櫻井繁郎、Prophet Guillory、ニラジ・カジャンチ

Apple Musicのアーティストリレーションズチームの主要メンバー、プロフェット・ギロリー氏(Prophet Guillory/写真中央)が来日。これを機に、エンジニアのニラジ・カジャンチ氏(写真右)、音響ハウスの櫻井繁郎氏(写真左)を迎えた、“空間オーディオ”をテーマとする特別鼎談が実現した。空間オーディオの魅力や現在地、そして未来の可能性について、話を聞いていこう。

Interview:Susumu Nakagawa Text:Yuki Komukai Photo:Takashi Yashima

“2つのスピーカー”に制限された環境から抜け出したい

──皆さんが本格的に空間オーディオを体験したのはいつでしたか? 従来のステレオと比べて、どういった違いや発見がありましたか? 

プロフェット 2021年頃にエルトン・ジョンの「ロケット・マン」という曲で初めて空間オーディオを体験し、ものすごく感動したのを覚えています。これまで聴いていたレコードとはまったく違う感覚で、思わず涙ぐんでしまいました。オリジナルのトラックの中には入っていない“何か”が聴こえているんじゃないかと思い、すぐに自分の部屋に戻って同じ曲のレコードをかけて聴いてみたんです。そこで気がついたのは、何かが新たに追加されているのではなく、これまでステレオで聴いていたときには認識していなかった音が、私の耳に届いているということでした。同じ曲を何十年も聴いていたはずなのに初めての体験のように感じ、「もっと空間オーディオを学ばなければならない」と思いました。

Prophet Guillory(プロフェット・ギロリー)

Prophet Guillory(プロフェット・ギロリー)氏。Apple Musicのアーティストリレーションズチームの主要メンバーとして、空間オーディオを活用したコンテンツ制作の啓蒙に力を注ぐ。音楽業界で15年の経験を持つベテランで、自身がソングライター、アーティスト、プロデューサーとして手掛けた楽曲はプラチナセールスを達成

ニラジ 海外にいる友人のエンジニアが手掛けていたことで、空間オーディオというものを知るようになりました。そして4年ほど前に、IK MultimediaのiLoud MTMを中心とした7.1.4chのスピーカーシステムを日本で聴く機会があり、「200万円以内でこのシステムを組めるんだったら自分もやってみたい」という感覚になったんです。実際に7.1.4chのスピーカーをそろえてミックスをしてみたら、ステレオとは違う考え方で曲の良さを伝えられると感じたので、本格的にスタジオを作ることにしました。

ニラジ・カジャンチ

ニラジ・カジャンチ氏。NYやLAでエンジニアとして活動したのち、ボーイズIIメンやマイケル・ジャクソンらの作品に携わる。日本移住後は三浦大知、安室奈美恵、氷川きよし、SKY-HI、小曽根真、Hana Hope、Newspeak、T-SQUARE、あんさんぶるスターズ!!などを手掛けている

櫻井 最初にちゃんとしたスピーカーシステムで空間オーディオを体験したのは、多分コロナ禍以前で、ポストプロスタジオだったと思います。もともと弊社(音響ハウス)には5.1chのサラウンドのスタジオはあったのですが、空間オーディオは天井や背後からも音が聴こえるので、すごく楽しかったんですよね。そのときAirPods Maxでも試聴させてもらって、ヘッドホンでも聴けることに驚きました。「これはやらなくちゃいけないんだろう」と、僕を含めてその場にいた人間はみんな思っていたはずです。

櫻井繁郎

櫻井繁郎氏。音響ハウスにて、レコーディングスタジオのエンジニアとしてスタジオ録音に携わりながら、フィールド、アフレコ、イベント等、音に関係する多種多様な録音に参加している

──アーティストとして楽曲制作もするプロフェットさんから見て、 Apple Musicがこれほど空間オーディオに力を入れるというのは、どんな思いがあるからなのでしょうか。

プロフェット クリエイターとして「2つのスピーカーで制限された環境から、何とかして脱出したい」という思いが常にありました。櫻井さんと同様、私も5.1chの環境でかなり長い時間制作活動をしていましたが、同じ環境がないと聴くことができないので、ある程度限界を感じていたんです。一方で空間オーディオは、Apple Musicで誰でも体験していただくことが可能になっています。これはクリエイターとして、とてもうれしいことです。空間オーディオというテクノロジーを使えば、これまでとは違う感覚をみなさんに提供できると信じていますし、クリエイターのみなさんが、これまでとはまったく違う新しいやり方で“ストーリーテリング”ができる環境にあるということに、ものすごく心を躍らせています。

──ニラジさんに伺います。空間オーディオを制作することに対して、ハードルを感じているアーティストやクリエイターがまだまだ多いと感じますが、普段はそのような方々にどのようにして空間オーディオの魅力を伝えていますか?

ニラジ 僕が空間オーディオに対応したスタジオを作ったのは、ハードルを感じている方にプレゼンをしたいという理由もありました。自分が関わっているステレオのお仕事で勝手にDolby Atmosのミックスを作ってしまって、それを自分のスタジオで聴かせるんですよ。そうすると多くの場合、「次の作品からやってみたい!」と言われます。今はスタジオを持っていなくても空間オーディオを制作できる時代ですから、プロデューサーやアレンジャーの方が空間オーディオで鳴らすことを踏まえて音作りをしてくれれば、我々エンジニアもそれをうまく生かせるんですよね。普段ステレオの中では隠し味としていたものを、Dolby Atmosというフォーマットでは、隠し味にとどめておく必要がなくなるんです。

──櫻井さんは、空間オーディオ制作の魅力についてどのように考えていますか?

櫻井 クリエイターの皆さんは、いろいろな音をいろいろな表現で使いたいと思うんですけど、ステレオだと、それを限られたスペースに詰め込んで作っていかないといけない部分があると思うんですよね。でも空間オーディオであれば、音を配置できる空間が半球に広がるので、表現の幅もぐっと広がるでしょう。あと僕はライブ音源のミックスも手掛けているのですが、ライブの空間を再現するというのも、ものすごく面白いと思っています。あたかも会場にいるかのような臨場感を得られるのが楽しいです。

音響ハウス

今回鼎談が行われたのは、音響ハウスのStudio No.7。もともと2ch & 5.1chのマスタリング・ルームとして機能していたが、2022年3月にAMPHIONのスピーカーで9.1.4chのモニター環境が構築された

── Logic ProにDolby Atmosの制作機能が備わり、クリエイターが空間オーディオ制作に気軽にチャレンジできるようになりましたね。

プロフェット 私は音響ハウスさんのような素晴らしい設備を備えたスタジオを持っていないので、ステレオペアのYAMAHA NS-10MとApple MacBook、AirPods Max、Logic Proで制作をしています。空間オーディオの制作をしようと思ったときに、コストを気にされる方が多いと思うのですが、私のようなシンプルな環境でも十分できると思うんですよね。櫻井さんやニラジさんのようなエンジニアにミックスしてもらえたらうれしいのはもちろんですが、自分で実験しながら簡単に作れる、ということを知ってほしいと思っています。

再生機器の進化により、エンドユーザーも同じ音を聴けるようになってきた

ニラジ 僕が普段ミックスをするとき、リアルな世界を作るというよりはむしろ、フェイクの世界を作ってリスナーを楽しませたい……

 

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