膨大な情報にどう対処すればよいか。イギリスの人気作家のオリバー・バークマン氏は「膨大な情報に追いつこうとしても無駄だ。脳に情報を詰め込むためではなく、今この瞬間を楽しむために本を読むべきだ」という――。
※本稿は、オリバー・バークマン『不完全主義 限りある人生を上手に過ごす方法』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
「読むべき情報が多すぎる」問題
ガーディアン紙(イギリスの大手一般新聞)に勤めていた頃、飽きるほど書かされるトピックがあった。情報過多の時代をどう生きるか、というものだ。
いや、情報過多について何万文字も情報を追加したところで意味ないじゃないか、とみんな内心感じていたと思う。
当時は2000年代半ばだったが、「読むべき情報が多すぎる」という問題をインターネットが指数関数的に悪化させることはすでに明らかだった(1999年の時点で、世界中で生成されたデータ量は少なくとも15億ギガバイトに達したと研究者たちは推定している。2024年現在では、その数字は147兆ギガバイトにまで増加した。もちろん公開コンテンツはその一部にすぎないが、それにしても膨大な情報である。ちなみにある人の概算によれば、知の宝庫と呼ばれたアレクサンドリア図書館全体の情報量はたったの12ギガバイトだった)。
きっと思い当たるところがあると思う。崩れそうな積ん読の山に加えて、そのうち読もうと思っているインターネットの記事、どんどん溜まっていくポッドキャストのエピソードやテレビの録画、せっかく買ったのに手をつけていないゲームソフト。
いったい、いつになったらすべてを終わらせる時間ができるんだろう?
重要な情報はほぼ無限に流れてくる
今となっては悲しくも笑える話だが、インターネット初期の時代には、情報過多は一過性の問題だと考えられていた。
どうでもいいブログやメールやニュースはたしかに多すぎるけれど、そう長くは続くまい。そのうち大事な情報だけを拾い上げる技術が進歩するからだ、と言われていた。楽観的な技術評論家クレイ・シャーキーに言わせれば、問題は情報過多ではなく、フィルターの性能にあるのだ。必要なのは情報をふるいにかける洗練されたフィルターであり、焦らなくてもすぐにそんなものは手に入るはずなのだ。
ところが、現実はそんなに甘くなかった。
僕らを待っていたのは、典型的な「効率化の罠」だった。
たしかにフィルターの精度は向上した。アマゾンのレコメンデーション機能は次に読むべき本を的確に提案してくれるし、SNSは(良い面だけを見れば)まるで世界中のアシスタントが自分の興味を引く情報ばかりを無料で集めてきてくれる夢のようなメディアだ。
しかし、ここ20年ほどインターネット上にいた人ならわかると思うけれど、その結果は平穏や正気とはほど遠いものだった。
重要な情報はほぼ無限に流れてくるので、重要な情報を見つける効率を高めたところで手元に届く量が減るわけではない。高精度のフィルターによって厳選された本や記事やポッドキャストや動画の山は相変わらず積み上がり、どれも安心や成功を手に入れるのに欠かせない情報を含んでいるように見える。