あなたの「小説」の概念を覆す!?
本格ミステリ作家が挑んだメタ・フィクション『小説の小説』が、満を持して文庫化!

本記事では文庫版の刊行を記念して、著者の似鳥 鶏さんにインタビュー。
各話の着想のきっかけから執筆時の苦労、文庫版ならではの魅力まで、たっぷり語っていただきました。

■似鳥 鶏『小説の小説』インタビュー

――単行本刊行時から振り返らせてください。ミステリ作家が描いた新境地‼メタフィクション!と話題になりましたが、そもそもどういった経緯で本作が生まれたのでしょうか。

「カドブンノベル」の特集「その境界を越えてゆけ」に「曰本最後の小説」を掲載していただいたのが始まりでした。やっていいんですね?と、エンターテインメントに全振りしたメタフィクションでいこうとなりました。
テーマをいただいてから書いたものなのでミステリというわけでもなく、「小説の境界を越える」=「どこまで情報を減らして小説になるか」と考えました。元々、筒井康隆先生の実験小説が好きでどこかでやりたいなと思っていたんですが、企画として伝わるか?前例がないので通るのか?と思っていました。受け皿が少ないと思っていたんですね。純文学ではなくてエンタメに全振りのメタフィクションは難しい。でも他の人がやっていないことをやらねばと常々思っています。
ネタ自体は結構パッと思いつきましたね。新ジャンルに入った途端生き生きする著者の典型で、新しいネタほど書いていて面白かったです。

――どの作品も確かに「これまでに読んだことのない驚き」に満ちていますが、それぞれ驚きの方向性は様々です。各ネタはどのように思いつかれたのでしょうか。

元々ストックしていたものがありました。ミステリでは使えないネタです。「無小説」は「コピペだけで書けないか?」というネタ帳の走り書きから。「立体的な藪」はその場で思いついたもので、ルビとか注に喋らせるか?と考えました。
そういった試みは今まで各作品の「あとがき」でさんざんやっていたので、実は簡単だったんです。私にとって「あとがき」は、デビューしてからずっと頭を真っ白にして書くところ、決めずに書きながら変化していくもの。普段の作品作りとは違って、唯一決めずに書いていけるのが「あとがき」なんです。

――一番書くのに苦労したのはどの物語ですか?

「無小説」ですね。あれは“作業”なので、適切な文章がありそうな文学作品にあたりをつけて探していく。ただただ作業で、かつ自分の文章ではなく他人の文章を書き写すだけ、という楽しくなさです。最初はそれだけで果たしてミステリとして成立するの?と懐疑的だったこともあり、精神的にも辛かったですね。
ミステリの筋を大まかに決めて、それに合う文章がありそうな作品を探っていく。今ならこういうシーンがありそうな物語を探してとAIに頼むのも手かもしれませんが、当時は自分のこれまでの読書経験に基づく探し方しかできなくて。でもほぼ思った通りにいけたんです。あるもんですねぇ。前半なんて、句点単位でコピペでも物語が成り立ちました。乱歩作品の有難さを感じましたね。
単行本の担当編集さんや校正者さんから「この1行使えますよ」と提案をいただいたりして、皆で作った小説になったな、と思います。できたものを読むとやっぱり夏目漱石とか文章が良くて、逆に辛いです(笑)。良い文章は切り貼りしても良いんですよね。

――逆に書いていて面白かったのはどの物語ですか?

「文化が違う」は元々ファンタジーが描きたかったんです。小学生男子のノリで、そういうばかばかしいこともできるんだ!って。あれはぜひオーディブル版も出したいですね。異世界転生のフォーマットに則って、異世界なんだから言語文化が違って当たり前。大筋が決まってからネタ(食べ物が「ウンコ」、美少女キャラの名前が「ゴリラ」、呪文が「オッパイ」など)を入れるべく流れを作っていきました。いたずら感覚で書いていましたね。

――「曰本最後の小説」ではかなり世情への風刺が効いています。

元々の特集テーマだった「その境界を越えてゆけ」から、そういった雰囲気でとオーダーがありました。小説をそのまま出せなくなっていく=自主検閲を強制される、という世界が現実的だなと思いました。だんだん小説の体裁をなさなくなっていくという作品だったので書きながら考えていったんですが、ミステリの書き方とは全然違いましたね。書き方が違うのは面白かった。オーダーを受けてできなかったことは辛いけれど、やらずにいたことをやってみるというのは面白いです。
筒井康隆先生の『虚航船団』を読んで、小説であんなに色々なことがやれるんだ!と思ったことが、素地になっていると思います。私の世代からすると筒井先生の作品はちょっと上になるかもしれませんが、あの作品は時代に関係なく面白い。普遍的で誰が読んでもわかりやすいので、若い世代の方にも読んでもらいたいですね。
私は、読んで真似して書いて、真似できていないところが個性になっていくと思っています。私自身も、「文章に悩んだ時用」の筒井康隆作品を持っています。私の作品に改行が少ないのは筒井作品の影響です。疲れた時も自分が筒井先生になった気分で書くと楽しい。不思議なことに似すぎて困ったことはないですね。

――単行本刊行時、電子版ではその「電子版」という機能に合った短編を別途書き下ろされています。こういった場合、機能の特性から物語を形作られていくのでしょうか?

電子版でできることを事前に確認して、クリックして移動できる、という機能を利用してどういうネタができるか?と考えていきました。チキンレース的にだんだん不安な展開になっていくけれど、あなたはどこまで読めますか?その先にも物語があるのに、読むのを終えることができますか?という問いかけでもありました。

――今回、満を持しての文庫化となります。単行本と比べると判型が小さくなり、フォーマットもある程度決まった型がある中で、驚きの特典がつきました。この発想はどこから生まれたのでしょうか。また文庫版でも文庫版ならではの特典を付与したいと考えていらっしゃったのでしょうか。

単行本のネタはできなくなるので、文庫版を買ってくださった方のために文庫版の特典はつけたいと考えていました。角川文庫名物の「発刊の辞」をいじるとかも考えましたが(笑)、なるべく手をかけた方が商品としてよくなりそうだったので。知らない人にお金を払って買っていただくので、できることはすべてやる、が原則です。〇トリの名コピー「お、ねだん以上。」を含めて「似鳥」というペンネームにしたという由来もあります。

――文庫版の良さを存分にアピールいただけたら幸いです。

ネタはそのままにさらにお手に取りやすくなり、文庫版の特典もついて、既に単行本をお持ちの方にもおすすめです。各作品がきちんと文庫版で再現できたのもほっとしています。

――文庫版の担当編集が「文芸編集者を10年以上やってきて、今まで入れたことのない入稿指定をしました」と言っていましたが、似鳥さんの中で「小説でできないこと」ってあるんでしょうか?

逆にそれを探してみたいです。映画や漫画でできないことは、絶世の美女を出すことや妙なる音楽を流すこと(主観に因るから)等、色々あります。小説なら凄まじい痛みを与えることも、めっちゃ不味い料理を食べさせることもできる。だって小説は、読者が半分作ってくれる、補完してくれるから。小説が一番なんでもできます。本作は小説でできることの面白さをお伝えするというコンセプトです。

――逆に「小説」でまだまだこれからやってみたいことを教えてください。

何も起こらない、人の内面だけをひたすら書く(映像化すると人が座ってるだけ)とかやってみたいですね。あとAIさんと協力して何かやってみたい。色んなAIに同じお題を出してみるとか、AI側からお題を出してもらうとか。AI同士で何かできるのか、それを生かして小説ができるのか、興味があります。

――第2作が進行中との噂を聞きました。今度はどんな作品集になりそうですか。

続きを書かせてもらえることになりました。まだ書きたいネタがあるので、頑張ります!

KADOKAWA カドブン

2025年10月03日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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