3小節だけのデモのときもあったりするのですが、今度はそれを受け取ってわたしがギターで続きをつくったり。そのような往復書簡のようなことを、ずっと続けてきました。それが前作から今作に至る4年の間に、日々おこなわれていたことです。作品は、その結晶と言えるかもしれません。
音楽を切り離さない
──前作のリリースは2020年で、この年には自身のレーベルを立ち上げています。その時期から海外での活動もますます本格化された印象がありますが、なぜ独立を選んだのでしょうか。実際に自主レーベルで活動されるようになって、いかがでしょうか。
レコード会社では、ありがたいことにたくさん宣伝していただいたり、いい面もたくさんありました。でも、新しい作品ばかりに価値が置かれるその環境で、どうしても“循環”されていく気がしたんですね。そもそも音楽はリリースしたときだけが“いいもの”ではないですし、作品を長期的に広く届けることが本来のレーベルのあり方だと思うんです。
ですから、自分は味噌のように熟成させる音楽をやってるんだな──と思ったときに、自分の手で扱ったほうがいいと思ったんです。自分たちのことをいちばん支えてくれているのはファンの皆さんなのですから、そのほうが距離も近いですし、作品をつくったときに自分の手で手渡しできる関係でありたい。
それは多分、わたしの父や祖父が職人であることも影響しているのかもしれません。職人たちの仕事には、こだわりがあるし、代弁する人がいないんですよね。自分でつくったものを自分でそのお客さまに「どうぞ」と言うまでが仕事なんです。
その人が使ったときにどうなるかっていうことを想像したり、壊れちゃったりとか、そうなったら修復したりと、すべてが物語のように続いていく。それができるのは、自分自身でレーベルをつくることなんじゃないか、という思いがありました。とてもいい選択だったと思っています。
──自分のレーベルであるがゆえに、動きやすさもありますか。
そうですね。例えばストリングスでの音源を出したいとか、ライブ音源を出したいとなったときに、自由にそれをリリースすることができないレーベル契約もあるんです。“持ち物”は基本的にレーベルのものなので、許可がないとできなかったり、再録禁止などの決まりごとなどがあったりもして。
ですから、わたしのスタイルだとそれに合わないなと思ったんです。自分のレーベルから音源を出すぶんには、契約などは必要ないので。
──ライブ音源が増えたことには、そのような背景があったのですね。
はい。もう自由になったので、(音楽コミュニティサイトの)Bandcampにはたくさん出してます(笑)。でも、そのほうが絶対いいなと思ってました。
──少しずつ自由をまとうようになった青葉さんにとって、「音楽」とはどのようなものなのでしょうか。
例えば、お腹がすいたらご飯を食べるじゃないですか。眠くなれば寝るし、泣いたり喜んだりもする。そうした生きているうえでの現象であったり、さまざまな感情が高まったりしたその先に、わたしには音楽という出口があるんです。そして、そのためにわたしはつくられている──という感覚があります。
 
						
			
