子どもの言い争いにはうんざりさせられるが、それが遺産相続に関わるとなれば話は別だ。途端に舞台劇のようになる。

  アイスキュロスの「オレステイア三部作」からシェイクスピアの「リア王」、ジェームズ・ゴールドマンの「冬のライオン」に至るまで、家族の継承を巡るドラマは数千年にわたって描かれてきた。王が全ての子どもを同じように愛していても、玉座に座れるのは一人だけだ。親は子と対立し、子は子同士で争い、ギリシャ悲劇ではしばしば全員が全員と敵対する。

  もっとも、今では君主制はほぼ影を潜め、貴族はまだ存在するが、かつて従者付きの馬車が通るたびに労働者階級が帽子を脱いで敬意を示していた時代のような輝きはない。その代わり、現代の継承ドラマの舞台は、後期資本主義における真の支配階級、ビジネスエリートへと移った。だからこそ「イエローストーン」「ダイナスティ」「メディア王~華麗なる一族(原題: Succession)」いった作品に人々は魅了される。そこでは租税回避地や信託財産が新世代の王子や王女とも言うべき存在を事実上生み出している。

  このジャンルに加わる最新作がNetflixの「ハウス・オブ・ギネス」だ。長男が当然の後継者と見なされていた19世紀後半を舞台に、ビール帝国を築いたアイルランドの富豪ベンジャミン・ギネスの4人の子どもを描く。父の死後、息子3人と娘1人は、巨大かつ複雑な家業の運営に苦闘しながら互いに折り合いをつけ、さらには彼らを憎む多くの庶民からの脅威とも対峙(たいじ)しなければならない。

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Illustration by Cheng Peng

Photo: Netflix

  9月25日から配信されるこのドラマは、ヒット作「ピーキー・ブラインダーズ」を手がけたスティーブン・ナイト氏が制作。「メディア王~華麗なる一族」との違いは、ほとんどの子が実際には家業を運営したいとは思わず、欲しいのは金だけだという点にある。

  長男アーサー(アンソニー・ボイル)は当時の言葉で言えば「独身主義者」。比較的自由な恋愛生活を送っていたロンドンからダブリンに帰省したばかりだ。三男エドワード(ルイス・パートリッジ)は唯一ビジネスに関心を持ち、主な目標は他のきょうだいに邪魔されないようにすること。次男ベンジャミン(フィオン・オシェイ)は最も存在感が薄く、若くしてアルコールに依存するようになっている。そして唯一の娘アン(エミリー・フェアン)は才気はあるが、女性であるため完全に脇に追いやられている。

  4人は時に共闘しながらも大半は別行動を取り、満たされぬ欲望といった巨万の富を持つ者特有の苦悩と格闘する。

  ギネス家の継承は成功したと言ってもネタバレにはならないだろう。当代のアイヴィー伯爵は英日曜紙サンデー・タイムズの富豪リストの常連で、一族の総資産額は8億5600万ポンド(約1700億円)に上る。

  富を家族の一つの枝に集中させることは、うまく機能するようだ。だが、どの枝がそれを手にするのかという疑問こそが、当事者にとっては存在意義を揺るがすほど重大であり、傍観者にとってはこれ以上なく面白いものとなる。もし生まれながらに富を持つ者がそれを守れないのなら、果たして彼らは本当に富める者だったのだろうか。

(原文は「ブルームバーグ・ビジネスウィーク」誌に掲載)

原題:Why We Love Succession Dramas About Billionaire Family Business(抜粋)

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