『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』を構成するあらゆる表現方法の魅力は、その不穏で暴力的で物理的なアクションと切り離すことはできず、まさにその点において、この映画が驚異的でほかの何にも増して独創的な作品であることを証明している。その直線的なストーリーによって、映画愛好家としてのアンダーソンの執着が剝き出しになっているのだ。

アンダーソンには、どこかヒッチコック的なところがある──ただし真逆のかたちで。ヒッチコックの映画は暴力を様式化するが、アンダーソンの映画は様式そのものを暴力化する。

過去の作品すべてにおいて、ウェス・アンダーソンの映画スクリーンに映し出される美の理想は、対立と抵抗の精神を体現してきた。好みというのは無数の嫌いなものによってかたちづくられている、とはポール・ヴァレリーの言葉だが、ウェス・アンダーソンの美学は、無数の暗黙の否定によって焚きつけられた怒りに満ちた肯定だ。ウェス・アンダーソン作品における最も力強い抵抗のかたちは、世界を敵に回すザ・ザのイメージなのだ。

ウェス・アンダーソン監督『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』映画レビュー

Courtesy of TPS Productions/Focus Features © 2025 All Rights Reserved.

ザ・ザは独自の美学をもっている。美術品の収集家であり、いつも読書に没頭して古美術について学んでいる。スタッフには、付き添い人兼家庭教師として雇われている昆虫学者のビヨルン(演じるのはマイケル・セラで、ウォルター・マッソー以来のすさまじい訛りで話す)がいる。ビヨルンはケージに入れた虫と共に旅をし、ザ・ザの現金すべてが収められたスーツケースを託されている。

ザ・ザは楽しみを追い求め、何事にも無頓着な態度を崩すことなく危険に立ち向かうのだが、負傷が重なるにつれて、もはや何でもない顔を続けてはいられなくなる。臨死体験をするたびに新たに死後の世界を目にし(ビル・マーレイが神を演じたり、その役を入れ替えたりというシーンもある)、その世界を見るたびに恐怖と何か良心のようなものが呼び覚まされていくのだ。こうしてザ・ザの反逆精神は生き返るたびに戒められ、彼は自分自身と自分がそのなかで隆盛を誇ってきた世界に抗い始めることになる。

この映画では、大勢の実在の人物が主人公ザ・ザのモデルとなっている。アンダーソン自身の亡き義父に加えて、オスマン帝国支配下のアルメニアに生まれた実業家で、中東での石油ビジネスの先駆者となった人物、カルースト・グルベンキアンもいる。“ミスター5%”というニックネームは、ザ・ザのそれと同じだ。

ウェス・アンダーソン映画『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』

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だが最大のモデルとなったのは、オーソン・ウェルズによる55年の映画作品『Mr. Arkadin(アーカディン)』[日本未公開]の登場人物だ。ウェルズ自身が演じたこの大実業家アーカディンは、自分の事業が犯罪的なビジネスから始まったということを成長した娘に知られまいと固く心に誓っている。ウェス・アンダーソンはこのオリジナル版を逆転させる。リーズルを後継者として仕込む過程で、ザ・ザは悪辣さと力が支配する世界へと彼女を招き入れるのだ。一方の娘からすると、世界を股にかけたこの謎の男が考えていることはお見通しだ。

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