世の中にはさまざまな文学賞がある。「○△賞を受賞!」と帯に書いた本があれば、思わず手に取ってしまう人も多いだろう。最も注目される文学賞で2025年7月、大きな事件が起きた。第173回芥川賞、直木賞が27年ぶりにそろって「該当作なし」となったのだ。受賞作の売り上げに期待していた書店からは悲鳴が上がったが……。
SNS上で吹き荒れた嘆き節
「文芸担当、泣いています」
「夏の売り上げが消えた。大打撃です」
7月16日、芥川・直木賞が「該当作なし」と発表された。その直後から、SNS上では書店の公式アカウントや書店員と見られるアカウントからの「嘆き節」が吹き荒れた。芥川・直木賞を主催する日本文学振興会事務局の副事務局長、續大介さんも「これほどまでに、直接的に書店員の生の声が聞こえてきたのは初めて。芥川・直木賞が、文学好きな人たちだけのものではないと改めて見せつけられた」と驚く。芥川賞の「該当作なし」は2011年上半期、直木賞は2006年下半期が最後で、SNSが普及してからは初めての出来事だった。
「該当作なし」と発表され、集まった報道陣からも驚きの声が上がった第173回芥川賞と直木賞の選考(7月16日、東京都千代田区で)
「こういう時こそ提案力を」 技ありポップを全店へ
7月16日夜、書店全国チェーン・未来屋書店の商品企画部マネジャー、工藤由美栄さんは、職場に残っていた。午後7時頃までには発表される芥川、直木賞の「受賞作決定」のポップを作成して全国約200店に送信するためだ。各店舗でも、売り場の設営作業のために担当店員が待機中だった。
しかし、待てど待てども肝心の発表がない。そろそろ閉店時間を迎える店もあり、作業は明日に持ち越しとなった。「該当作なし」の発表があったのは、職場を後にした直後のこと。すでに工藤さんは帰りのバスの車中だった。
工藤さんがSNSのX(旧ツイッター)で「芥川賞、直木賞の売上がないのは、大打撃」というメッセージを投稿したのは、発表からわずか数分後の午後8時6分。スマホをタップする指は自然と動いていた。
翌朝までに1000万を超えるインプレッション(閲覧)と10万近いリポスト(再共有)で拡散された工藤さんのメッセージは、社内でも大反響に。「こういう時にこそ、書店員の提案力が求められるんじゃないか」「どうやって本を売るか」…… 社内のグループラインではこんな意見が飛び交った。
翌朝、工藤さんが全店に送ったポップは、「当店が勝手に選んだ芥川賞/直木賞は○○○○!!!」と、受賞作の部分を空欄にしたものだった。店もすぐに反応し、候補作の中から選んだ店もあれば、すでに候補作の在庫がなく、店員おすすめの書名を書き込んだ店もある。店によっては「あなたが選ぶ芥川賞/直木賞は?」と投げかけたところもあった。
「当店が勝手に選んだ芥川賞/直木賞は !!!」のポップを手にする書店員(東京都内の未来屋書店碑文谷で)
アクツガワ賞?! 「なんだか面白そう」と来店者増
くまざわ書店錦糸町店(東京)は、両賞の候補作品を並べて、「どの本も面白い!」と宣伝。さらに、「文芸書担当・阿久津が選ぶ 第1回 アクツガワ賞」を発表し、店内だけでなく、SNS上でも大きく盛り上げた。企画した阿久津武信さんは「たとえ該当作なしでも、そこに注目してもらいたくて、芥川賞をもじりました。なんだか面白そうだと来店する人が増え、候補作も売れましたし、僕たちも楽しめたので大成功です。SNSの力はとても大きい」と語る。
各地の書店で「候補作全部そろっています。読み比べてください」「あなたが選ぶ芥川賞・直木賞は?」といった企画が始まり、一般読者から投票を受け付けた書店も登場。受賞には至らなかったものの、候補作は順調に売れ行きを伸ばしている。

芥川賞・直木賞の「該当作なし」をアピールし、候補作をおすすめするコーナー(上)、第1回アクツガワ賞は阿久津さん一押しの2作が受賞。急ぎ、手作りの帯を巻いた(下)(いずれも、くまざわ書店錦糸町店で)
書店員による投票で決まる「本屋大賞」の実行委員会理事も務めているブックジャーナリストの内田剛さんは、「『該当作なし』によって、逆に書店が奮起した結果とも言える。02年の直木賞が『該当作なし』だったことをきっかけに、書店員たちが『自分たちが売りたい本を自分たちで選ぼう』と本屋大賞を創設した時のように、賞と書店の新しい形が生まれる可能性がある」と期待する。内田さんによると、本屋大賞(04年に第1回発表)以後、書店員の名前を冠した賞など「より選者が見える、読者に近い賞」が次々と誕生したという。
「賞が増えるのは活字文化にとって健全なこと。さまざまな工夫で、書店を盛り上げてほしい」と話す内田さん
本当の盛り上がりに必要な読者の助け
文学賞=売り上げ増大、とはいかない現実もある。
山形県内に9店舗を構える八文字屋の商品部マネジャー金沢有一さんは、「もし山形在住の柚月裕子さんの作品(直木賞候補作「逃亡者は北へ向かう」・新潮社)が賞を取っていたら、7~8月の2か月で1000冊は売れたと思う。地元にとって特別な作家さんですから」と、今回の該当作なし事件を残念そうに振り返りながらも、「地方書店にはそもそも本が回って来ず、お客様の需要に応えられないケースが多い」と言う。実際、芥川・直木賞の発表翌日に来店しても、受賞作を手にできるのは1人か2人。「重版された本が入ってくるまで、『勢い』や『盛り上がり』を維持できないと売り上げにはつながらない」と金沢さんは強調する。

山形在住の柚月裕子さんの作品が受賞した場合には、店内で最も目立つ棚に並べる計画だったと残念そうな表情をみせる金沢さん(山形市の八文字屋北店で)
金沢さんが忘れられないのは、15年上半期・芥川賞の「火花」(又吉直樹、文藝春秋)だ。「あの時、お昼に農家の人が軽トラでやって来て、『花火って本、おもしろいって聞いたんだよ』と尋ねてきたんです。本の名前を逆さにして言っていたのをよく覚えています」
火花の売れ行きは平時の数十倍。口コミや読者の反響が全国に広がり、普段、本屋に縁のない人を呼び込むほどのブームになった。金沢さんは「本屋が本当に盛り上がるには、読者の助けが必要なんです」と話す。
書店好きたちが「勝手に」企画 楽しさが人を動かす
今回の該当作なし事件を機に、読者が反応したケースもある。
コピーライターの丸山優河さんは、「書店大打撃」とSNS上で騒ぎになっているのを知り、書店好きの仲間同士8人で「かってに芥川賞・直木賞」を企画した。
「芥川、直木という名前の人に、お薦めの本を紹介してもらおう」
冗談のような内容だったが、企画会議は大盛り上がり。早速、実名登録が基本のフェイスブックで400人以上の見知らぬ芥川さんと直木さんに協力を要請したところ、7人の芥川さん、1人の直木さんの計8人が協力してくれ、9冊の「受賞作」が決まった。東京都内だけでなく、栃木、島根など9店が賛同して同賞のコーナーを設け、各店とも売り上げは好調。在庫本が売り切れた店もあった。
鳥取市の喜久屋書店国府店の同賞のコーナーには、今も家族連れが足を止めて本を手に取る姿が見られる。店員の中村優さんは「該当作なしが逆に話題になり、今回のような賞に派生するなど、新しい風が吹いた。伝統ある賞を重んじつつも、読者に近い、ユニークで親しみやすい賞が増えると、書店員としても楽しい」と手応えを話す。
プロの審査員が真剣に選ぶ賞から、書店員が心を込めて選ぶ賞、読者が楽しんで選ぶ賞へ。SNSの発展で今、さまざまな「文学賞」が生まれている。
芥川姓の人らが選んだ「受賞作」が並ぶ「かってに芥川賞・直木賞」のコーナーと担当店員の中村さん(鳥取市の喜久屋書店 国府店で)
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データで見る「文学賞の数」
公益社団法人「全国出版協会・出版科学研究所」が発行する「出版指標年報」に掲載されている文学賞は増加傾向が続く。全国の書店員からの投票できまる「本屋大賞」(2004年)以降、売り場を担当する書店員が選定する賞、各書店で売れた本をランキング形式で発表する賞、WEB上で投票・発表までが行われる賞も増え、近年は全数を把握するのが難しくなってきている。2025年にはXやインスタグラムなどのアカウントを持つ読者の投票で選ぶ「SNS推し本大賞」も登場した。

