劇場アニメーション『ルックバック』(2024年)が、短編作品として異例のロングランを果たし、映画業界にも足跡を残した、原作者の漫画家・藤本タツキ。その代表作である、『週刊少年ジャンプ』で連載された『チェンソーマン』(現在第2部が『少年ジャンプ+』にて連載中)は、少年漫画としてダークな内容と、優れた作画・作劇センス、そして狂気を投影した創造力が、多くの読者の度肝を抜いた作品である。

 そんな『チェンソーマン』のTVアニメシリーズは2022年に放送され、原作第1部「公安編」の途中までが制作されている。そして、その続きとなる、「レゼ編」と呼ばれるエピソードが、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』として劇場公開された。

 ここでは本作、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の演出やストーリー、『チェンソーマン』シリーズ全体の特異さを見ていきながら、その達成と独自の魅力の本質部分が何であるかを解き明かしていきたい。

※本記事では、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のストーリーを一部明かしています

 舞台は、人間の恐れから生まれる「悪魔」がはびこる世界。主人公は、「デビルハンター」として日本の公安警察「公安対魔特異4課」に所属しながら、仲間たちとともに悪魔と戦い続ける少年・デンジだ。彼は自分の意志で、悪魔の心臓を持つ「チェンソーマン」の姿になることで、強大な力を持つ悪魔にも対抗できるのだ。 

 そんなデンジは本作のストーリーにおいて、好意をおぼえる上司のマキマとの休日デートを実現させる。デートは延々と映画を観に劇場をはしごして、その都度感想を簡潔に語り合うというもので、デンジは肩透かしを食らってしまう。とはいえ、謎めいた言葉と魅力に終始翻弄されながら、憧れの相手と一緒に過ごした時間を、デンジは心に刻むのだった。

 一方で、新たな出会いも始まる。急な雨に見舞われ、デンジが雨宿りのために電話ボックスに入っていると、そこに“レゼ”という少女が駆け込んできた。マキマに惹かれているデンジだが、ついつい彼女にも恋心を抱いてしまい、レゼが働いているカフェに通いつめ、話をすることが日課となるのだ。ちなみに、デンジとバディを組んでいる、いつもうるさい「血の魔人」“パワー”がオーバーホールの時期にあり、チェンソーマンの信奉者である「サメの魔人」ビームにスイッチしているのも、デンジの恋愛には都合が良かった。

 急速に親密になっていく、2人。レゼは、学校に通っていないと話すデンジに、夜の学校に忍び込もうと提案する。教室で授業ごっこをしたり、真っ暗な闇に包まれたプールで全裸になって泳いだりなど、ちょっと不良で甘美な“青春”を経験することとなるのである。岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(TVドラマ/映画)なども想起させる一場面だ。そして校舎では、ある不穏な事態も起こる。

 その後、2人はやはり打ち上げ花火を見に行くこととなる。花火を眺められる高台で、公安から逃げて暮らそうと誘う、レゼ。2人は大きな花火が夜空に上がるなか、キスを交わす。“普通の恋愛”を経験したことのないデンジにとって、それはまさに特別で完璧な瞬間であった。しかし、そこから事態は急展開を遂げ、熾烈な追走撃が開始される。デンジはチェンソーマンとなり、圧倒的な火力で建造物すらも破壊する力を持った「爆弾の悪魔」“ボム”らとのバトルが開始されるのだ。

 ここから始まる、ノンストップのアクションが圧巻だ。ファンが待たされていただけあって、その豪快に展開していくアニメーション映像は凄まじい。とくに、ボムと「台風の悪魔」のコンビに、チェンソーマンとビームが挑むタッグ戦の激しいぶつかり合いは、混沌の極みとしか表現できないほどの迫力ある作画となる。そのエクストリームな光景は、同じスタジオMAPPAがTVアニメ『呪術廻戦』でも描いていた、バトルによる街の大規模破壊を思い出させ、画の詳細さとタッチの激しさは、さらにそれを凌駕していると感じさせる。

 TVアニメ版『チェンソーマン』には、このように原作が持っていた爆発的なカタルシスの表現に、やや欠けていた部分がある。毎週エンディング曲が異なり、その都度専用の新作アニメーションを用意した趣向は大きな話題となったが、個人的には、その余力をこそアクションシーンに投入してほしかったというのが、正直なところだ。今回は、ついに原作の迫力の見せ場がアニメーションで体験できたという思いがする。

 このような、純粋にアニメーション体験として見るならば、先頃より公開され、社会現象を巻き起こしている『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』よりも充実感が大きく、印象深いものがあるといえないだろうか。『鬼滅の刃』の映像表現の質も、もちろん高い。背景のCGとデジタル手描きのキャラクターがセパレートされていて、リッチな背景と平面的なキャラ、エフェクトとの違いが明確に際立ち、それぞれが役割分断していて、誰もが見やすいアクションシーンを提供できていた。

 対して、さまざまなものが一体になって躍動しているように感じられる本作は、何がどうなっているのか混乱してしまう瞬間もある。それは例えば、ハリウッド実写映画の『トランスフォーマー』シリーズにおける画面内の情報の渋滞状態に似ているのではないか。分かりにくい、でも、何か凄いことになっている……そんな異様な混沌のなかに観客を叩き込むのである。『鬼滅の刃』に対し、このようなアプローチの違いが同時期に出てくることは、アニメーション界の多様的な試みとして、業界全体の強みにもなり得る。

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