝っていると、父はこう言いました。『畝はまっすぐでなくてはならない、ブルネロ』。『どうして、父さん?』と尋ねる私に、『まっすぐな畝は美しいからだ』と。あの頃の暮らしは貧しくはあっても、幸福で、健やかで、秩序正しく、強い兄弟愛と自然のリズムとの調和に満ちていました。そしてもちろん、信仰は欠かせないものでした」。

本作は、12月9日から11日にかけてイタリアの映画館で公開。物語はさらに、1960年代にフェッロ・ディ・カヴァッロ(PG)へと転居し、そこでブルネロの父が家族により良い生活をと願って、工場の作業員として固定給の職を得たことへと続きます。街への移住は一種の“ショック”でした。快適さは増した一方で、ブルネロは静けさを恋しがり、テレビは家族の会話をかき消してしまい、学校の仲間からは“田舎者”と冷やかされます。さらにある晩、両親の会話から、父が「工場で獣のように、奴隷のように扱われ、屈辱を受けている」ために不幸なのだと知ったことは、主人公にとって決定的な瞬間でした。ブルネロは自分に言い聞かせます。「自分が人生で何をするのかは分からない。だが人間の尊厳のために働き、生きてみたい」。この誓いは、起業家となった彼が確かに守り抜いてきました。真実と正義への渇望、善く生き、善をなしたいという願いは、彼の行いにおいて具体的な実践となり、自身の生を描く映画の構想を後押しする原動力にもなったのです。

ニコラ・ピオヴァーニ、ブルネロ・クチネリ、ジュゼッペ・トルナトーレ
「主人公が亡くなってから撮られたドキュメンタリーをたくさん観てきましたが、当人が墓の中で身悶えしているに違いない、と思うものもありました。私は、人々に私の行いの証言を残し、事実を“生きている私自身の声”で語りたかったのです。私の人生の映画が『ニュー・シネマ・パラダイス』であることを思えば、ジュゼッペ・トルナトーレ以外に誰に頼めたでしょう。そこで彼に電話をし、説得することができました。その後、音楽はニコラ・ピオヴァーニに託され、見事で完璧なサウンドトラックが生まれました。お二人は巨匠であり、詩人でもあります――私にとって詩人とは、人類最初の偉人なのです――そして私の魂の中に入り込んでくれました」とクチネリは語ります。「このプロジェクトの完成までには3年を要しました。撮影は2年にわたって行い、編集に1年を費やしました。私たちは、信じる大いなる理想――家族、精神性、宗教――に賭け、それらを知恵、平等、調和と結びつけることを目指しました。これらこそが、私にとって“善き人”の大黒柱なのです」。
ジュゼッペ・トルナトーレは、ブルネロ・クチネリとこの映画という冒険を始めるまで彼の人生の詳細は知らなかったものの、語られる話に次第に惹き込まれていったと言います。シチリア出身の監督にとって決定的な契機となったのは、幼い頃からの大きな情熱であり、思春期から青年期にかけて、特に友人たちと通ったバールで育まれたカードゲームとの関係でした。この遊びは、それ自体が目的でも単なる賭け事でもなく、論理と戦略に基づく知的な鍛錬としての品位を備えており、後のビジネスにも大いに役立ったのです。「すべてを一局のカードゲームに見立てて語るという発想が浮かびました。これが“撮れる”と踏み切る火花になったのです」とトルナトーレは明かします。そして、主人公について冗談めかしてこう続けます。「彼は“生きているうちに”映画を望んだのに、実に見事でね。まるで死者のように振る舞ったんです! 実際、決して口を挟まず、1コマたりとも削れとも足せとも言わなかった」。 「私のやり方で彼の物語に入り込み、語ることを許してくれたブルネロに感謝します」。

ブルネロ・クチネリ
トルナトーレは、フランチェスコ・カンネヴァッレとフランチェスコ・フェローネが演じる幼少期のブルネロから描き始め、続いてサウル・ナンニによる青年期へと進みます。撮影現場は、唯一のプロの俳優であるナンニを除けば、主に一般の人々と、観客のように自身の人生と対話する本人のブルネロで構成されています。さらに、家族(妻のフェデリカ=初恋の人でありミューズ、娘のカミラとカロリーナ)へのインタビューや、友人たち(“有名ではない”仲間から、ハリウッドのスーパースターであるパトリック・デンプシーやオプラ・ウィンフリーまで)が登場し、逸話や彼についての考察を語ります。起業家としての最初の成功、会社の創設、拡大していく成果、そして従業員や、より広くコミュニティのために彼が行ってきた取り組みの数々が想起されます。

ブルネロ・クチネリと家族、ローマでの映画プレミアにて
クチネリは、彼にとって最も大切で象徴的な場所で撮影されています。古い実家の農家、ペルージャやソロメオ周辺の田園地帯――ソロメオは彼の「魂の場所」であり、彼の心と事業が脈打つボルゴ(村)です。まさにそこで後に妻となる女性が暮らしており、また、その路地や半ば崩れかけた城壁の間で、若きブルネロはカシミヤにまつわる成功へとつながる構想を練り、村と教会、そしていつか自社の本社となることを願った城の修復を夢見たのです。その夢は、揺るぎない決意と比類なき創造性、そして摂理のおかげで現実のものとなりました。ブルネロは、信仰、共同体の祈り、そして精神的な導き手であるドン・アルベルトの支えを決して忘れません。
ジュゼッペ・トルナトーレは、その卓越した手腕で、強いパトスの瞬間と、アイロニーや風刺、さらにはタブーへの挑発さえ孕む要素(バール・ジジーノやミュンヘン見本市での場面は抱腹絶倒)を見事に融合させ、人物像に一層の立体感と親しみを与えています。

チネチッタ
もちろん、何ひとつ偶然には任されていません。上映後、クチネリが招待客(FashionNetworkを含む)を忘れがたいガラ・ディナーでもてなすために選んだのは、チネチッタの古代ローマの壮麗なセットでした。会はヨーロッパ最大のスタジオであるヌオーヴォ・テアトロ22での上映に続いて開かれ、私たちは、キャンドルと、ブルネロが敬愛する哲学者たちの言葉(「美とは真理の輝きである」=プラトン、「真理の言葉は単純である」=ソクラテス、「自然に従って生きよ」=マルクス・アウレリウス)に照らされた“古代の遺跡”の間を抜ける長い回廊を進み、バジリカ・エミリアの内部へと導かれました。壁面には約13万冊の書物が飾られ、映画のポスターへの呼応であるとともに、ウンブリア出身のこの起業家の、知と哲学、文学――とりわけギリシャ・ラテンの古典――への愛を想起させる演出となっていました。

ブルネロ・クチネリが、現代における人間性と起業家精神の世界で不滅の存在となるために映画を必要としていたわけではありません。しかし、トルナトーレによるこの傑作は、彼を映画史においても永遠の記憶へと確実に刻みつけることでしょう。
