Netflixが日本に参入し、10周年を迎えた。同社は東宝スタジオ・第10スタジオを使ってイベントを開催、同社のコンテンツ制作の強みをアピールした。
当日は、10年前にNetflix日本法人のトップであり、現在はグローバルで同社のCo-CEOを務めるグレッグ・ピーターズ氏も来日し、現状を説明している。
このイベントには筆者も参加していた。そして筆者は、日本に参入した2015年よりも前から、同社を取材していた人間でもある。Netflixの日本参入10年で何が起きたのか、そして、そこにあった功罪を、筆者の立場で考えてみたい。
2015年9月にNetflixが日本へ参入した当時、月額料金型で見放題、という映像配信は、日本でまだ定着していなかった。Netflix以前に「Hulu Japan」が日本に参入したのが2011年のこと。当時から「外資による黒船」と騒がれたものだ。
その後、Netflixが国内サービスを始めた時にも「黒船来襲」と言われたものだ。
イベントで来日したグレッグ・ピーターズCo-CEOは、10年後の今、このように話している。
「『ネトフリ』とか『ネフリ』と愛称で呼んでくれるのは日本だけです。『黒船』と呼ばれるよりは遥かにいいですね」
10年前、まさに外敵のように扱われた同社だが、今は日本の中にかなり定着した。特にアニメに関しては、海外市場を開く1つのカギともなっている。この点は、筆者が書いた以下のコラムを併読いただきたい。
10年前と今とでは、Netflix自体の体制もかなり変わっている。
初期、それこそ2017年頃までは、作られるコンテンツの軸はまだハリウッドにあった。
だが現在、Netflixは「まず現地でヒットする作品を作ること」を重視するようになった。現地でヒットする力を持つ作品でないと、世界の他の国々でもヒットは難しい……と考えられるようになったからだ。
だから、「アメリカから見た数字」や「ハリウッド制作である」ことの特別性はなくなっていく。
世界中のコンテンツ制作国で作られた、その国でヒットできる力を持つ作品を、190以上の国で配信する前提で調達する、という仕組みが、現在のNetflixを支えている。
日本のアニメが海外に売れるようになってきたのも、Netflixのように海外で作品を広めてくれる存在があってのことだ。
ただし、その役割はNetflixだけが担っているわけではなく、Crunchyrollなどのプラットフォームも影響している点は付け加えておく。
一方でNetflixなどの参入以降も、「配信のための権利対価」が劇的に上がったわけではない……という点に留意しておく必要がある。アニメについても、中国向けも含め作品数自体は増えたものの、制作費が極端に増えたわけではない。
配信が日本に参入すると「アニメも制作費が外資で何倍にも増える」という期待が語られることがあった。だが、実際にはそのような話はない。
実際に起きたのは、「額自身は何倍にもならないが、ビジネスとしてシュアな案件が増えた」という現象だ。当初からもう少し大きな額を交渉できたのではないか、今からももう少し額を大きく……という声はあるものの、安く買い叩いているわけでもない。要は、「アニメの相場をもっと高くするチャンスを活かせなかった」というところでもあるのだ。
配信事業者は、コンテンツを一定期間配信するための「ミニマムギャランティ」を設定し、配信開始に合わせて支払う。そうすると、ディスクの売り上げなどを待つことなくまとまったお金が入ってくるので、「配信契約が成立した時点でビジネスのリクープが確定する」状況になった。こうなると、アニメを作る側としては「ニーズがあるから作品数を増やしたい」ということになる。
配信以降でアニメ作品が増えたのはこのルールに基づく。その上で、ディスク販売やグッズ販売、さらにその先にある「長期的な配信とファンの定着」を意識したビジネスが生まれる。
以下は、複数のアニメ制作会社を傘下に持つ持ち株会社である、IGポートの決算資料よりの引用だ。あくまで模式図ではあるが、複数の収益の盛り上がりを重ね、積分的に収益拡大と長期化を図るのが、アニメを軸にしたIPを扱う企業の基本戦略になっている。
「Netflixは完全オリジナルのアニメにあまり投資しない」という声もある。それは事実なのだが、これも、国内アニメ制作会社の思惑も大きい。
当初は実写のように「オリジナルの企画に多数投資するのでは」と見られていた。しかし、Netflixが何倍もの価格で買ってくれるわけではないことも見えてきた結果、アニメを制作する権利元はさらに「独占」を狙わなくなる。アニメは特に国内の場合、Netflix1社に独占提供するより、多数の配信企業とテレビで同時に配信した方がファンは増えやすい傾向がわかってきたことも大きい。
Netflixから見れば、コミック人気などで成功が見えている作品を調達する方がリスクも小さい。
両者の思惑がずれつつも重なったことが、アニメでの「完全オリジナル」を減らす結果にもなったのだろう。
一方でアニメ制作会社も、海外向けではNetflixに独占権を与える例が増えている。世界に浸透させるには、世界シェアが最も多いNetflixを使うのがベストだからだ。Netflixも、海外向けの翻訳に加え宣伝なども行なって周知した結果ヒットした作品もある。最近の例でいえば『SAKAMOTO DAYS』がそれに当たる。
このように、アニメにおいてはNetflixが影響し、ビジネスの形が大きく変わった。「Netflixのみの影響」とするのは難しいが、Netflixの影響が大きかったのは間違いない。
ただ、Netflixが「日本の映像制作を軒並み変えてしまったか」というと、そうではない。
実写作品は、アニメに比べると国際的な拡大は「これから」という部分はある。しかし、「テレビで見られるものと違うものが見られる」という意味では、Netflix作品の特徴がはっきりしているのは間違いないだろう。
実写向けの話を聞くと、「どう作るかについてアイデアを重視してくれる」「キャストよりもシナリオや発想が重視される」という話が出てくることは多い。
これは日本のテレビや映画の事情との違いが大きいだろう。
純粋に国内向けのテレビ番組や映画の場合には、どうしても「誰が出ているか」で集客が変わりやすい。結果としてキャストがほぼ最優先事項となり、制作時期やスケジュールに影響してくる。
それに対してNetflixなどの配信コンテンツの場合、キャストも重要だが「いかに面白くなるか」が最優先でもある。日本でのキャスト人気は海外市場だとそこまで大きなファクターにはならず、企画・脚本・演技力・アクションの上手さなど、より別の要素の重要度が増してくる。
さらに、長期的視点に立って制作することになったり、他国のNetflixで使われた技術・手法を援用したりすることもあるので、国内での制作よりも自由度が高いことは多い。その一例は、筆者が『新幹線大爆破』の樋口真嗣監督へのインタビューをお読みいただくとわかりやすい。
ただ、地上波を中心としたテレビ放送のエコシステムはまだ大きく変わっていない。アニメの海外進出が成功したことを背景に、ようやく「番組IPの活用によるビジネス」を活性化する動きが出てきたところだ。
テレビ局への影響はまだまだ道半ばというところだ。いまだ、多数の番組はテレビ放送向けに作られている。
今回のイベントでも、俳優の山田孝之氏が「日本の俳優のギャラを上げて欲しい」と直談判する場面があった。「Netflixのギャラは高い」としつつも、「まだ企業CMに頼らないと、という部分が事務所を含めてある」と説明する。
これも、テレビ番組を含め、作品の消費先が日本国内に閉じており、結果として視聴者数=収益に一定のキャップが生まれ、俳優に還元できるギャランティにも規模的な制限が生まれてしまうからだ。
テレビ局などもNetflixやAmazon Prime Videoにコンテンツを出すようになり、視聴量のスコープが大きくはなってきている。だが、そこで韓国のドラマ市場は大きく先に進んでいる。
この流れをどこまで拡大できるのか。言い方は悪いが、Netflixをどこまで道具として使えるかが重要になる。
そういう意味でも大きな話題となるのが、「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の独占配信権獲得だ。
従来なら地上波での無料放送があったが、今回は「全試合の日本での配信」をNetflixが独占したので、現状では地上波での放送はない。
この件については、WBCの主催者であるWBCIが配信権をすべて管理しており、WBCIがNetflixを選択した……という情報を得ている。
「テレビ局や新聞社が無視された」という声もあるようだが、当然、決定までの過程でなんの交渉もなかったはずはない。初期の交渉はあっても、その段階ですでに日本のテレビ局はWBCIの構想から外れていた、と考えるのが妥当だろう。ある意味「国際的イベント」における「WBCIというアメリカの組織の独断」が、今回の判断の背景にある、とも言える。WBCIがMLB(メジャーリーグ・ベースボール)の下部組織であり、他の国際大会とは意味合いが異なることを、改めて意識しておきたい。
日本ではTBSとテレビ朝日が過去の放送を担当していたわけだが、それ以外のテレビ局が乗らなかったというのは、結局、配信コストと視聴から得られる収支バランスが取れない、ということでもある。
一方でNetflixは、2024年からスポーツライブ配信に力を入れている。これまではアメリカ向けのコンテンツが軸であったが、日本参入10周年というタイミングもあって、「日本での顧客獲得」に力を入れたのだろうと考えられる。
アメリカ以外が主軸となるライブ配信はWBCが初となる。一方で、今回の配信はあくまで日本限定の権利であり、アメリカなどの他国には流れない。
独占を非難する声もあるが、テレビ局などの出す条件が折り合わなかった以上、この結果は仕方ない。むしろ、スマホでも自由に見れる分、若者には見やすいかもしれないし、民放の少ない地方でも、ネット経由の方が安心して見られる可能性がある。
今回の日本戦も日本時間では朝方のプレイ開始であり、皆がテレビの前にいられるわけではない。そのことも、ネット配信には有利に働く。
Netflix側は、WBCに合わせてドキュメンタリーなどの独自番組も制作するとしている。そうした「周辺コンテンツ」の価値やクオリティについても考えておく必要がある。あるいは、WBCIが評価したのはそんな「新しいファンの増加」につながる部分なのかもしれない。
Netflixは日本に配信時代をもたらした。1社でもたらした、というのは言い過ぎだが、もっとも先鋭的な領域を開拓した巨大な存在であるのは間違いない。
他方で、消えていこうとしているのが「録画」という文化だ。配信があり、テレビ放送の多くもTVerなどで見られるようになった。録画という行為自体が減っていき、JEITA(一般社団法人電子情報技術産業協会)の調べでは、レコーダーの売り上げも年率20%の勢いで下がっている。
先日は、ソニーのレコーダー連携アプリ「Video & TV SideView」が2027年3月にサービス終了するとの報もあった。
以下は2023年に書いた記事だが、状況はなにも変わっていない。
録画には、CMや当時の風俗、アクシデント的な場面も記録される。それらは権利者から見れば無駄なものであり、配信ではカットされるものだ。
しかし、我々から見れば一つの文化であり思い出だ。思い出は余白の中にある。録画は余白とともにあるが、配信は余白を必要としない。
WBCの独占配信についても、「試合を録画して残したい」というニーズを満たすことはない。それを求めている人は少ないが、必ず「いる」のだ。
そんな部分を配信と共存するのは、今後も難しい。
このままなくなってしまうのか、それとも、なにかの形で残せるのか。
少なくともルールや権利者の側は、そんな文化を許容してくれないだろう。
Netflixだけが背負うべき話ではないが、配信の世界をもたらしたNetflixは、「録画が消えていく」ことの象徴でもある。






