【書方箋 この本、効キマス】第128回 『殺し屋の営業術』 野宮 有 著/大矢 博子

【書方箋 この本、効キマス】第128回 『殺し屋の営業術』 野宮 有 著/大矢 博子

ノルマ2億円の“転職先”

 今年の江戸川乱歩賞受賞作が刊行された。野宮有『殺し屋の営業術』である。

 江戸川乱歩賞はミステリー作家の登竜門として歴史と実績のある賞で、東野圭吾や池井戸潤、西村京太郎など錚々たる面々を輩出した有名な新人賞だが、応募資格がプロアマ問わずなのは意外に知られていないかもしれない。

 今回の野宮有はライトノベルの著作があるプロ作家だ。漫画原作者の顔も持つ。これまでも純文学でデビューした藤原伊織や、ファンタジーやSFの著書がある高野史緒などのプロ作家がそれまでのジャンルにこだわることなく乱歩賞を受賞、ミステリー作家として再出発した例がある。作家デビュー以前より脚本家として活躍していた野沢尚もここに入れて良いだろう。

 ライトノベル作家が、純文学作家が、ファンタジー作家が、脚本家が、ミステリーという新しいジャンルに挑む。同じ小説なのだから基本的なノウハウに違いはないかもしれない。だがジャンルにはジャンルの文法があり、まずはそこを飲み込まなくてはならない。

 これは別業界の会社の同じ部署に転職するのに似てないだろうか。たとえば、メーカーの営業マンが出版社の営業マンに転職するといったケースだ。同じ営業とはいえ扱う商品も取引先の考え方もまるで違う。その違いを素早く理解し営業のプロとしての最適解を出す――。

 実は『殺し屋の営業術』がまさにそんな話なのだ。

 主人公の鳥井は防犯機器の会社で働く天性の営業マン。入社以来売上げトップを保ち、無理と思われたノルマも難なくこなしてきた。

 ところがそんな鳥井が、殺人事件に遭遇する。アポイントを取っていた相手が2人組の殺し屋に殺されている現場に踏み込んでしまい、そのまま拉致されてしまったのだ。

 拉致の間に2人組は、今月の殺しのノルマがこなせていないという話をしていた。それを聞いていた鳥井は口封じに殺されかかる寸前、自分を営業マンとして売り込んだ。殺し屋にとって営業がいかに大事かを述べ、ノルマに足りない分の仕事を自分が取ってきてあげましょうと得意のセールストークで2人組を丸め込んだのである。しかしその額は半月で2億円!

 鳥井が殺し屋の営業マンとしてどう仕事を取ってくるのかというのが読みどころだ。裏社会のルールはこれまでの世界とはまったく異なる。それを知らずに失敗したり、でもその失敗を思わぬ方法で取り返したり。別組織の殺人請負業者、つまり同業他社の存在もあり、事態は騙し騙されのコンゲームへと展開する。さまざまなピンチを鳥井を襲うが、それまでに培った営業マンのノウハウに新たに学んだ裏社会の情報を組み合わせて切り抜けるのが痛快だ。まさに無敵の営業術!

 終盤のたたみかけるような逆転劇、エキサイティングなカーチェイス、思いがけないところに罠を仕込む頭脳戦など、魅力満載のエンターテインメントだ。このテンポの良さやキャラの立たせ方などはライトノベル出身作家の強みだろう。著者も鳥井同様、これまでのノウハウを新業界で活かしていくに違いない。

(野宮 有 著、講談社 刊、税込2145円)

選者:書評家 大矢 博子

 濱口桂一郎さん、大矢博子さん、そして多彩なゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”に是非…。

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