劇場公開日:2025年10月3日

村上春樹の短編連作小説「神の子どもたちはみな踊る」を、岡田将生、鳴海唯、渡辺大知、佐藤浩市の主演で映像化。原作に収録されている4編をベースにオリジナルの設定を加え、1995年の阪神・淡路大震災以降、それぞれ別の時代・場所で喪失感を抱える4人の人生が交錯し2025年の現代へとつながっていく様子を描き出す。25年4月放送のNHKドラマ「地震のあとで」と物語を共有しつつ、4人の主人公を結ぶ新たなシーンを追加し、映画版として編集した。
1995年、妻が突然姿を消し、失意の中で釧路を訪れた小村は、UFOについての不思議な話を聞く。2011年、家出した少女・順子は、たき火が趣味の男との交流を通して自身を見つめていく。2020年、信仰深い母のもとで「神の子ども」として育てられた善也は、不在の父の存在に疑問を抱く。2025年、警備員の片桐は、漫画喫茶で暮らしながら東京でゴミ拾いを続けていた。そして、人々の悲しみや不幸を食べる“みみずくん”が再び地中でうごめきだした時、人類を救うべく“かえるくん”が帰ってくる。
橋本愛、唐田えりか、吹越満、黒崎煌代、堤真一、黒川想矢、井川遥、渋川清彦、津田寛治、錦戸亮が共演し、物語の鍵を握るかえるくんの声をのんが担当。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の井上剛が監督を務め、「ドライブ・マイ・カー」の大江崇允が脚本を手がけた。
2025年製作/132分/G/日本
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2025年10月3日
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2025年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
数年前、『めくらやなぎと眠る女』というアニメ映画があって、ようするにこの映画はそれの実写版ってことかな。それにしちゃ、出来が良くない。アニメはどこか哲学的なセリフとストーリー展開をみせて、なにかしら自分の中に思慮が芽生えたのを覚えている。それに比べて、これはどうだ。製作がNHK。音楽が大友良英ってのがNHKらしいっちゃらしい。たしか少し前(か、昨年)に連続ドラマでやっていて、録っておいたデッキがオシャカになってしまって見ず終いだったのが悔しかったのだが、そのドラマの出来がこれだったのなら見なくてよかったと思った。
オムニバス的にいくつかのエピソードが続くが、どこにつながりを見出せばいいのか。ぶつ切りの各章を、どう消化して次を見ればいいのか。何が言いたいのかさっぱりわからない。トラウマ?、空っぽの中身?、影?、分身?、突然失ってしまう何か?、再生の物語?どうもブレていると思えた。
「あなたがいないということは僕がいない。そう、僕はあなたの影なんです」と言う。なるほど。もしかしたら、僕にも影(もう一人の自分)がいて、誰かにとってのカエルくんのように、僕にとっての何か/分身がいるかもと考えるのはどうだろう。それは、カエルくんのようなへんちくりんな姿をして現れるかも知れないし、もしかしたらもう、生存する一人の人間として僕の目の前に現れているのかもしれない。そうだ、つい先日「人は自分の鑑ですね」と僕に語りかけてきたあのオバサンが、そうだったのかとも思う。
2025年10月4日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館
2025年10月4日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
「めくらやなぎと眠る女」と登場人物等がかなりかぶる内容だが、他者の苦痛・喪失感・アイデンティティの危機などに共感する「自分」とは何か、みたいなテーマを扱っているらしい点で焦点の当て方が違うようにみえる。
「自分」(自我でもエスでも何でもいいが)の捉え方・扱い方が登場人物それぞれ違っているのが面白い。小村は「自分」が存在するという前提に固執して出口を無くし、第二話の二人は震災や毒親に「自分」が消されたと思っており、善也は宗教者との対話を通じて「自分」について考えはじめ、片桐は敢えて「自分」を捨てる事に活路を見出そうとしているように見える。仏僧なら「自分」なんて「空(くう)」だよ、と諭すのだろうが、自意識というやつは何とも煩悩の元なのだな、と内容から外れて考えてしまった。