イタリア、ヴェネチアで開催された第82回ヴェネチア国際映画祭にて、ベニー・サフディ監督の最新作となるA24映画『The Smashing Machine』のワールドプレミアが行われた。本作は、1990年代のUFC(総合格闘技団体アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)黎明期に活躍した伝説のファイター、マーク・ケアーの人生を描いた伝記映画で、ドウェイン・ジョンソンが主人公を熱演している。
第82回ヴェネチア国際映画祭に登壇したジョンソン(左)、ブラント(中央)、サフディ監督(右) / Credits Jacopo Salvi, La Biennale di Venezia – Foto ASAC
記者会見には、サフディ監督をはじめ、主人公のケアーを演じたジョンソン、ケアーの献身的な妻ドーン・ステープルズ役のエミリー・ブラントが登壇、そして映画のモデルとなったケアー本人も姿を現し、注目を集めた。また、ハリウッド業界内部事情を描き人気を博しているApple TV+の「ザ・スタジオ」のセス・ローゲンが、今作の記者会見からプレミア上映、アフターパーティまで密着していたことも、ヴェネチア映画祭を取材している記者の間で話題になっていた。
■「矛盾が本当に美しく、探求してみたいと思いました」(サフディ)
『The Smashing Machine』の監督&脚本を手掛けたベニー・サフディ
サフディ監督は、なぜケアーの半生を映画化したいと思ったのかという質問に対し、「マークがいなければ、私たちは誰一人として今日ここに立つことはありませんでした」と語り、「彼は私たちの人生を変えてくれました。彼にスポットライトを当て、彼の人生を生きること、彼の感情を感じることを許してくれました。彼の経験から学ぶことができ、本当に得難い経験をしました」と感謝を込めて述べた。
1990年代のUFCという題材を選んだ理由については、「あの時代にはなにか実験的なものが起こっていました。様々な格闘技が互いに競い合い、非常にユニークなスポーツでした。誰もがお互いを知る、とても結束の固いコミュニティだったんです。格闘技の世界でありながら、彼らの間に親愛があるという矛盾が本当に美しく、探求してみたいと思いました。当時、異種格闘技はアメリカの多くの場所で禁止されていましたが、日本では非常に大きな話題で、ブラジルでも人気を集めていました。とても国際的なスポーツでもあったのです」と説明した。
■「これは勝ち負けについての映画ではありません」(ジョンソン)
これまでハリウッドで多くの作品に出演してきたジョンソン。今回なぜインディペンデント映画への出演を決めたのか? / Credits Aleksander Kalka, La Biennale di Venezia – Foto ASAC
主演のジョンソンは、この役への取り組みについて「これは勝ち負けについての映画ではありません。必ず勝たなくてはいけないプレッシャー、結果を出さなくてはいけないプレッシャー、それと同時に、勝敗が敵になってしまった時になにが起こるかについての映画です。私たちはみな、それらのプレッシャーに共感できるでしょう」と語った。
これまで出演してきたハリウッドの大作映画とは異なる、A24製作のインディペンデント作品への参加についてジョンソンは「数年前、私はまわりを見回して考えていました。私は自分の夢を生きているのか、それともほかの人々の夢を生きているのか?と。ハリウッドに身を置く私たち3人(ジョンソン、ブラント、サフディ)は、興行収入を追いかけることについて、長い間話し合いました。私たちのビジネスにおいて、興行収入が占めるものは非常に大きく、私たちを一定のカテゴリーに押し込みます。『これがあなたの歩む道で、これがあなたの仕事で、これが観客やハリウッドがあなたに望むことです』と。私はそれを理解し、好きな映画を作り、楽しくやってきました。しかし、自分のなかから小さな声が聞こえました。『私にも、もっと挑戦できることがあるんじゃないだろうか』と。ハリウッドになにかを証明するというよりも、私自身のための挑戦だと思います」と、常にハリウッドのトップを走るスター俳優の苦悩を覗かせた。『ジャングル・クルーズ』(21)で共演しているブラントとジョンソンは友人関係を築き、サフディ監督とブラントはクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』(23)で共演している。彼女の強いあと押しがあり今作に挑戦することにしたという。「自分がなにができるかを知ることは難しく、時には、私が敬愛するエミリーやベニーのような人々が『あなたはできる』と言ってくれることが必要なのです」
『ジャングル・クルーズ』(21)でも共演しているジョンソンとブラント / Credits Jacopo Salvi, La Biennale di Venezia – Foto ASAC
■「ベニーの自然発生的な撮影方法は、本当にエキサイティングでした」(ブラント)
ケアーの妻ドーンを演じたブラントは、演じるなかで「関係性が実際にどのように変化していくかの範囲を感じることができた」と語る / Credits Jacopo Salvi, La Biennale di Venezia – Foto ASAC
この映画は、1990年代の「男性の無敵さ、男性の能力」が強調された時代を背景に、男性の脆弱性を描いている。ブラントは、実際にケアーの妻、ステープルズに話を聞き、役作りを行ったという。「この映画に、女性が描かれていることがうれしかったです。なぜなら、閉ざされたドアの向こうで多くのことが起こっていたと想像するからです。格闘家と共に生きるということ、存在すべてが消費されてしまう世界について。私は、実際にドーンから、彼女の後悔、感情の爆発、時には危険な関係性の本質、そして極限のなかでも深遠な愛と献身をお互いに持ち続けることについての話を聞きました。私がこれまで参加した映画では、精密に作られた関係、つまり“映画化された”関係の一部となることが多かったのですが、今作では、関係性が実際にどのように変化していくかの範囲を感じることができました。なぜなら、人間関係は1時間ですっかり変化してしまうからです。ベニーの自然発生的な撮影方法で、そのように動けたことは本当にエキサイティングでした。毎日、私たちを制御するものが外れたような感じがしていました」と説明した。
【写真を見る】会見で笑顔を輝かせる、ベニー・サフディ監督、ドウェイン・ジョンソン、エミリー・ブラントの3人にほっこり / Credits Aleksander Kalka, La Biennale di Venezia – Foto ASAC
格闘シーンの撮影について、サフディ監督は独特のアプローチを取った。「リングには入らず、カメラは常に外側にいるという原則を徹底しました」と説明し、観客として実際に試合を観ているような体験を提供したいと考えたそうだ。ジョンソンも、「その瞬間を生き、ベニーが言うように、可能な限りリアルであることに身を委ねました」と認める。サフディ監督は、「格闘シーンの撮影を終えたあと、私たちは何度もお互いをただ抱きしめ合いました。なぜなら、私たちみんながリングの中にいるような気がして、一緒にマークの感情を感じていたからです」と、ジョンソンに対し敬愛の表情を見せていた。
サフディ監督は、“リングには入らない”というこだわりのもと撮影を行ったという / Credits Cheryl Dunn
カメラの動きや映像の質にこだわったサフディ監督の手腕で、1990年代の格闘技の世界を追体験するような映画になっている。ケアーが活躍した日本の「PRIDE」のシーンも多く、布袋寅泰の演奏シーンもあるほか、日本人俳優も多数参加している。ジョンソンをケアーに変身させた特殊メイクは、数々のアカデミー賞受賞で知られるカズ・ヒロが手掛けている。1990年代日本のシーンは日本人の目から観ても違和感がなく、サフディ監督のこだわりと理解度の高さが感じられた。
サフディ監督は、今作でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞。スピーチでは映画祭や、彼を信じ映画を共に作った俳優たち、プロデューサー陣に感謝が述べられた。特に、ケアーの渾身的な戦いに賛辞を惜しまない。サフディ監督の「マークは、私を信頼して彼の物語を語ってくれました。彼が自身の人生を戦い抜いたからこそ、私たちはその戦いに想いを馳せることができます。私はこれを「ラディカル・エンパシー(過激な共感)」と呼ぶ実践にしたいと考えました。もしも私たちが、一見無敵に見える人物にも共感できるなら、誰とでも共感できるはずです。そして今、共感はこれまで以上に重要です。だからこそ、これは私たち全員が目指すべきことだと考えています」という受賞スピーチに、万雷の拍手が送られた。
『The Smashing Machine』は10月3日に米国にて公開
『The Smashing Machine』の日本公開時期は未定。続報を楽しみに待ちたい。
取材・文/平井伊都子
