数ヶ月前、セイント・エティエンヌが次作をラスト・アルバムにすると発表したとき、コラムを書こうと思った。多くのことが書けたかもしれない。本も読んでいたから。
 けれど、止めた。ここは手短に書こう。90年代初頭に登場したイギリスの愛らしい3人組(ボブ・スタンレー、ピート・ウィグス、サラ・クラックネル)は、腕力も自己顕示欲も弱そうな、内気な若者たちに見えたが、その小さな音楽は大きな自信に満ちていた。

  長い道のりだった
  本当に長い道のりだった
  あなたが私の人生に現れたあの日から
  あなたは私の荒れた心をなだめてくれた
  私は疲れていた
  どこで間違えたんだろうと悩んでいた
  でもわかっている
  あなたの瞳にその表情をみたとき
  私にはわかっている
  すべてがうまくいく

  こんなに気持ちいいと思ったことはない
  こんなに強いと思ったこともない
  もう私たちを止めるものは何もない

 その曲“Nothing Can Stop Us(私たちを止めるものは何もない)”——ダスティ・スプリングフィールドのヒット曲を思い切りサンプリングしたあのイントロをいま聴くと、いたたまれなくなる。ぼくたちは──昨日の音源をほじくり返しながら──明日を見ていた。自信があったし、外の世界に出かける準備をしていた。で、じっさいに出かけた。
 ジョン・サヴェージはセイント・エティエンヌの音楽を 「雨の日に(ロンドンの)カムデンタウンでレコードを買いにいくようなものだ」と、デビュー・アルバム『Foxbase Alpha』のライナーノートで喩えている。ウィルソン・ピケットにザ・フォー・トップス、そしてクリスタルズ……イングリッシュネス(英国らしさ)に抗するごとくフランスのサッカー・チームをグループ名とし、レトロなポップスのサンプリングを駆使した初期のセイント・エティエンヌには、同時代の渋谷系との親和性が大いにあった。もっとも、彼らは渋谷系よりもダンス・ミュージックを愛していたと思われる。ドゥーワップはフィリー・ソウルにつながりディスコとハウスへと、もしくはサマー・オブ・ラヴへと連結する。
 そしてぼくたちは、ニール・ヤングなど誰も気にしなかったあの時代、その3拍子のオリジナル曲ではなく、アンドリュー・ウェザオール、あるいはマスターズ・アット・ワークのブレイクビートをもって生まれ変わった“Only Love Can Break Your Heart”に恋をした。「あなたがまだ若く、ひとりきりだった頃/孤独はどんな感じだったんだろう?」とモイラ・ランバート(サラ加入前のヴォーカリスト)は歌う。「でもね、あなたの心を打ち砕くことができるのは愛だけ/最初から知っておくといい」

 愛だけがすべてを成し得る。壁を超越することができるものは愛。デビュー当時、25歳で、『NME』のライターだったセイント・エティエンヌの頭脳=ボブ・スタンレーはポップ・ミュージックのコレクターかつ研究者で、ポップ史の本を2冊上梓している(ポップ・ミュージックはどこから来てどのように展開し、そしてどう衰退したのかという大著である)。
 彼はポップ・ミュージックを愛している。フィル・スペクターやモータウン、ビートルズはもちろんのこと、ロックンロールやパンク、サイケデリックやソフト・ロック、ファンクやヒップホップ、フィリーにディスコ……メタルは愛せなかったようだがその人気の理由を理解しようと努めた。メタルもポップの一部なのだから。補足すれば彼が愛するポップとは、学校や仕事の帰りに地元のレコード店で新しいシングルを買う、そして家に帰ってレコードに針を落とす儀式を生活の中心とし、毎週チャートを見ながら時代の変化をチェックし、音楽雑誌を読みながらいま何がクールなのかを確認する、クラスや職場で同じ趣味の仲間を見つけて会話する……そうした古典的な楽しみ方のなかで聴かれたポップ・ミュージックなのだ。
 そうしたライフ・スタイルは、1990年代後半の、CDを主軸とした音楽産業の欲によって衰退していった、というのがスタンレーの見解だ。1992年のポップをめぐる環境は1952年のそれと本質的にはさほど変わらないかもしれない。しかし、2012年のそれとでは著しく異なっている。プレイリストが乱立し地元のレコ屋もない時代、チャートが売れ数以上の何かを反映しているのだろうか。
 ゼロ年代以降の音楽でも、残滓はある。たとえばエイミー・ワインハウスの“Tears Dry on Their Own”にはマーヴィン・ゲイとタミー・テレルの“Ain’t No Mountain High Enough”がサンプリングされている。その曲“Ain’t No Mountain〜”を書いたモータウンのスタッフは、チャカ・カーンの“I’m Every Woman”も書いているし、初期のソウルのヒット曲も手がけている。ひとつのポップ・ソングには、それがどこから来ているのかを結ぶ回路がしっかりとあって、それは脱構築(意味のゆらぎ/ゆさぶりを)していない。そこにあるのはその音楽へのたしかな愛で、キュレート(ネットを使っての情報収集とその整理)した結果ではないのだ。
 スタンレーはチャート・ミュージックとシングル盤のみに執着しているわけではない。彼がヴェルヴェッツやジョニー・バーネット・トリオ、ザ・スミス、ハウス・ミュージックやサイボトロンを愛するのは、直接チャートに影響したことはないが未来のポップ・ミュージックに重要な手がかりを与えている音楽であるがゆえだ。1990年に始動したセイント・エティエンヌが、当初はハウス・ミュージックへと向かい、その後、フォークからテクノ、ヴェイパーウェイヴ、アンビエントに接近したことは理にかなっている。(1993年、セイント・エティエンヌがエイフェックス・ツインによる耳に優しくないリミックスを2ヴァージョンもフィーチャーしたシングルを、レトロ・ポップなデザインでリリースしたことは愉快だった。渋谷ではすぐ売り切れたが、リミックスのほうが多く聴かれたとは思えない)

 さて、そんなわけでイギリスの小さなポップ・グループは、35年にわたる活動に終止符を打つことになった。先日、13枚目のアルバムにして、その最後の作品がリリースされたのである。『International』はセイント・エティエンヌらしい、インディ・ダンス・ポップ/エレクトロ・ポップの万華鏡だ。イレイジャーのヴィンス・クラーク、オービタルのポール・ハートノル、ヘアカット100のニック・ヘイワード、DJのエロール・アルカンといったコントリビューターの人選からもこの作品の特色がうかがえよう。
 そして、この感傷的なアルバムの1曲目は“Glad”——
 
  あなたは通りを見下ろしながら
  「いつか、もっとよくなるはずだ」と自分に言い聞かせている
  けれどあなたが問いかけるすべてのこと
  かつては何より大事に思えたこと
  その答えは、どこからも返ってこない
 
  孤独に打たれているとき
  それはあなたを悲しくしないか
  ひとりきりでいるとき
  それはあなたを悲しくしないか
  けれど、
  太陽の光があなたの目に射し込むとき
  それはあなたを歓ばせないか
  生きていること自体を祝福のように感じさせはしないか
  それでも、
  やはり悲しくはならないか?
 
 エネルギッシュなポップ・ソングで、高揚感があってメロディも力強い。が、なにが“Glad(嬉しい)”だ。これは感情の揺れ動きだろう。感情とは、そう簡単なものではない。
 とはいえ、そう、かつて「私たちを止めるものは何もない」と歌った3人は、泣き言なしで、自らの歴史を自らの意志で止めたのだ。メンバーの誰かが大病を患ったわけではない。ただ、いまはもう、いや、ずっと前から、雨の日にカムデンにレコードを買いに行ったりしない。だから、いまこのとき物語を完結すること、それ自体がメッセージなのだろう。
 “The Go Betweens”という曲では、メタ視点によるこんなフレーズもつづられている。
「あなたのことを想いながら、カフェの隅でくつろいでいる/インターネットで開催予定のロックショーをチェックする/そして、お気に入りのアーティストのチケットを手に入れる/ひょっとしたらこちらも気に入るかもよ——“Sweet Melodies* ” に“Saint Etienne”、“Dancing Heart* ” に“Only Love Can Break Your Heart ”」(*は本作収録曲)
 歌詞の面でセイント・エティエンヌの哲学があるとしたら、ラヴソングですべてを表現するということだ。ラヴソングこそがポップ・ミュージックの神髄にある(清志郎やフィッシュマンズと同じだ)。愛とは特定の存在に対する盲目的な服従ではない。広い世界の、すばらしい覗き穴だ。「International」という単語は、日本では「国際的」と自動的に訳されるが、その意味することは「ナショナルに対抗するもの、国境を越えた連帯」だ。シチュアシオニスト・インターナショナル、これを思い出せばいい。
 ポップ・ミュージックが世界に拡散させたのは、盆踊りでもなければポルカでもワルツ、フラメンコでもない。アフリカ起源のダンスだ。エレクトロ、R&B、ドラムンベース、ハウス、ダウンテンポ——アルバムにはいままでのおさらいがあって、過去と現在の断絶を描いているのは最後の曲 “The Last Time” 。
 ありがとう、セイント・エティエンヌ。35年かぁ、さびしいけれど、きみたちは最後まで自分たちを貫き通した。その最後の最後は、こうだ。

  これが最後の最後
  ほんとうに最後の最後
  最後の最後です

  私たちは洗練されて見えるけれど
  あなたが期待していたようなこ洒落た盗賊ではなかったのです

野田努

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