徳川家治(写真: Kougen/PIXTA)

 NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第31回「我が名は天」では、利根川が決壊して江戸市中が大洪水に見舞われる。幕府が復興対策に追われる中、10代将軍の徳川家治が著しく体調を崩し……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

60年前の事業を引き継いだ「印旛沼の干拓事業」

 あまりに不運としかいいようがない。今回の放送では、冒頭から利根川の決壊が描かれた。

 田沼意次が印旛沼を干拓して新田開発に着手したのは、天明2(1782)年のこと。2月に勘定所の役人による現地視察が行われ、7月には工事の実施が決定。翌年から着工されている。

 印旛沼の干拓事業自体は、それより約60年前の享保9(1724)年、8代将軍の吉宗の頃に着手されている。だが、31万両という巨額な投資が行われたにもかかわらず、成果が上がらないまま中止されていた。

 これを引き継ぐべく、意次は明和9(1772)年に老中になると、印旛郡惣深新田の名主・平左衛門と島田村の名主・治郎兵衛に新田開発の調査を命じた。

 その調査結果がまとめられたのが安永9(1780)年のこと。沼に沿って地面を掘り、幅10メートルの水路を造る。そこに沼の水を落とすことで水位を下げ、4000ヘクタールの新田を作るという計画が立てられた。それから2年後に前述したように視察が行われる運びとなった。

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