『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した村田沙耶香の最新作は、人間と、ペットであり人間が担ってきた機能をこなすために進化させられた生物「ピョコルン」が暮らす世界が舞台だ。人間から、不快なものを排除していった先に残るものとは──。
2016年、芥川賞を受賞した村田沙耶香の『コンビニ人間』を、選考委員の奥泉光はこう評している。
「人は誰しも自分の言葉を喋り、自らの欲望に従って行動しているように見えて、じつはほかの誰かの言葉や欲望を模倣しているにすぎない──と、このあたりの事情は数多の思索者によって論究されてきたわけだけれど、本作はこの人間世界の実相を、世間の常識から外れた怪物的人物を主人公に据えることで、鮮やかに、分かりやすく、かつ可笑しく描き出した」(「文藝春秋」2016年9月号)
そして本書『世界99』もまた、「人間世界の実相」を描き出しているという点で、なんとも著者らしい作品になっていると感じる。
相手を“トレース”する人間ロボット
主人公の如月空子は、“小さな分裂を繰り返しながら生きている”という自覚を、幼いころから抱いている。
相手に合わせて両親の望むかわいい「そらちゃん」になったり、同級生が喜ぶ「キサちゃん」になったり。相手と呼応し、相手の対応を“トレース”して適切な言葉遣いを選ぶ自分のことを空子は空っぽと感じ、人間ロボットとやゆする。
のだが……、それって本当にヘンなことなんだろうか。
TPOという言葉や空気を読むという表現があるように、人間は誰でも、その場に応じてふさわしい振る舞いをすることが要求されている。家族といる時、クライアントといる時、同級生といる時、そのどれもに異なる自分がいて、その文脈やルールに合わせて自分がうまく振る舞っているように感じることは、誰にでもあるんじゃないか。
ただ、そんな普通を描いて終わらないのが村田沙耶香という作家であり、今回は、誰もが欲しがる高級ペットである「ピョコルン」という謎の生き物が登場し、物語に、計算しつくされた不協和音をもたらしてくる。
ピョコルンは強制的に可愛い生き物だった。
ピョコルンは「ガイコク」の研究所で、パンダとイルカとウサギとアルパカの遺伝子が偶発的に組み合わさって出来上がった生き物だと、動物園の飼育員さんが説明してくれた。(中略)
毛に囲まれたまん丸い愛嬌のある目に、白くて丸い鼻。歯が4本生えているピンク色の小さな口。短い4本の足で、よちよちと歩く。その姿はいかにも健気で、愛くるしく、この生き物を見て「可愛くない」と口にする人はそれだけで冷酷で残忍な人間だと判断されてしまうだろう、という見えない圧力を感じる。
そして空子の家にもピョコルンがやってきて、どこまでが現実世界でどこからが空想の世界かはっきりしないまま、物語は大きく転がり始める。
逃れられない問いかけ
かわいいペットだったピョコルンは人間によって進化させられ、足が2本増え、家事を担うようになり、さらには人間にとって性的対象となり、妊娠・出産までこなす。結婚の意味も変わって友人と結婚する友情婚が当たり前となり、ピョコルンに受精させ、子どもを産ませることが豊かさの象徴となっていく。そして保持するDNAによって、財力によって、育ちによって人間は自然と分けられ、異なる世界で生きるようになっていく。
そこでは怒りや悲しみなどの不愉快な感情を表出させることは歓迎されず、人間はお互いに敵意がないことを示しあう。
『コンビニ人間』の選評にあったように、描かれているのはもはや奇想天外な世界のはず。なのに本書を軽く笑い飛ばすこともできない。それはきっと、読者が「人間が人間であるとはどういうことなんだろう?」という、普遍的で根源的な問いから逃れることができないからだ。
面倒なことをすべてピョコルンがやってくれるなら、人間と恋愛しなくなるなら、属する世界が自然と決まっているなら、人間がやることってなんなんだろう?人間にしかできないことって何だろう?人と人は、何のために関わるんだろう?
『コンビニ人間』同様に、本書でも一見奇想天外な物語を綴りながらも、著者が描き、読者に伝えようとしているのは、いろいろなものを取っ払ったときに残る人間としての本質や、人間という生き物に対しての興味関心であり、それが読者を惹きつけるのではないだろうか。