Interview & Text:黒田隆憲

Photo:興梠真穂

 Nikoんが2ndアルバム『fragile Report』をリリースする。デビュー作『public melodies』ではギター&ボーカルのオオスカが9曲中8曲を歌っていたのに対し、本作はベース&ボーカルのマナミオーガキが全曲歌唱を担当。バンド内での“視点のスイッチ”を明確に打ち出した内容になっている。

 2023年の結成からわずか2年で、【FUJI ROCK FESTIVAL’24】の「ROOKIE A GO-GO」出演、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文主宰による【APPLE VINEGAR -Music Award-】での特別賞受賞と、次世代を象徴するような快進撃を見せてきた彼ら。しかしその音楽活動の在り方や届け方は、配信を一切行わない、地域密着型のツアーなど、どこか逆行的にも見える。

 なぜ、いまの時代にCDオンリーなのか? なぜ移住型ツアーという実験をやるのか? そしてなぜ、本作ではオーガキの声だけを届けようと思ったのか? そこにはバンドとしての次なる構造への強い意志と、音楽を「届ける/受け取る」という行為そのものへ問い直しがあったとか。Nikoんの2人、そしてサポートドラマーの有島コレスケ(arko lemming)に話を聞いた。

写真左から、マナミオーガキ、有島コレスケ、オオスカ

ライブが日常の中の選択肢になってる感覚があった

――先日ファイナルを迎えた【RE:place public tour】は、福岡と大阪にそれぞれ拠点を作り、そこをベースにライブハウスを回るというユニークな試みでした。

オオスカ:九州は、さすがに鹿児島とかは福岡から4時間くらいかかるので、鹿児島に泊まりで行ったりもしましたが、基本的には福岡に滞在していましたね。関西も同様に、大阪を拠点にしていて、Airbnbのような宿におよそ74日間滞在していました。

有島コレスケ:そんなにいたんだ(笑)。俺が大阪に合流したのは、たしか最後の4日間だけだったよね?

オオスカ:そうそう。コレスケさんには、大阪は最後の4日間くらい、九州は最初の3日間とファイナルの4日間に入ってもらっていました。ドラムはその時々で入れ替わりながらツアーをしていて。九州と関西あわせて、全部で26本回りましたね。

オーガキ:自分としては、地元(鹿児島)へ帰るのは7年ぶりぐらいというか……もともと、前のバンドのメンバーと一緒に「バンド活動を本気でやるぞ」という気持ちで上京したんです。そこからは、地元でライブをやるために帰ってくるみたいなことをずっとしていなくて。今回はやっと、「自分は今こういうバンド活動をしてます」と報告がてら、ライブしに帰れたのが嬉しかったですね。

――やっぱり、九州とか大阪のライブハウスをくまなく回るとなると、東京からシャトルするより、現地に住んじゃったほうが効率的なのですか?

オオスカ:そういう移動も含めた経費の問題もあるけど、それだけじゃなくて。お客さんのこともすごく考えたんですよ。地方ってやっぱり難しくて、一度ライブに行っただけじゃ覚えてもらえなかったり、次に行ったときには忘れられていたりする。だからこそ、「これだけの本数を回るなら、どこかで必ず観られるはずでしょ」みたいな、見逃しようがないツアーにしたかった。そういう意味でも九州や関西に拠点を置いて、集中してライブをやりたかったんです。

――その方がファンとの距離も縮まりますか?

オオスカ:それはめちゃくちゃあると思う。たとえば1日目に来てくれた人が最終日も来てくれたり、3日目に来ていた人が次の日もまた来てくれたり。「今日仕事終わったら、Nikoんのライブやっているからまた観に行こうかな」みたいな、ライブが日常の中の選択肢になってる感覚があったし、そうなってほしいとも思っていたんです。分かりやすく言うと、いつでも対バンできる、いつでも会いに行けるような存在でいたかったというか。ライブハウスに来ること自体が、もっと自然に、もっと気楽になってくれたらいいなと。

――コレスケさんは、おふたりのそういう移住型ツアーを見ていて、どう感じていましたか?

有島コレスケ:いやぁ、よくやるなぁ……って(笑)。正直、キツかったっすよね。僕、2拠点生活とかあんまり好きじゃないんで。しかも僕が合流した頃には、ふたりとも食に完全に飽きていて。「もう夜はラーメンか牛丼しかないっす」と先に宣言されたんですよ。俺は「大阪で何食べようかな〜」ってワクワクしてたのに、「もうラーメンしかないっす」と(笑)。

オオスカ:あれはね、泊まってた民泊の周りがほんとに何もなくて(笑)。逆にそれが楽だったんですけどね。行った先ではもうライブするしかないみたいな状態だったから、変に他のことに気を取られなくて済んだ。寝て起きてライブして、帰ってきて寝るみたいなシンプルな生活になっていくんです。

東京にいると、やっぱり選択肢が多すぎるじゃないですか。洗濯しなきゃとか、買い物とか、家のこともあるし。しかも今回は衣食住を共にして、毎日一緒にいたんです。コレスケさんが来てくれた4日間も、ほとんど寝る以外の時間は全部一緒。そうなってくると、3人との関係性も単に仲がいいだけじゃなくて、演奏とはまた違う絆を育てられたと思うんです。それが、すごく良かったですね。

――そもそも、おふたりは前身バンドTeenager Kick Assを解散して、新たに「Nikoん」と名乗って再スタートを切ったわけですよね。そのあたりの経緯を改めて聞かせてもらえますか?

オーガキ:Teenager Kick Assは、もともとオオスカがずっとやっていたバンドで、私は最後1年くらいだけ在籍していたんです。解散したあとすぐNikoんを始めたわけでなく、しばらくは各々がソロ活動をしていたんですよね。

オオスカ:その時に「スプリット音源を一緒に作ろう」となり、お互いの曲を持ち寄って1枚の音源にしてリリースしました。「あ、こういう距離感でも曲は作れるんだな」という新鮮さがあったし「この関係性ならバンドとしてやっていけそうだな」と自然にイメージが湧いてきて。それで彼女に電話して「やる?」と。「だったら新しい名前にしよう」となり、Nikoんと名付けたのが始まりです。

あと個人的なことを言うと、自分だけで何か作るってことに、もうあんまりワクワクしなくなっていたんですよ。なんていうか、自分の中にもう絞りかすしか残ってない。ある日「何もねえな……」と虚しくなって。曲作りって、みんな「楽しくてやりたくて仕方ない」みたいな感覚でやっていると思うのですが、俺は8〜9割がだるくて(笑)。「作んなきゃダメな気がするからやる」という感じだった。それでひとりで作ってみても、「あー終わった終わった」と、ただそれだけなんですよね。

そこに他人の価値観とか演奏が入ってくると、「うわ、そう来るか」ってハッとさせられる瞬間がある。誰かのアイディアに自分の色を足したり、逆に変えてみたり、そういう作業がめちゃくちゃ面白かった。最初は「これ俺、ハマれるかな……」と思っていたんですけど、1曲作ったら「あれ、いけるなこれ」ってなって。そこからは、ずっと楽しかったですね(笑)。

――となると、Teenager Kick Assのときとは曲の作り方もだいぶ変わりました?

オオスカ:全然違いますね。わかりやすく言えば、以前はスタジオで「せーの」で合わせながら作っていたのが、今はDTMでアウトラインを作っていく。それだけでもう圧倒的に違います。しかもティーンエイジャー時代は固定のドラマーがいたので、リズムも含めてスタジオで作るのが基本でしたが、Nikoんは、ぺやんぐが即興というよりは「ちゃんと考えて作るタイプ」だなと最初から思っていたので、そこに合わせてみたらすごくいいものが出てきたんです。しかもDTMだから、それぞれが一旦持ち帰って歌やコーラスを考える、みたいなやり方もできるようになりました。

――なるほど。

オオスカ:かといって「データ渡すから、あとはよろしく」みたいな分業作業ではなく、基本的には2人で集まって「じゃあベース入れてみよう」「ここに歌を入れるのはどうだろう?」みたいにリアルタイムで進めていく。そこが、今のNikoんの曲作りの大きな特徴かもしれないです。ドラムが固定メンバーではなくなったので、リズムの自由度も上がりました。前は「このドラマーの癖をどう活かすか」から逆算して曲を作っていたけど、今は「自分たちが鳴らしたいリズム」がまずあって、それにベースやドラムをどう組み合わせていくか? という流れになりましたね。

その分、リズムでもっと遊べるようになり、それが作るうえでの楽しさにも繋がっている気がします。「出されたリズムに合わせて曲を作る」というより、「ゼロからリズムを組み立てていく」というか。そういう作り方ができるようになったことで、Nikoんの音楽に自由さが生まれたし、自分たち自身もそれを楽しめるようになった。そこはかなり大きいですね。

――ちなみに2人はどんな音楽を聴いてきたのか、改めて聞かせてもらえますか?

オーガキ:自分はGO!GO!7188が大好きで、バンドを始めるきっかけになりました。あとは宇多田ヒカルさんもずっと好きですね。小さい頃、親が車の中で1stアルバムをずっと流していて、その記憶が強く残ってるんです。東京に出てきてからは、バイト先のお客さんに岡村靖幸さんをめっちゃ布教されて(笑)、そこから岡村ちゃんにハマり、その流れでまた宇多田ヒカルさんを聴き直したり……そんな感じで今もよく聴いています。

――歌い方やメロディに、ブラックミュージックの影響を感じることもあります。

オーガキ:ああ、それはあるかもしれないですね。たとえばゲスの極み乙女。とかもそういうルーツを感じるバンドですし。私はそこまで深掘りしてきたタイプではなくて、あくまでマイブームベースで聴いている感じ。知識も浅いです。

――ベースを弾き始めたのは?

オーガキ:大学生になってからです。もともと5歳くらいから中学までピアノを習っていたのですが、「バンドという形で音楽をやってみたい」という憧れがあって、大学のバンドサークルに入ったタイミングで始めました。ルーツっていうほどの影響源はないですが、高校のときに仲良くしていたバンド仲間にはすごく影響を受けています。東京に出てきてからは「神々のゴライコーズ」っていう友達のバンドの、ベースのガッツこまけんさんという方が個人的にレッスンしてくれていたんです。めちゃくちゃ面倒見が良く、ティーンエイジャーの頃からバンド同士でも協力し合い、私が加入してからも本当にお世話になっていました。ガッツさんのプレイを見たり、直接教わったりしたことで、「ベースって思っていたより何倍も面白い楽器なんじゃないか」と。マインド面でも音楽的な面でも、すごく影響を受ました。

――では、オオスカさんのルーツは?

オオスカ:最初は凛として時雨ですね。初めてライブを観に行ったのも時雨で、それが武道館公演でした。バンドを追っかけるという行為自体、時雨が初めてだったんです。コピーバンドで演奏したりもしていました。で、時雨が「ナンバーガールに影響を受けた」と言っていたのをきっかけに聴き始め、その流れでミッシェル・ガン・エレファントやブランキー・ジェット・シティにも出会う。その世代の邦楽バンドには、がっつり影響を受けています。あとはMr.ChildrenやELLEGARDENのコピーもしていましたね。2000年代の邦楽ロックシーンが、まさに自分のルーツです。

そのあと徐々に海外にも目が向くようになり、最終的にはRadioheadが人生で一番好きなバンドになりました。ルーツというよりは、ずっと長く深く聴いている存在です。それからジャック・ホワイト。彼のギターのアプローチがすごく好きで、ジャンルを軽々と飛び越えていく感覚がたまらない。ギターをシンセみたいに扱ったり、ブルースを基盤にしながら新しいことをしていたり、オールドロックの美学をちゃんと持ち込んでいたりするのに革新性がある。この前、ジャック・ホワイトのライブを最前列で観たんですけど──本当に最高でした。

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