[べらぼう] 長谷川平蔵が作った江戸の更生施設・人足寄場について [大河ドラマ/解説]

※概要
飢饉、そして打ちこわし……江戸の町にあふれる無宿人の罪人を更生させるべく、我らが鬼平・長谷川平蔵が松平定信に進言して作らせた人足寄場。それが、どんな所だったのか、詳しく解説しています。

【関連動画】

2025年、NHK大河ドラマ「べらぼう」解説動画です。

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[音楽] こんばんは。桐リです。 ラトです。うです。 歴史はエンターテイメント鹿島歴史チャンネルへようこそ。もう今日はあれですよ。我らが鬼平長谷川が作ったはい。速寄せ場のお話をしようと思います。 [音楽] ちなみに寄せばってご存知ですか? イメージよ。刑務章の軽い系よくわかな?何? あ、すげえ。 軽い系 大枠では? おお、 大枠ではオッケーでございます。 お、それぐらい。 ま、だからそもそもさ、現在の日本の刑務所って一応名目とは言いながらも罪を犯した人を構成させるっていう理念のもで運営されてるわけなんですよね。現代日本の刑務所で。 おうん。うん。 その元になったのが江戸時代の寄せなんです。つまり寄せばというのは罪人を構成させるための施設だったんです。財人を構成させるっていうね、理念自体は 8 代小の吉宗が作ったくじ方メ書きっていうのの時代からあったそういう考え方ではあるんですよね。 ただ吉宗以前の江戸の罰っていうのはもう死刑追形つまりどっちも罪を犯したらそういう人はコミュニティから障害排除するっていうね考え方だったわけなんですね。 で、それがま、吉宗の時にそれじゃあ木の毒だろうってことで叩きっていうねられたわけだ。百叩きとかって言われるね。 これは軽い罪を犯したのなら電話のね、牢屋敷の前とかそういうとこで、ま、みんなが見てる前で 50とかね、100 とかっていうのを叩いて、その後は身元引き受け人に預けられるっていう刑罰でこれだとね、悪いことしたらこんな目に会いますよってね、見ている人にも分かるしで、それで犯罪のね、予防にもなるしで何より違うのが罪を犯かしても、 1 度罪を犯かしたぐらいではコミュニティから追い出されずに構成やり直せるチャンス が与えられたという点がそれまでの刑罰の考え方ともう根本的に違う点なんですよね。 そうか。今聞いて当たり前のようだったけど昔はそうじゃなかったんだよなっていうのを再確認できてお目から鱗の気分 うん。 なのでま代って言っても吉宗以前とね以降では刑罰に対する考え方っていうのが大きく違ったっていうのがまずベースにあったわけなんですね。 うん。 で、今回の、ま、テーマの認せばなんですが、さっきも言ったみたいにこれは罪人の構成という点に重きを置いて親設された施設なんです。 うん。 まず天名の大基金のせいでさ、東北とかの農村から大量のル眠が江戸に流れ込んできて、そこへ持ってきて天命 6 年にト側の洪水が起こって江戸の周りのね、関東ハなんかも水浸たしになっちゃったもんだから食えない人たちがね、江戸にどんどんどんどんやってきて、とうとう名の打ち壊しっての起こしちゃったっていうわけなんですけども うん。徐々に徐々にね、悪化していた江戸 の治安がここに来て一気に、ま、最悪の 結果を迎えたってことになったわけなん ですが、ただ打ち壊しまではなくてもこの 頃江戸でお金やね食べ物を盗んだ りっていう気犯剤を犯す人達っていうのは 、ま、多くは食い詰めて江戸に流れてきた 人たちだったので、いわゆる無職人だった んですよ。無職人っていうのは戸籍のない 人たちのことなんですけど、江戸時代の 戸籍人別症って言ったんですけどこれって 生まれ故郷長いこと離れてるとね消され ちゃうんですよ。なくなっちゃうんですよ 。なので故郷離れて江戸で何年も過ぎ ちゃったルミン達っていうのはもう自動的 に無職人になっちゃってたわけなんですよ ね。それでそれまで無職人とかで警犯罪を 犯して捕まると言わさず作戸送り作戸の 銀山へとして送られていたわけなんですね 。で、この措置っていうのも元々は無職人 を構成させる目的で作戸の銀材送られてた んですけど、実際はむちゃめちゃ過酷な 労働を強いられたんで、ほとんどが3年 以内に死んじゃったっていう、もうそれ くらいな条件で重労働させられていたので 、全然もう構成としての役目は果たして なかったんですよ。もうほぼ資材と同技 みたいになっちゃってたんですよ。 で、それで暦に我ら川ですね、食い詰めて軽犯罪を犯したものまで作りにしたんじゃもうほぼ死刑と同技だからかわいそすぎるっていうことで老手取の松平佐信に寄せばを作ることを信わけなんです。この年ってね、クもフランスではね、民衆がバスティを攻撃してフランス革命が起こった年なんでね。 なのでも対策も間違ってたら府滅んじゃったりしてたかもしれないんで大変な年ではあったわけなんですよ。 おお。彼らが鬼兵素晴らしいことを提案したわけだね。 そうなんでございますよ。で、ま、それ言われたね、松田信も当時としては江戸に流れ込んできた無職国の農が、ま、食い詰めてね、犯罪に手を染めるのを、ま、なんとかしたいと思っていたので、この長谷川平蔵の神にもうすぐ様いいねやっちゃいなよてサインを出したわけなんですね。 そこで完成2年成暦1790 年に長谷川平が責任者に任命されまして石川島に速場が作られることになりました。そもそもね、あの速場を作った場所が石川島って呼ばれるようになったのはそこに石川大隅住の神の屋敷があったからなんですよ。なんですけど最初石川大隅の神の屋敷の裏手の沼町を埋め立てて 1万6000 ツ以上の敷地を作ったんですけど走倉庫してるうちに石川大隅の上が転しちゃったんですよ。 なので、じゃあその安き跡の 2000 ツも合体させようってことで合体させて全部で 2 万ツ近い広い地の妊寄せばってのが出来上がったんですね。で、だから名前ももう石川さんいなくなったんだけど石川島でいいじゃんって感じで石川島になっちゃった。石川島に寄せばってことになったわけだ。うん。 一応ね、構成させるためとはいえ入れる施設なので周りにこう板をね、張り巡らしまして入り口は 1 つだけ中に無職人たちがネ泊まりする建物があっていくつもあってでその他に様々な工場があるっていうのが電マ町の老屋敷なんかと違ってるところになりますね。大遇もね、電マ町のとは天と地ほど違ってまして、無職人たちが収容された感想って呼ばれる建物があるんですけど、ま、宿舎みたいなのね。 そこの中には琉球畳が敷かれておりまして、もう向こうはね、敷地敷ですけども、こっちは畳敷かれてるまして、それで無職人たちが自炊するためのかなんかも作られてたんですね。 支給される米や麦はどういう労働に従事してるかによってね、ちょっと違うんですけども、 1番労働が重いものっていうのは 1日1章支給されてて、その次は 7。最低でも言後支給されてまして、 おかずの方は人速に入ってる無職人達って いうのは一応労働をしてたので、ま、 わずかなんですけど賃金がもらえたんです よ。なのでその賃金からおかのお金を引き してそのお金で巻かない型っていうのが おかを作って配給してたんですね。だから 乾燥の中のかっていうのはご飯を炊く専用 だったんですね。うん。 ただおかずと言っても朝味噌汁るぐらい、昼は野菜の煮物かなんかで夜はま、お漬け物と梅干ぐらいだったんですけど、ま、でもね、食い詰めた人たちからしたら食えるってだけでね、むちゃくちゃありがたかったみたいなんですよね。 しかも府からの特別支宮ってのもあって、お正月の 3ヶ日123 はお雑煮と荒巻酒の切り身が出て 2月19 日はね、妊速寄せばの創立記念日だったんでなので石犯と西目が出たらしいんですよ。 夏なんかもね、暑いんで初期払いのね、 ビ灯っていうビの葉っぱを煮詰めたお茶 みたいなのとか、あとま、夏なんてね、 ちょっと体力消耗するからせがつくように 言って土上汁が出たりとか1月の7日、3 月の3日、5月の5日、7月7日、9月9 日ってそのごセックって言われるね、その セックの日には仕事お休みでもで預きご飯 が出たそうなんですよね。 あとお盆なんかにはそう面とか中の明月の時には団子汁が支給されるというまかなりの交だったもんですから無職人の中にはわざわざ警犯罪を犯かしてセブに入りたいなんていう連中もいたそうなんですね。 うん。そうだと思う。 食事もちゃんと出る賃金もビるもかもしれないけど、ま、その中にいる時はお金なんて使わないしお数分あれだけどそしたらそういうことを思っちゃう人が多くなりすぎて満そうな気がするけどその場が [笑い] さすがにそんなに簡単に罪を犯かすってのはまないんだけれども以前ね江戸の牢屋のお話をねした時にねかなり圧熱なね環境だった話をした ですから、あれと比べたら本当に実際天国と地獄ほどの差だったっていうのは言えるかと思いますね。だって向こうはさ、お風呂ね、ほとんど入れなかったけど、こっちの人寄せばお風呂毎日入れるんですよ。 うん。ええ。 おまけに毎月ね、 3のつく日イオンじゃないけど日 3日13日、23 日は仕事が早く終わりましてですね。早く終わった分外からね、先生がやってきて進学っていうね、学問お勉強できたんですよ。 これは今の刑務所なんかでもね、あるみたいなんですけど、いわゆる鞭罪を犯かしたり、知識がないから仕事につけなかったりってことがやっぱ当時も多かったんでね。だから道徳概念とか社会常識とかを教えたってことらしいんですね。あとね、 1日ごとにこっち1 日ごとになんですよ。向こうあのロアの方は 1ヶ月に1回なのにね、1 日ごとに府が雇った街さがやってくるんですよ。お医者さん 1 日ごとだから病気になったらすぐ見てもらえて薬ももらえてなんだったら仕事休んでもオッケーだったんですよ。 ただしその場合は1日の支宮給するお米が 4 号に減っちゃってお昼のおかずのお野菜の煮たとかはなくなっちゃうんですけどでもちゃんと休めるんでね下手したら今のブラック企業より交かもしれないんですけどあとね当時回線っていうさ皮膚病にかかる人がねやっぱ不衛星だったんで多かったのでそうした患者のためのその役と薬湯みたいななんかも用意されてた 色々と至れり尽くせりって言ったら変だけどすごく考えられて 変ないい施設だなと思っちゃうような感覚。うん。 うん。 だからローとは違ってもう構成施設なんですよ。速ね。 理念がもうローとは違うわけなんです。もうあうん。うん。 ここで一生懸命仕事して仕事覚えて社会に帰ってもう 1 回全倒な人間になってねっていうね、そういうね、理念で作られて運営されてるもんですからね。とはいえ仕事サボったりとかさ、喧嘩したりとかそういうルールをね、破るようなことすれば罰もありました。 ただ罰と言っても独房に入れたりとか 1日3色を2 色に減らしたりっていう、ま、軽いものだったんですけども、ただでも何度言っても言うこと聞かないと作へちゃうんで、作りになるともうほぼ死刑と一緒なんで大抵はルール守るようになったそうなんですね。作りに送られるくらいならってことではい。 人足様っていうのは無職人のために手に食をね、つけさせて構成させるっていう施設なので、いろんな仕事場っていうのができて、そういう工場がね、 11 ぐらいあったらしいんですけど、その仕事っていうのは大工とかさ、縦具作り、あとあの差し物って言って家具とかの装飾品なんかを作ったりするのとか、あと苦し塗りのそういう塗りの仕事、塗りの仕事とか そういう、ま、特殊な割と特別な技術を持ったものが働くちょっと上級労働者用みたいな塔とあとそんなに技術いらないコメを つくとかさ、油絞るとかさ、多作るとかさ、わザイク噛とかね、ま、そんなに技術いらないよみたいな塔とかがあって分けられてたわけなんですね。あと女性の無職もいるんで、それなんかは物を作るのとね、主にやってたらしいですね、仕事として。 うん。 でもね、ニセで作られたどンとか神っていうのは江戸のシューで大人気だったらしいんですよ。 うん。 ンって知ってます。たンてね、隅を作る際に粉が出るわけなんですけど、その粉を集めて丸く練り直した比較的安い燃料なんですけども、その当時中に出回ってる多いのは混ぜ物が多かったんですよ。だからすぐ燃いつきちゃったんですよね。それが妊速寄せばで作ってる多は元々がね、高級品の機種のね、いわゆる便長。その粉を材料にしてるわけで、しかも混ぜ物ないんでね。 なので日の持ちがむっちゃいいっていうことで本格的な多の季節が始まる前のもう空口ぐらいから予約が入るほどの人気商品だったそうなも感情部業所で出たコを透き直して作ってるので原価ただなんてねだから安かったんですよなの役所なんかでも結構ね安いからってことで使われたりしてましてで一応こういう商品っていうのは決められた商品に観察っていうねそういうの渡して商品を運び出させたり売ったりさせたんですけどもそれ以外に欲しいて人がいれば 別に観察なくても売り渡したりもしてたそう。 う、ちゃんとそこで商売になるのか。もうちゃんとできてそういう流れもできるし、施設に入ってる人たちは腕も上がるし 色々とくできた。 そう。だから本当に今の刑務所の原型ですよね。 刑務所で仕事してそのできたものをね、家具とか打ったりっていうのとあのまんまのことが江戸の長谷川平蔵さんの人間でできた寄せばであったわけなんですよ。 うん。 で、ニセに入れられた無職人たちはこうした仕事を毎日朝のムつ時きだから午前 6時ぐらいですかね。その辺から夕方の 7つ時きだから午後4 時ぐらいですかね。大体まあ9 時間ぐらい労働しまして、お昼ご飯取ったら今と一緒ですよね。 ほぼ8時間 基本的には3 年間っていう風に決められてたんですけど、ま、でも真面目に作業してそで模範、模範無職人とかそういう人なんかだったあと技術ねすごいしっかり覚えた人なんかは 3 人より早く外に出ることも許されていましたしその際なんかには大体 5巻から7 巻ぐらいの仕事の元でももらえたそうなんですよね。 中で働いてたからその分の賃金を積み立てた分をもらえるって形なんでだから一巻ってのは専門だからざっくり言うと 15万から21 万円ぐらいもらえたわけなんですよ。 なので仕事のね道具買う資金にもなるし生活始める資金とかにもまになったかなとは思って確かにね。お金がなかった。技術があってもポーンって出されてもそこからの生活ができないもんね。うん。 それはその働いててちょっとずつ貯めたお金をもらえるから。 自分たちで働いとお金だから。 からね、そこ ではあるけれどもよくできたし ね。本当にうん。 これを考案しました長谷川平蔵っていうのは完成 2年成暦1790年から完成4年大体約2 年間ニバの責任者としてニ場の基礎を作ったんですけども完成 4年成暦1792年の6月4 日にお役目を解かれまして公認には介の村田哲太郎っていう人が任命されたんですね。この時初めてニセの責任者は寄業って名前になったんですよ。 だから平蔵は速を作った人ではあるんですけど、寄せ業にはなってないです。なのでこないだ空さんがさ、不業になるのって言って言われた時に不業にはならないけど速業っぽい後に速業になるのを石を作った人ではあるわけなんですね。 ほ、 あとね、ちょっと面白いのがね、妊せ場で無職人たちに支給された服があるんですけど、着物があるんですけど、これがね、ク埋色っていうちょっと赤茶っぽい。 の袖なんですけど、それにね、水玉模様が入ってくて、なんか想像するとさ、今風に想像すると随分おしゃれだなっていう感じの服着てたわけなんですよ。 で、その1つの感想住まいですよね。 入れてたんですけどりまたのていうのがこの 40人の中から5 人選ばれましてこの人たちは水玉模様の着物じゃなくてク埋色の一色っていう感じなのでパッと見た感じ着てるもので水玉は普通の囚人無の人たちはいわゆるの中でのま役目のある人なんだなってのが分かるっていうシステム おちゃんとそういう制服も考えてるけどでもなんか水玉の方が可愛くて水玉の方が可愛いよ あとね、ニスにかかった費用なんですけど、これはあの、できた当時のね、記録がないんで、ちょっと後の店舗年間の記録になるんですけど、大体 1年でね、米メ700票と300 量かかってたって言われて、ただお金の方は主に人足寄せばの監視役人のお給料とか、あとお医者さんとか学費者さんがいるからね、この人たちのお給料は大体月 5 両だったらしいんですけど、そのお給料とかね。で、あとそれだけでもちょっと足りなかったらしいので、なんで足りない分はニ速の精すごい広いんでね。 なんで余った土地をエの商人の倉庫に貸し出してたんですよ。 なのでそこでのミールとかはその無職人たちが作ったものの売上とかなんかでちょっと足りない分を補填したりとかっていうのをしてたらしくて、だからね年間はやっぱ店舗年間も店舗大基金とのがあったのでニせ場に入ってた無国人たちがすごく増えた時代なんですけれども天面の頃の 3倍ぐらいって言われててそれで 460 人ぐらい入ってたっていう言われてるのでなのでちょっと牛ではあったんですけどもその 1 番多い牛の時期でもまかなり経費は抑えられてたのかなっていう感じではあるです。 うん。なんか本当色々なこと聞けば聞くほどほしか出てこないような感じなんだけど、なんかすごいな。そしてそれを作り上げた人たちみたいな感動が今。 褒めて褒めて鬼褒めて鬼すごいのよ。それにオッケー出したんで一応速セばの設立っていうのは松平サ信の鉱石の 1 つとしても数えられております。完成の改革のま、一環っていうことでも言われております。はい。 ということで今日は我らが長谷長谷川像が松の震して実現した囚人たちの構成施設予場についてお話してみました。映像さすがだなと思った方はチャンネル登録グッドボタンをよろしくお願いいたします。 なんかこういうワクワクすることとかも X でもね時呟いてますのでチェックの方よろしくお願いします。 最近ちょっと暗い話題が多かったベラ坊ですが、ここで桐リさんが大好きな映像の素晴らしい鉱石をウキウキーと説明していたの可愛いなと思った底このあなた是非メンバーシップ なんせあれだからねつ盗賊改め方になってねということで次の動画でまたおめにかかりましょうな んでそんなうまいこと言ったん さんが何やってもうまくいけへんかったんと真逆 だから時期の問題もあるのか。あとまあ速せばやっぱりシステムとしてよくできてるよね。だって現在も使ってるわけだから同じシステムね。 そうそう。 だって毎年関西強制点に行くのが楽しむで 結構安くていいもの売ってたりするじゃないですか。 で、本当大阪だったら酒井の刑務所のところで強制点でもいい地方の刑務所で作ったものが一斉に売られるんだけど本当に木のものとかがめっちゃ安くていいのよ。 なんかね、あの噂で聞くんだけど松本刑務所の家具作りがすごく質が高いらしくて、だからなんか松本刑務所の家具っての見てみたいんだけどなかなかね、見たことないんだけどすごくい。 これもすごいよ。 すごくいいんだけど、いい気を使いすぎて、それも大量に使ってるから重い。 ああ、なるほど。 今安、今、今現代に合ってないわけか。 そ、安くていろんなチープなものとかも簡単にね、 IKEAとかでも安くて軽くてっていうものがあるじゃない。重いでもしっかりしてる。 はい。家具はね、重い。昔風になるほど重いからね。 刑務書店といえばラットちゃんが初めて貸しましさんですかって声かけられたっていう そうだ 印象しかなくても刑務所書店イコール恐怖でしかないねんけど私 いやめっちゃでも面白いよそこで初めてあのどっかの刑務所の広島の刑務所のものを売りに来られてる方が貸で声かけていただいてへえって言ってそこのねなんかメモ帳がすごくいいのよな 母もな。で、 あ、そういうのもいっぱいあるし。あとね、この頃売り切れて手に入らないのが横浜の刑務所のラーメンとそばとかがめっちゃ美味しいんだって。 ああ、なんか聞いたこと、ラーメン聞いたことある? そう。すっごい美味しいらしいんだけど。 食べたことないのよね。食べてみたいけどね。 そう。手に入らん。それでやっぱりコロナ時期にそういう人たちもみんな集まって作業ができないから。 あ、 そうなん。 商品でいかへん。 少なくてなくて去年ぐらいにやっと増えた。毎年行ってるから今年も行くから多分 11月にうん。な んて言うのかな。そういうのに入る人がね、なくなるのが理想とは言いながらもやっぱそうはいかないからでもシステムとしてだから日本のはその罪をね言ったら罪を賄うためにアメリカみたいにずっと閉じ込められてとかっていうんじゃなくて構成するために手にね食つけて仕事したりとか社会常識勉強したりとかして出てくるっていうので的にはねいいんだけどね。 ただ最近やっぱりほら、あのケーキがない子供たじゃないけれどもそう教会の人たを今までのそういう同じようにやったんではダメなのでもっと違う何かねそういう風なののケアっていうのも必要なんじゃないかって言われてて そうだから仕事が覚えられないとかねそういうその完全に障害者の覚えられない息ではないけれども普通の人ぐらいに覚えられないみたいなちょうどグレーゾーンの人たっていうのがやっぱりそういう犯罪に手を染めやすいのでそれをどうするかみたいなところの まあなんかこの寄せばから連面と続く刑務所の念はいいんだけど今また新しいちょっと方向転展開をやるべきそういう時期に来てるのかなと思ったりもするっていう感じではあるんでね。だから江戸の時にもそういう人もいたのはいたんだろうけどね。 その時にできたことだからこの時期にまた新たなシステムがきっとできるはず。できないことはないはずだからね。今までもちゃんとそういうのができてきてるっていうことは。 うん。そうそう。だから江戸なんかは割と さ、すごいくだらない仕事とかができてさ 、落語なんかの高校売りって言うんだけど 、高校息子なんだけど、ちょっと頭のネジ がちょっと飛んじゃってるね。 普通の仕事はできないんだけど、高校がすごいからって言うんで女身に褒められてご褒美にお金もらったんで、そのお金を元手にして雨降りてなるんだけど、その雨の名前を高校の雨っていう風に言ったらそしたらあ、そういう由来の雨なのかだったらって言うんで、結構人気になったみたいなね、そういう落語があったりするんで割とまあ何でも曰さえつけりゃ売れたりとかそういうちょっとね的にはね普通の商売できなくてもなんかんかできるみたいな感じでちょっとプラスアルファ面白さとかそういうのとかなんかをね、あの [音楽] やって、ま、辻りでちょっとはなんか稼げるみたいになってるのが江戸なんだけども、ま、なかなかね、現代ではそういう仕事があまりないからね。どんどんどんどんなんかこの知能がないとなんかねってのが多くなって肉体労働ですらなんかそうじゃないですか、色々覚えることがあったりとかすごい複雑になってるからなかなか単純と言われながらも単純じゃないみたいなね。本当に単純なのは機械がやっちゃうからさ。なんか人間があるがちょっと複雑になってるみたいになってなかなか難しいよね。 逆にね、AI とかをうまく使いながら難しいところはそういうのやりつつできるようなシステムっていうのがね、ちょうどに A をうまく使いながらっていうのが進めていけたらいいよね。 そう。だからAI さんがそういうのを補助に回ってくれるとね、 うん。あと1 の仕事ってマルチタスク単純作業でも本当にさっき言った単純なものってなくてとにかくマルチタスクができないともう仕事できないからマルチタスクって実はそういう教会チームの人が一 番手なんでいうのを聞いてほあって思った。 そうなの。だから彼らだって別にさ、シール貼るだけとか 1 個だけをやるんだったらできなくはないんだけど、シール貼って何してないて 3つか4 つになったら途端にもできなくなるらしいので、それがね、なんかこうまく AI さんと手を組んでできるようになればと思うんですけどね。 うん。AI さんも頭良くないと使われへんからな。 いや、だからその辺は使うんじゃなくて AIさんに補助してもらう。 そう、補助してもらう。そっちをうまい具にやってもらえるようなシステムを誰かが作ってただ渡してボタンを押したらそっちはやってもらえるみたいなね。 うん。できたらね。 [音楽] あと1 個それとは全然話が変わるんだけど昔の江戸時代とかの時代劇見たら犯罪者ってここになんか黒い輪っかみたいななんか ああ、入れ済みね。 入れ済みあれってどのぐらいの人たちがあれをさせられてて、あれが 3 つあるとうおとか言ってなんかよくなってじゃない。 そう。 あの、だから入れ済みも吉宗の言うたら、ま、構成のために 1回は見逃すよ、2回はいいよ、3 回目はダめだよみたいな。だから入れずも罪によって形が違うんですよ。入る入れが。だから入れずに見たら何の罪を犯かして入れず入れられたかが分かるようになってて、それでそれが 2 つあったらこれとこれ犯かしやがった。じゃあ次はもうないね。次は資材だねみたいな。だから仏の顔も 3度までだから2回まではいいけど3 回目はもう資材だよみたいな感じになってるっていう形のもん。 全部同じなわけじゃないんだ。 赤みたいな。 違うの色あるの。 へえ。それはなんか時代劇のあれを見て 2個とか3 個あってあ、そんなにもみたいなのとかよく見たから。それとか構成してるのに 2 個あったらなんか周りの目が冷たくとかいうのをよく見てたからあ、これは恐ろしいわ。この入れ済みはと思ってたんだけど。そうなんだ。色々それによっても分かるんだ。 そう。 だから入れ済み系も元々はすぐ死刑とかね、すぐ追放じゃなくて入れ済みでとりあえず 1度は社会の中にもう1 回帰ってもいいよっていう構成を目的としたものだったんだけどでもまそうは言っても構成を目的はしてるんだけどそばもそうなんだけどあから帰ってきたんだとかあいつ入れ済み物なんだってバレるとやっぱり今もそうだけど素外事なって言ったら冷たい目で見たりというのは偏見はあるからまそれでまた罪を犯かしちゃって 2 度目になっていうのはまあちゃあるんだけど う うん。なるほど。 でも一応目的としては 1 回ですぐにもう処罰するんじゃなくて構成のために入れ済み系だったり叩けで許してるっていう構成のためのやつだったんだ。 味方が変わったわ。今日のでまた前まではそれはもう単なるバツだっていう意味だったけど構成のための入れ済みだったわけなんでね。 そう一応ね最初はね最初はその後入れ済みで犯罪者を識別して同になっていくんだけども最初の理念はそうだったってことですね。 うん。なるほど。すっきりした。 [音楽] [拍手] [音楽]

41 Comments

  1. 鬼平さんは、今の刑務所の原型を作ったなんて素晴らしいです✨
    「べらぼう」の中でも鬼平って呼ばれるのかしら。

  2. 一橋治済がパレードが始まる前に「お救い米」のビラを引き裂いてましたが、どこから手に入れたのか?
    あの人? ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

  3. 更生施設で更生しても、そういう人達を叩いて差別して犯罪者にしてしまうのは辞めようよ。

  4. ほぼ現在の「刑務所」のお話かと思うくらい、「人足寄せ場」は時代先取りだったんですね😃明治以降に西欧の刑法が導入されたと思うけど~「必要ない」くらいに先進的だと思います👍江戸時代260年間の中での進歩も改革も有っただろうけど、「江戸時代」=案外と凄く良いです❗現代と確実に繋がっていますね😉昨今廃れたといえ、習慣・風習も含めて・・・長谷川平蔵も火盗改めの「武張って」いるイメージだけでなく、実に「愛」のある立派なお方です❗再認識致しました😉

    33回で打ち壊しを「新さん」とは別行動で煽っていた「丈右衛門」ですが、なんかモグモグしていましたね~炊き出しの握り飯だと思います。⇒「盗んだ」米なの?供出させた米なの?安く「押し買い」した米なの?丈右衛門の手下風の男、二~三人も「モグ」ついていました😅

  5. 欧米などでは刑務所は更生の場ではなく、地獄で、脱獄するしかない場所なんですかね。
    佐渡行ってきたけど金掘りは過酷な労働だったんですね。
    ドラマでは平蔵の成長著しくて良き😊

  6. 孝行糖ってホンマにあったんやね 「ちかえもん」の不孝糖売り万吉のルーツはそこやったんですね!

  7. キャピック(受刑者の皆さんが作った製品)でラーメンなんかあるんだぁ、知らなかった(しかも美味しくて入手困難とは🍜!)!どんなのか見てみたくてググったら、キャピック通販がある模様!
    かしまし観終わったら色んな商品をチェックしてみます(ラーメンも載ってるかな)?

    キャピックの洗濯石鹸かなんかも、とてもいいらしいですよね。噂で聞いたことがあります。

    鬼平が居なかったらキャピックも無かったのかも…すごいなぁ、鬼平!そして刑務所の在り方にも「伝統」が隠されていたとは!歴史はやっぱり面白い🇯🇵😆

  8. 平蔵様の功績について、ありがとうございます!先日の放送では、矢を放って登場したので、イメージ違う😮 中村隼人さん演じる平蔵様、あの自分に酔ってる感じ、好きです✨

  9. おでこに入れ墨をする地域も有ったみたいですが、おでこに犬とか書かれてしまったら更生し難いなぁ😢と思ってしまいました、犬じゃ無くてもおでこは可哀想だなぁと思いました🤔🤔🤔まだ腕の入れ墨は、隠しようが有るけれど、額の入れ墨はどうやって隠していたのかしら

  10. 新さん残念だったけど、例の奴を仕留めたのが鬼平で、お〜😃💨いろんな功績あるんですね✨

  11. 今日はNHKプラスで土スタに生田斗真が出てるの見ました。巷ですごい嫌われてるとか、いろいろ面白かったです😊

  12. キリスト教価値観だと労働自体が罰と捉えるのでこのような厚生施設は思いつかないものでしょうね

  13. 地元の刑務所内には公立中学(市内の中学の分校)が開設されており、全国の刑務所から更生のために希望し、選考された年齢もさまざまな受刑者が、夏休み冬休みもなく一日に7時間+夜間自習3時間の日々を1年間送ります。卒業式の時期にはローカルニュースで、本校の生徒との交流の様子や受刑者の声(顔は出さず音声も変えていますが)が出ます。本校の中学生に語る学ぶ喜びや罪への悔恨の言葉にはぐっとくるものがあります。罪を憎んで人を憎まず・・・。

  14. 鬼平の功績、思った以上にすごくてびっくりしました!とても人道的な施設で、鬼平の意気込みが伝わってくる気がします。モデルにした制度とかあるのでしょうか?でも途中から、もしや貧しい庶民より生活良くないか?牢屋の環境改善とか、吉原みたいに貧しくて親に売られる子供の救済処置もやってくれ〜と思ってしまいました。とはいえ、今回も鬼平グッジョブな活躍でしたが、今後もますます楽しみになりました😊

  15. 長谷川平蔵と人足寄場の解説ありがとうございます😊飢饉に、水害と天災が続き、流民対応や打ちこわしと江戸の町は一触即発状態!江戸城は腹の探り合いで町民を第一に考えられないようす。これが、フランスのバスティーユ攻撃と同じタイミングだったとは。
    本当に長谷川平蔵と松平定信が作った仕組みが多くの人の命と町の秩序を守りましたね。
    一歩間違えるとどうなっていたか。

    きりゅうさんが楽しそうに長谷川平蔵の解説している姿が見れて良かった。新さんの死と人の命を軽んじてるサイコパス治済で辛い回でした。歌麿が自然の中に生きる命を描き取り、その姿が蔦重に伝わったような最後のシーンに救いがありました。

  16. 天明の打ち壊しの描写が、為された。米を盗んだりせず、あくまで売り惜しみした米屋を標的にし、奪った米を捨てていた。そのもったいなさをもってして、政を改めて欲しいと幟に書く。少々きれいごと過ぎるきらいはあるが、暴動でなく民衆の訴えというスタンスだった。お上と町人双方の主張を理解しようとする蔦重は、双方にとってうさん臭い奴であるが、同時にその言い分を相手方に伝達できる恩人ともなり得るという考えがユニークだった。だからこそ、お救い銀が出るというメッセージを義太夫節で伝えるという方法を思いつき実行した蔦重の戦略が活きていた。

  17. 長谷川平蔵は、時代劇で描かれるヒーロー像との違いが顕著ですね。人足寄場とはよく聞く名前でしたが、治安悪化を防ぐため、無宿人を集め教育し技術をつけさせ職能とする先進的で実践的な施策だったのですね。そこで作られた物を風評を鑑みて幕府に買い上げさせるまで考えている点が、素晴らしいです。こういう功績の高い人物でも、その時代の政治的権力者松平定信の好悪によって正当に評価されないとは、いつの世でも存在する人の世の無情に感じられます。定信失脚後やっと運が向いて来た矢先の死は残念ですが、家斉から薬を下賜されるほどに大切に思われていたことがせめてもです。

  18. よくニュースで、◯人犯に前科があったって報道されて…刑務所ってなんのためにあるんだろう?
    って思うことがあるけど…平蔵さんらの昔から、人の更生を信じている人たちがいたんですね。

  19. 鬼平さんの発案した人足寄場が、現代の更生制度のもとになっているとは勉強になりました😊
    シブくてカッコいいだけじゃなく、立派な功績を残しているから人気なのですね😊べらぼうの平蔵さんも愛嬌があって良いですね

  20. 歌舞伎『安政奇聞佃夜嵐』と
    落語『飴売り卯助』
    を思い出しました。

    もっともっと史実の鬼平を知りたくなりました!

  21. 入れ墨に関して気になっていたので、最後にラットちゃんから質問が出て謎が解けました。ナイスアシスト!
    石川島と聞くと私はどうしてもIHIが思い浮かんでしまいます。
    寄場を出た人達は、住まいなどはどうやって探すのでしょうか?身元引受人などがいるのですか?
    懲役と禁固刑は今年から廃止になり、拘禁刑に一本化されるようですね。労務や更生プログラムを各人の特性に合わせるようになったようです。罰としての労務から更生のための労務になるようです。

  22. いつも楽しい配信をありがとうございます。
    今回の刑罰のお話を聞いてふと最近の記事を思い出しました。
    今年の6月に刑法改正が施行され、「懲役刑」「禁固刑」は廃止され、新たに「拘禁刑」となり受刑者の個性に合わせたプログラムを作り、再犯防止により重点が置かれるそうです。

    かしましチャンネルのお陰で色々な事に興味を持つ事が出来て本当に感謝してます♪

  23. 昨日の鬼平かーーっこよかったぁぁですねーーー!
    今の制度ももう少しアップデートしてほしいな。。再犯率とか…
    求・鬼平

  24. 実家から歩いてすぐのところに長谷川平蔵さんの住居跡があります
    次の代では遠山の金さんが住まわれたみたいですね〜😮

  25. 昭和の時代劇で【島流し】【寄せ場送り】と言葉は知ってましたが、説明が分かりやすくて又また勉強になりました😊
    腕の入墨の事をコメントで聞こうと思っていたら!ナイス質問ラットちゃん👍

  26. 定信は人足寄場の創設を安い予算で長谷川平蔵に丸投げしたので、平蔵はお金が足りなくて困った結果、平蔵は相場に手を出して大儲けしたお金を人足寄場の運営に使ったんだよな、平蔵は役人として優秀な上に相場師としても優秀だったらしい。

  27. 何故か「カイジ」という漫画の強制労働所の話が頭をよぎりながら見てました。
    以前牢屋についてお話しされてましたが司法や警察や牢屋などのアングラな歴史も大変面白いですね。

  28. きりゅうさんと、かしまし歴史チャンネルの皆様、今回も素晴らしい解説をありがとうございます。

    色々な方が立ち現れて活躍されて、去っていく、無常を感じるドラマ流れで、特に最近の話が辛い苦しい事件の連続でしたが、今回の長谷川平蔵さんの解説でちょっとだけ息がつけました。ありがとうございます。
    それにしても大変見事な更生システムですよね。江戸の人たちが生きて行く上で少し気が晴れたのかな、と思います。

    「孝行糖」は懐かしい「ちかえもん」で万吉が売り歩いた「不孝糖」の元ですね😆

    歌麿が新さんを描き上げてほしかった気がしますよね。😂

  29. 学生時代に矯正展の販売アルバイトをしたことがあります。そこで販売された和風のメモ帳の評判が良くて、すぐに売り切れていましたっけ。鬼平が知ったら喜びそうなお話です。

  30. 今回も解説ありがとうございます。
    人足寄場、労働力の確保と治安の改善を同時に行うという意味でも素晴らしいシステムですよね、さすがは我らが鬼平。犯科帳はフィクションとしても、こういうこと実際にやっていたから犯科帳も出来たんでしょうね。
    懲罰と更生のバランスはいつの時代も悩ましいものでしょうが、心底悔いてやり直そうとする人は、他のすべての人と同様に報われてほしいと思います。その心底の悔いを見抜くのも難しいのでしょうが。

  31. 大河ドラマを観てから、かしまし歴史チャンネルの解説を観るまでがワンセットです。このチャンネルを知ってから、よりドラマを楽しめるようになりました。

  32. 今回も楽しい解説ありがとうございました。NHKのBSで「英雄達の選択」の番組でこの人足寄場の事が有りました平蔵様は「罪人も人である」と言う思いから人足寄場を作ったそうですね。きりゅうさんの解説でもっと理解が深まりました。弓を放って格好良かった😂がんばれ平蔵様❗

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