[べらぼう] フランシスコ・ザビエルが!? 知られざる眼鏡の歴史 [大河ドラマ/解説]
※概要
ていさんの眼鏡から視聴者様から頂いた「江戸時代にメガネはあったの?」という質問から発展して、眼鏡の歴史と日本に入ってきてからの変遷などをお話ししています。
2025年、NHK大河ドラマ「べらぼう」解説動画です。
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こんばんは。き桐リです。 ナットです。 こです。 歴史はエンターテイメント鹿島歴史チャンネルへようこそ。 [音楽] 今日はですね、コメントでね、テさんが眼鏡ネをかけてますけど、江戸時代にメガネなんかあったんですかというご質問をいただきましたので、それにお答えすべく日本のメガネの歴史についてお話しようかな。 [音楽] ちょっと広げてみようかなと思っております。 おお。さんのね、眼鏡は確かに気になってるから毎回そこ見ちゃうもんね。 うん。うん。 うん。 ドラマでね、てさんがかけてるように江戸時代もうすでにメガネはございました。 じゃあメガネはいつから日本にあったと思います? もうね、サムネにも映ってるようにザビエルさんが持ってきたってことでいいんですよね。 そうですね。サムネそういえば書いちゃってましたね。 はい。 一応ね、日本にメガネを持ち込んだのはイエスカイの選挙士フランシスコザビエルで戦国大名の大内吉に健上したというのがメガネに関する日本最古の記録ということになってるんですね。 なんですが記録はないんですけどね。京都の大徳に室町府 8 大将軍の足川義正がかけていたと言われているメガ残ってるんですよ。足が吉といえばね、大人のラで京都がしっちゃかめっちゃなってるのにね。 銀格じ立てたりなんかして現実投避してた将軍として有名な人なんですけども、もし大人に残ってるメガネが本当に足川義正さんのメガネだったとすればフランシスザビエルよりも 100 年ほど早く、しかも西洋じゃなくて中国のねから日本に渡ってきたっていうことになるわけなんですね。 100 年もそしたらもうどう見てもサムネ詐欺って言って大丈夫なんですか?なんかサムネチェンジしなくて大丈夫です。 いや、まあまあ確かにね。 民外には中国にも眼鏡ネはあって、で、しかも、ま、メガネ 1個買うのにね、両馬 1 等分ぐらいの値段だったっていうぐらい効果なものだったのでね。だから、ま、日本の将軍のね、健上品であり、売り物であり、ま、十分可能性はあるんですけれども、ただ大自にそういう言い伝えがあるっていうだけなので、一応はっきり資料に残ってるのはフランシスコザビエルの健上品目録の方なんでね。 だから、ま、サムネとしては一応、ま、明確に資料のある方ってことでそちらを選ばせていただきました。プロイスの日本酒なんかにもちゃんとね、鉄砲とか時計の他にメガネを健したって書いてあるですからね。 確かにね、噂とかクエッションのものよりはちゃんと記録があるものをね、出さないといけないということで納得しておきます。 そうです。そうです。その新資料が発見されたらまた寒るかもしんないけど、今んところはこれで行こうってことですね。 で、日本にね、メガネがもたらされたのはこんな感じなんですけれども、そもそもね、世界最古のレンズっていうのは紀元前 700 年頃ニネバっていう場所で発見された水晶でできた凸レンズなんですよね。 ニネバっていうのはあの今のイランで古代のアッシリア帝国の首都だった場所なんですよね。発見されたレンズっていうのはこれはね、メガネではなくて水晶を削ったこういうレンズなのでおそらく太陽の光を集めて火を起こすために使った。 うん。 うん。うん。うん。 このレンズはメガネじゃなくて削ったレンズなのでメガとなると [音楽] 1 番古い記録はローマ工程のネロ。あのね悪徳皇帝で有ネロが闘技場で検闘士グラディエーターが戦う時にそれを見るためにエメラルドのレンズを用いていたという記録が残ってるんですよ。 うん。 まずなんておしゃれなものでお高いものでっていうのと望遠鏡的に使ってたってことになるのかしら。 いや、そうじゃなくてもこれはね、日差しから目を守るための今のサングラスみたいな役割で使ってたみたいなのでなのでね、菌糸用とかね、老眼用のいわゆる視力を補うためのメガネではなかったみたいなんですよね。 へえ。 でもってね、13 世紀頃になるとドイツの修導士が石とか水晶とかで作った半球型こういう下って切ってこう上だけこう丸いみたいなそういうね本の上に置くとさ、そういうの文字が大きくなるじゃないですか。 これをこういう形のものを本の上に置くと文字が大きくなるぞっていうのを発見して小さな文字読む時にレンズを本の上に置いて持用持ちいい始めたんですけどだからまこれが最初のメガネだっていう風に言われてるんですよね。ま、ロ眼鏡代わりというか当時はなんかリーディングストーって呼ばれたらしいんですけどこんななんか玉をね、半分に切ったみたいな文人みたいなものなのでだから今で言うとメガネというよりはま、ルーペみたいな役割を果たしていたわけなんですね。 [音楽] うん。 でも今もほらペンダントタイムの眼鏡ループとかあるなのでね、金眼とか眼の人でもま、本が読めるっていうで宝したとは思うんですけれども。 ただね、面白いのが当時のヨーロッパてほらキリスト教が盛の頃なので目が見えなくなるのも神が与えた試練なんだからそのまま耐えるべきだという風に考える人が多くてリーディングストーンっていうのが悪魔の道具だっていう風に考えられていたらしいんですよ。 [笑い] ま、ある意味悪魔的な道具でもう話せられないんですけどね。 1回使っちゃうとね。そう ね。もうね、こんな便利なものないもんね。うん。だから、ま、でも悪魔の道具とは言わながらね、ラトちゃん見てやっぱり便利なのでね。 そうなのでイタリアあたりなんかでほらガラス光が盛だったのでやっぱガラスで作るレンズの技術ってのがどんどん高くなっていったので、ま、その辺りイタリアのそういうねガラス技術の進歩と相って、ま、ヨーロッパ中に広っていったんじゃないかって言われてるんですね。 ただ当時のメガネっていうのは手に持つタイプか鼻の頭に乗せるタイプしかなかったんですよ。 さっき言ったね、足のメガネだって言われてるものもあとね、ク山の東宮のね、博物館にね、徳川ウェアスが使ったメガネっていうのが残ってるんですけど、それもね、レンズがあって口はついてるんですけど、耳に引っかけるようにはなってないので、やっぱ手に持つか鼻に乗せて使うタイプなんですよね。 あ、で、イアスのメガネはスペインの施設から健上された輸有入品にございます。うん。うん。 で、もってね、西洋人はいいですよ。鼻高いんでね、鼻に乗っける女神と、ま、なんとか使えたと思うんですけど、日本人ですよ。 日本人はそんな西洋人みたいに反高くないんでね、鼻に乗っけるって言ってもなかなか難しかったんじゃないかと思われるので。なので、ま、言いもね、メガネ使う時はこう絶対手で持ってたと思うんですよね。鼻には乗っからなかったんじゃないかなと思うんですよね。だ、まだそれぐらいまで耳にという発想は全然なかったってことなんだろうね。ここでていうことになって。 そう、そう。ここに引っかけて乗っけてっていうね。 で、17 世紀になるとようやく西洋の方でも眼鏡の縁に穴を開けて、で、そこに紐を通して耳にかけるという形のメガネが誕生したんですよ。ちょうど、ま、江戸時代の頃なんで、だから江戸時代には、ま、日本にもこの形のものが入ってきたんですけれども、でもさ、いくら縁にね、ペタンとしたメガネの縁にね、穴開けてね、耳にかけるようにしたって言っても、西洋人はいいよ。堀が深いから。別にこういうね、奥目のとこの前に眼鏡ネが来たって目とぶかりませんよ。 でもね、ひべったいメガネをね、顔に当てて、それで日本人がこうやってね、つるにすると眼ガネと目がぶつかっちゃうわけですよ。やっぱり平たい顔の民族だから。うん。うん。 そうなのよ。 だから、あの、昔ほら、よくドラマとかでさ、イギリス人がモノくる片メガネをかけてるドラマとかさ、あってかっこいいとかっていうのがあったんですけど、あれ日本人そのまま書けようと思って絶対無理ですからね。絶対目にぶつかるからね。 確かに。 あれってどうしてんの?ここに挟んでんの? そう。ここの掘が深いからこの中にカポっと入れても目とぶつからないわけよ。人 でも日本人は絶対無理だからまずカポっとはまるほどの掘りないし乗っからないしそもそもなのでここでだからね登場するのが長崎の職人さんたちなんですよ。 物づり日本を舐めてもらっちゃ困りますよ。 長崎の職人さんたちはなんと国産のメガネを作っちゃっただけじゃなく平たい顔のね、民族の日本人にもちゃんとメガネがかけられるように鼻当てというものを発明したんですよ。 え、鼻当て何? いやいや。だからほら、あの今でも眼ガネのここに鼻と眼ガネの間に小さいなついてるじゃないですか。これ鼻当てです。これだから当これ繋がってたんですよ。ここにこう 1 個ずつじゃなくてここにこういう風ちょっとこう繋ぐとそこで引っかかるからね。 だから女神落ちないし目とぶつからないっていうね、画期的な発明なんですけど、しかも、ま、江戸時代の中期になると凸ズの老眼用のメガネとそれから表が凸ズで裏がオレンズになってる金願用のメガネっていうのもね、両方作られるようになっていたんですよね。ただあの日本の場合ガラスが輸入品だったので基本的には、ま、国産の水晶を磨いて、え、それでメガネのレンズを作ってたんですね。 うん。 しかもメガの光とかね、水牛の骨とか輸乳品多かったので、ま、やはりお値段の方はかなり高かったですよね。 [音楽] ま、後になるとね、クジの骨とかを使うようになって、全て国産でメガネを作るようにもなっていったので、ま、だんだん庶民の人にも手に入りやすくはなっていったんですけれども、ただでも江戸の初期の頃はね、もう輸入費がなかったんで、大名とか超お金持ちぐらいしかメガネなんか手に入れられなかったんですけれども、それでも 3大将軍の家光ぐらいの頃になると 3年間で6 万コもメガネが輸入されたという記録があるので、やっぱむちゃくちゃ輸入されていたっていうのは確かなんですよね。 それだけやっぱ必要とされていたことで江戸時代を通してメガネっていうのはまかなり上位の輸入品目でもあったらしいですよね。 うん。 でもね、当時江戸の東初長崎でしか作られていなかった国産のメガネっていうのが江戸の中期ぐらいになってくると江戸とか大阪とか京都なんかでも作られるようになっていったので高いとはいえ裕福な庶民なら手の届くものにはなっていったんですよね。 いや、さんとかもそれぐらいにこう江戸時代にだーってこう普及されてるやつをまあまあお金持ちなんだからずっとつけてるっていう感じなんです。 そういう感じですね。うん。だからさんだけじゃなくて他にもお金持ちのご引居さんの老眼になった人がメ鏡ネかけてたりとかっていうのもあったと思うんですね。だからお高いものではあるけれどもかけてる人が珍しいってほどではないぐらいのものではあったんですね。みんな知ってるしメ鏡ネかけてる人を見てもびっくりはしないけどただあ金あるんだな。 なってちょっと思われるみたいなそ感じですね。貧乏人はなかなか買えないっていうぐらいのレベルではて感じですね。でもそういえばね、江戸時代ってね、目上の人の前ではメガネをかけないのが礼儀だっていう考え方があったらしいんですよ。だからドラマみたいにさんが四く自中メガネをかけてるのは若干おかしいんですよね。本来だったら本読む時とか張り仕事する時とか必要な時だけメガネをかけるという形がま、一般的ではあったみたいなんですよね。 [音楽] あれはね、K さん、メガネッコってキャラ付けのためだと思うので、ま、なのでドラマのね、そういう意味ではいいんだけれども、もし本当にスタジオの奥さんメ鏡ネかけてるとするとあんだけ美人なんだしね。普段はかけない。本読むとか仕事する時だけかけるみたいなね、旦那様の前とかお客様の前ではかけなかったのがまあまあ江戸の礼儀ではあったってこと。 へえ。でもなんか逆に言うとその方が顔がよくわかんないし見ようとしたらちょっとこんな風になるから失礼じゃないと思っちゃうけどそうじゃなかったんだ。 昔の考え方としては。 そうね。今でもさ、韓国なんかでさ、ちょっと話は違うけど、男の人がさ、上司がいる時にお酒飲む時はちょっと隠して横向いて飲んだりするのが礼儀だみたいな。お酒飲むのは目上の人の前でそういうのをするのはたないみたいな考え方があるんですけど、それとちょっと似たような感じでメガネっていうのは便利なもんだけども、目上の人がいる時にかけるもんではないみたいな考え方だったらしいんで。 なので、ま、仕事の、男の人なんかが仕事の時はね、仕事でいるからていうのかけたでしょうけど、さんなんかもだからお客様の前に出るのはさんの仕事では実はないんだね。いわゆるお内緒っていうのは裏の仕事だからね。だから裏で、ま、仕事の時にかけるのはいいでしょうけど、お客様のね、言ったらやり取りする時には実はかけない方が礼儀ではあったってことなんですね。 うん。うん。 旦那さんが重だからその辺知らないっていうそういう可能性もあると思うんですけど、 あとね、江戸のね、中期ぐらいになると江戸でもメガネ屋ができたってね、いう風に、ま、言ったんですけども、ただそれでもね、メガネってやっぱなかなかの高級品なので、メガネ専門店っていう形ではなかったんですよ。やっぱメガネだけ 1 本では商売り立たなかったらしいんですよね。 なので、ま、鏡とかさ、水晶とかさ、時計とかさ、オランダりのちょっとしたな輸入品なんかと一緒に扱う、ま、高級点みたいなのが多かったみたいなんですよね。だからんですかね。今で言うとハイブランドな店にさ、靴とかバッグアクセサリーが並んでる中にメガネもあるみたいな。なんかそんな感じ。お高いお店に行ってあら、メガネもあるんだ。だから高級品の一角みたいな扱いって感じなんですよね。 なのでね、やっぱ国産品が作られるようになったとはいえ、メガネというのは高級品ばかりを取り扱うお店の一角に並べられる高級品の 1つっていう感じではあったみたいです。 うん。 でもってね、スタジオの頃のメ鏡ネの値段は分からないんですけど、ちょい後の争里発見を書いた極定罰金、滝沢罰金っていうのがいるじゃないですか。あの人がね、晩年に目が見えなくなったんで眼鏡ネを扱えてるんですよね。 その時の値段が1両1 部だったと書かれているので、ま、大体 15 万円前後になるのかなと思うんですよね。ま、でも算の場合はおそらく老眼じゃなくてね、金がでしょうかね。禁止でしょうかね。だから禁止の方がつくの難しいんで、もっと高かったと考えるとは数十万ぐらいはね、したメガネなんじゃないかなと思いますね。 あとね、あの、メガ自体やっぱお高いものだったんですけれども、メガネの縁とかあと紐を交換したりするメガネの業商人っていう人はいたんですよね。さすがエコ大国江戸時代でございます。壊れてもすぐに新しいのを買ったりはしないですね。何でも直して使っていたわけ。 うん。うん。 あ、そこら辺はね、ちゃんと考えてそういうことがすぐできるようにもなってるっていうところは素晴らしいよね。 うん。 高いもんだからね。そうそう。買い換えるわけにはいかないんですよね。特に連が高いですからね。 うん。うん。 うん。なんかそれ以外はなんとか直してなんかそこ色つけたりしたらちょっと可愛いかもしれない。 そうですね。はい。ということでね、今日は江戸時代のメガネについてお話してみました。江戸時代にも国産のメガネはあったんですけど、かなり高級品ではあったってことが分かっていただけましたでしょうか。今日の動画面白かったという方はチャンネル登録グッドボタンをよろしくお願いいたします。 なんかね、ドラマのことで疑問に思った ことをコメントへ書いてくださるとそれを 桐リさんがXでも呟いてくれることもある と思いますのでXのチェックの方も よろしくお願いします。 きさんは多分なんとく言っただけだと思うけど最初の方にちらっと言った足か眼鏡と銀格じが気になって気になってしょうがないとなったそこのあなた是非メンバーシップ そこ え何と思ったもんだってなんか国が大変やのに幻格で作ってたって意味わからん むっちゃおもろいめっちゃおもろい人ですよで奥さんは奥さんで金かししてるしねんですよ。 ま、それはね、またあの、なんて言うんでしょうかね。室町時代のタイガドラマでも出てきたらつのこと次の動画でお目にかかりましょう。 [笑い] 花のランとかね、あの辺り でもさ、メガネのツル直すって今の日本人だとあんまりね、ピンと来ないかもしれないんですけど、昔中国でね、留学した時に何でも修理屋さんみたいな屋台があるんですよ。 で、メガネのここのね、これが取れて、このネジの氷止めてるネジが取れて、ネジを変えてもらうだけに 23元だからなんか30円、40 円なんかそれくらいだったんですよね。あとこう鼻当てなんかも取れちゃってそれもなんかやっぱり 230円で交換してもらったんで。 だから、あの、当時ね、中国ってさ、ま、 今もそうかもしれないけど、あの、バスに 乗るにしろ、電車に乗るにしろ、もう人の なんかこういうのを押しのけ、もうなんか このなんかみんながこう集まってくる中、 もう本当になんていうか戦いながらこの もう競技みたいな感じで乗らなきゃいけ ないで、よくメガネがぶっ飛んで壊れる ことがあったんですよね。だからメガネの 修理屋さんは結構どこにでもあって、よく あの街中でもこの辺をガムテープで ぐるぐる負けてしてる人とかもよく見たん で、だから230円の修繕品を出せない ような人たもいる。 ような時代だったのでなのでね、なかなか何でもかんでも修理屋さんってのがよくましたね。 素晴らしい。今だったらね、なんかもうその日のうちにもう眼鏡ネとかもね、できたりとかするところがすごいっぱいあるけど、昔ってなんか違ったもんね。眼鏡ネをまずレンズ考えてどうのってね、すごい大変なんでしょ。 まあ、今ね、私もリーディンググラスは使っておりますが、目がいいんで、そういうメガネを作ったことがないからでも高いんでしょ。フレームとかもめっちゃ そう。今はね、安いのも出てきたけどね。昔は高かったですよね。全部来いでやるからね。お、 私さ、今は白内症の手としてちょっと主力良くなってんけど、それはそれはドキンガでレンズも 1番高いのでしか作れなかったのに。 だからね、強いとね、規製品ないんですよ。特徴になっちゃうんですよ。で、私の金が眼は金が眼って言っても軽いんで寄制品でいけるんで、そこまで高くないんだけど、なんか 1万とか2 万のレンズがあるんだけど特中のレンズはそんな安いのないんですよね、やっぱり。 なんとね、片側5万。 ええ、 だからフレーム1番安い9000 円とかのにしてもね、10万コすんね。 だからさっきのメガネの値段聞いてそれぐらいするよねと思いながら聞いてた。 それでもだからやっぱりそのえってなったらやっぱ高いと思うよ。今寄品があるから安いけどね。だからメガネは今でもね、当時と同じにしようと思ったら下手したら [音楽] 100万ぐらいのメガネもあるもんね。 うん。 レンズ自体はね、そこまで高くなくても、まあ、フレームはもう高いのは何ぼでも高いからね。 だから当時としても国産のクジの骨とかなら安かったかしれないけど、それこそね、白の輸入品とかになったらもっと 100両、200 量って途端に跳ね上がったでしょうからね。 で、しかも国産品の水晶、今だったら水晶の方が高いけど水晶を磨いたやつよりもガラスのね、そういう輸入品で作ったらそれこそ下手したらね、占行くんってメガネもあったかもしんないよね。うん。それくらいやっぱり眼鏡ネはね、昔から高いものではあったみたいですね。 [笑い] あ、銀格時が気になって話がいまいち入って気になる。 銀格寺はじゃあ今度京都に行った時でも個人的に銀格ジの節してあげるよ。それいいな。 それなんかそんなスペシャルじゃん。 ほんまや。そん時はしますんで皆さんお楽しみ。 [笑い] [音楽] [拍手] [音楽]
23 Comments
日本最古と言われている大徳寺の眼鏡も久能山東照宮にある眼鏡も共に国宝ですよね。久能山東照宮博物館にある眼鏡は実物を見たことがあります。
大河ドラマで眼鏡をずっとかけているのは当時としてはなかったという話を川合さんがされていたけれど、こういう史実に基づくことをきちんと指摘したいただくことが大事だと思います。
きりゅーさーん
銀閣寺教えてください!
夜も眠れません笑
眼鏡の歴史、興味深かったです。私はド近眼なので江戸時代に生きていたら何も見えず生きていかれなかったのでは?と思いました。
ところで室町時代といえば大泉洋さんが出られた「室町無頼」という映画がありますが、きりゅうさんはご覧になりましたか。
松坂桃李さんの演られた種痘に尽力された医師の映画などご覧になられていましたら感想や解説など伺えれば嬉しいです。
メガネの歴史とても面白いですね
静岡市内のメガネ屋で家康のメガネを見たことがあります
(たぶんレプリカ)
足利義政のメガネが本物だったら歴史が変わりますね
欧州在住、こちらで売ってるメガネは通常「鼻当て」ありません(特注はできるらしい)ので、フレーム選びに苦労してます🥲
宝石貴金属時計眼鏡…そういう高級な店って、ありましたよね
忍たま乱太郎の眼鏡も高級品だったのでしょうか
ザビエルってインドでミイラになった人か
眼鏡、気になっていたので取り上げて頂きありがとうございます😊️ てっきり江戸時代になってから長崎へ持ち込まれたのが始まりかと想像していました。まさかのザビエルだったとは😮 もし、信長が近視だったら家康よりも先にいくつも作らせたでしょうね🤓️
私もく~さんと同じく眼鏡には大枚をはたいておりましたが、白内障手術で近視はちょっと良くなりました。日本の技術はやっぱりたいしたもので、同じものを作るとそれでも日本の方が質が良くお安いです。
今回も解説ありがとうございます。
足利眼鏡、存じませんでした。眼鏡に限らず身の回りの色々なものが以外に古くから有ったお話はなんだか楽しいです。
江戸時代の眼鏡のお値段を踏まえると、おていさんの学問の為にどれだけの期待が寄せられていたか、お店はかつてどれほど繁盛していたか窺えますね。そのお店を傾けた元旦那はとんでもねぇろくでなしですね。
今回は蔦重と鶴屋、京伝と春町と一度はやりあった者同士が協力して新作を生み出して売りだしていくのが素晴らしかったですね。「巡る縁なら怨より恩」って言葉がそのまま形になっていくようで…怨が巡る政局も楽しみではありますがw
平たい顔族wwwww。還暦が近付いたこの頃、老眼が進んで眼鏡をかけていると字が書けなくなりました…(ノД`)・゜・。
中学生からメガネ高校生からはコンタクトなので、メガネを作ってくれた先人様に感謝❤ド近眼ですが、枕元に置いたメガネを子どもに折られてから、夜はサウナ用度付きメガネを使ってます。➖7.00でも5,000円くらいで買えます。老眼も進んできてリーディンググラス検討中。ラットちゃんがリーディンググラスでおしゃれしてるのを見て可愛い❤と思ってました。『魔女の宅急便』の角野栄子さんのお洒落なメガネおばあちゃんっぷりも憧れます。リーディンググラス選びも楽しそう❤
今回はメガネを外したテイ芸者が美人だったなと
晩年の足利義政は卒中で倒れた後、半身不随になってからは花押が書けなくなっても印判を用いて意地でも政務を手放さなかったと聞きますから、眼鏡で熱心に行政文書を読んでた義政というのもさもありなんです(これは美談ではなく、さっさと義尚に政務を委譲してれば良かったのですが・・・)
ド近眼なのもありまして、めっちゃ面白かったです︎︎👍✨✨✨
私の眼鏡は6万円です
6万円でも今の私にとっては高級品なので壊さないように無くさないようにめっちゃ大事に使っています😂
昔作った眼鏡を、老眼鏡のスペアにしようと思っています。鼻当てが恐ろしく変色していたので、交換を頼んだらやってくれました。またかけるのが楽しみです。
朝井まかてさんを読破しようと思いまして、今回『グッドバイ』を読みました。「龍馬伝」で余貴美子さんが演じていた大浦慶さんを描いているのですが、凄くわくわくしましたし、キーッともなりました。幕末から開国にかけて、海沿いの地域に暮らしていたら、なかなか平凡には暮らせなかったんだろうな、と今は思います。
国芳の浮世絵がマネに描き込んであるのを知って、うれしくなりました。
立川志らくさんが、落語家は高座に上がる時は眼鏡をはずすことになってる(かけたままのひともいますが)と言っていましたが、江戸の名残なのかもしれないですね。
新九郎奔る がドラマ化されるとそのへんのお話ができそうですが(笑)
まぁ義政はこれまで言われてるほど政治に興味を失ってたわけでもないってのが最近の説のようです。
きりゅうさんと行く!歴史ツアー!みたいな企画あったら行きたい😆
老舗のメガネ屋さんだと薬局と一緒になってる場合があるので昔は薬種問屋なんかで売ってたのかなと思ってましたが、そういう訳でもないんですね。
室町大河。「新九郎奔る」をやってほしくて色んな所のアンケートに書いてます
小学生の時から半世紀くらいメガネかけてます、初めてメガネを作ったときは三万円くらいしましたがすぐに度が進んで作り替えた事を思い出します。一時期格安眼鏡屋が流行って何個も作りましたね。近眼のおかげで?老眼が他の人より進みが遅かったのが救いでしょうか。昨今は近+老眼のメガネレンズで眼鏡を作れるので楽になりました〜〜!!車運転用の遠くが見える+近くが見えるレンズも作れるようになって本当にありがたいですね〜!!
すみません💦タイトルからあまり乗り気でなく視聴しましたが、すごくおもしろかったです😂さすがきりゅうさん👏🏻👏🏻👏🏻さすがかしまし歴史チャンネルです😊恐れ入りました🙇🏻🙇🏻🙇🏻癖になる〜♪