AIにできぬ「心から紡ぐ」
入門してから十数年が経つが、落語の世界もこの間にずいぶん変わった。「ハラスメント」という言葉が広まり、昔ながらの修行の形も通じにくくなった。師匠方が受けてこられた厳しい修行や稽古を、そのまま下の世代に伝えるのは、いまや難しい。
古典落語の演目のなかの台詞ひとつでも、時代の空気を読みながら選ばねばならない。男性目線でつくられた噺(はなし)がほとんどであり、差別的表現まで行かずとも、現代のジェンダー的観点などから悩ましい言い回しがある。その結果、笑わせたいだけなのに、ふと「これ、言って良いのかな」と考えてしまう瞬間がある。
それでも、人は笑いや人情を求めている。この時代に、言葉をどう生かすか。それが落語家としての大きな課題である。そんなことを思っていた折に手に取ったのが、俵万智さんの『生きる言葉』だった。
ページをめくるうちに、いくつもの言葉が胸にすっと入ってきた。「言葉から言葉を紡ぐだけなら、例えばAIにだってできるだろう。心から言葉を紡ぐとき、歌は命を持つのだと感じる」。この一節を読んだ瞬間、思わず「そうやなぁ」と心のなかでつぶやいた。
落語という話芸も、まさにそうだと思う。ただ話すのではなく、「どう伝わるか」を探る芸。落語は、言葉を紡いでお客さんと世界をつくる。言葉と同じくらい大事なのが“間(ま)”。たった一拍の沈黙で、笑いが生まれたり、涙がこぼれたりする。そこに仕草や表情も加わるが、最終的に人の心を動かすのは、言葉の微妙なニュアンスや行間に漂う気配である。これこそが「心」の部分である。
言葉の積み重ねで物語を展開していく。それもお客さんの頭のなかで。その作業はまるで積み木のようで、少しのズレが大きなズレとなる。その“言葉”ひとつで印象が変わる。そこは歌も落語も同じである。言葉のチョイス、間の取り方や声のトーン――ちょっとずつの差が、物語全体の印象を左右する。だからこそ、落語の稽古に終わりはない。
俵万智さんはさらに、「AIが1から100を生むのを横目に、自分は0から1を生みたいと思う」と書く。先人が残した噺をなぞるだけなら誰にでもできる。けれど、そこに“自分の心”を通して語った瞬間に、噺が息を吹き返す。言葉を通じて、お客さんの心のなかに新しい景色が立ち上がる――そこにこそ、話芸の醍醐味がある。
年齢を重ねるごとに、感じ方も演じ方も変わっていく。結婚、子育て、人との出会い――そのすべてが落語にも反映されていく。変化を楽しみつつ年を重ねていく。その楽しみを感じていきたい。俵万智さんの言葉を胸に、私もまた今日も、ひとつひとつの言葉を積み重ねる。AIがどれほど進歩しても、落語には負けない“心”があると信じて、言葉を紡ぎたい。
(俵 万智 著、新潮新書 刊、税込1034円)
選者:落語家 月亭 秀都(つきてい しゅうと)
1990年生まれ、兵庫県姫路市出身。東洋大姫路高校、関西大学を経て2014年に月亭文都に入門。今秋には、『噺家日記』(桂健四郎、笑福亭智丸、笑福亭笑有との共著)を発売した。
