PROFILE: 米NYクイーンズ出身のプロデューサー、ボーカリスト、DJ、ビジュアルアーティスト、イラストレーターとして活躍するイェジ(Yaeji 本名:キャシー・イェジ・リー)。韓国のインディーロックとエレクトロニカ、1990年代後半〜2000年代初頭のヒップホップやR&B、アンダーグラウンドなベースやテクノなどを融合させたハイブリッドなサウンドが特徴。大学在学中に趣味としてDJをスタート、15年の大学卒業後にニューヨークへ移り、17年にデビューEP「Yaeji」を発表。ドレイク「Passionfruit」のリミックスで注目され、次に発表したEP「ep2」も高い評価を得ており、チャーリーxcxのアルバムへの参加、デュア・リパ等のリミックス制作を行い、その後BBC「サウンド・オブ・2018」に選出。23年4月には待望のデビューアルバム「With A Hammer」をリリース。25年3月にシングル「Pondeggi」をリリース。この度アジアツアーの一環として来日公演(8月27日)が決定。
ハウス・ミュージックやヒップホップやR&Bが溶け合うサウンドと、英語と韓国語を自在に行き来する刺激的なボーカルで世界を魅了してきた、韓国系アメリカ人DJ/プロデューサーのイェジ(Yaeji)。ブルックリンを拠点に活動し、ドレイク(Drake)のカバーも収録した「EP2」(2017年)で注目を集めたのち、2023年に満を持して発表したデビュー・アルバム「With A Hammer」でその評価を決定づけた。
そんな彼女が、7月上旬にファションブランド「アクネ ストゥディオズ(ACNE STUDIOS)」のフラッグシップストア移転拡大オープンを祝したイベントのアフターパーティでDJセットを披露するために来日。そのパーティ当日に、貴重な対面インタビューが実現した。
今回の取材テーマは、「人生のサウンドトラック」。これまで夢中になった曲や印象的だったアルバム、そしてそれにまつわるエピソードを訊くことで、彼女のルーツや志向が自然と浮かび上がることを意図した。さらには、8月27日に行われる東京・神田スクエアホールでの来日公演への想いや、次作の構想まで、多岐にわたる話題をたっぷりと語ってもらっている。
なお彼女は、中学時代に日本で一年間暮らしていた経験があり、インタビューでは時折キュートな日本語も織り交ぜながら答えてくれた。
渋谷系からの影響
——今日は「人生のサウンドトラック」というテーマでお話をうかがえればと思っています。まず、子どもの頃はどんな音楽を聴いていました?
イェジ:私が本当に小さいとき——私はニューヨークのクイーンズで生まれたんだけど、その頃は両親がよくラジオを流してて、ビージーズ(Bee Gees)とかサンタナ(Santana)とかを聴いてたの。まだ幼かったから自分の好みもなかったけど、そういう音楽が流れてたのが最初の記憶。
——中でも、特に好きだったり、思い出深かったりする曲はありますか?
イェジ:(日本語で)“覚えてないんですけど……”。
——(笑)では、初めて自分で発見した音楽というと?
イェジ:それは、たぶん中学生のとき。インターネットにアクセスできるようになったから。ちょうどその時期に、家族で韓国に引っ越して。私にとっては初めての韓国で、韓国の文化をいろいろ学んでた。韓国のネットって、当時も今も独自の仕組みや文化があって。例えばNAVERカフェ(*大手IT企業のNAVER社が運営するコミュニティーサイト)っていうのがあって、そこでサブカルチャーに触れることができたの。
そこには、日記をデコったり、部屋を飾ったりするのが好きな女の子たちが集まっていて。そういう子たちは、渋谷系の音楽をたくさん聴いてた。ちょうどその頃、渋谷系が韓国でも流行ってたから、それに影響を受けた韓国のバンドもけっこういて。例えばクラジクワイ・プロジェクト(CLAZZIQUAI PROJECT)は韓国のバンドだけど、ファンタスティック・プラスティック・マシーン(FANTASTIC PLASTIC MACIHNE)の影響を受けてたんじゃないかな。
そういう流れで私は、たぶん初めてエレクトロニック・ミュージックとかダンス・ミュージックに出会ったんだと思う。でも私にとってそれは、単なる音楽以上のものだった。日記を書いたり、部屋を飾ったりするサブカルチャー全体が、すごく魅力的だったから。
——今振り返って、「自分の人生を最も変えた」と感じる音楽は何でしょうか?
イェジ:ほんとにたくさんあるし、その時々で違うんだけど。でも最近は、ちょうど大学時代のことを思い出してるタイミングで。大学ではラジオ局に入ってて、ダンス・ミュージックをたくさん聴いてたの。特に覚えてるのが、リトル・ドラゴン(Little Dragon)の「Nabuma Rubberband」。リトル・ドラゴンってバンド形式ではあったんだけど、音楽はすごくエレクトロニックで、ダンス・ミュージックだったんだよね。彼らの曲はただの“ソング”じゃなくて、“トラック”としても聴けるし、DJセットにも混ぜやすい。いろんな要素が一曲に詰まっていて、「音楽って何にでもなれるんだ」と気づかせてくれた。だからリスナーとしてもアーティストとしても、すごく視野が広がったと思う。特に印象深かったのは「Only One」って曲。ハウス・パーティーでこの曲をよくかけてたのを覚えてる。
ニューヨークという街の魅力
——イェジさんは韓国や日本に住んでいた時期もありますが、今の拠点はニューヨークですよね。自分にとってニューヨークを象徴する音楽を挙げるとすれば?
イェジ:オー・マイ・ゴッド! スマホ見てもいい?(しばらくスマホで探して)私は大学を卒業してニューヨークに戻ってきたとき、ディゲブル・プラネッツ(Digable Planets)の「Blowout Comb」っていうアルバムをよく聴いてた。ブルックリンに住んでたんだけど、彼らもブルックリン出身だからっていうのもあって。彼らは特定の地区のことを歌ったり、話したりしてて、ストーリー仕立てのラップをしてる。あれは1990年代の作品で、今とは全然違う時代だった。だから街を歩きながら、タイムトラベルしてるみたいな気分になれるの。そういう意味で、ニューヨークを象徴する作品だと思う。
——では、あなたにとって、ニューヨークとはどんな街だと言えますか?
イェジ:ニューヨークって、本当にチャレンジングな街だと思う。ニューヨークに戻ったのは、生まれた場所なのに、ほとんど記憶がなかったから。それで好奇心で行ってみたら、人生でずっと“場違い”だと感じてきた理由が分かった気がした。
アメリカでは、まだ小さいころにニューヨークからアトランタに引っ越して、唯一の有色人種として過ごした。次に韓国に行ったけど、韓国語ができなくて、変な子扱いされた。それから日本に行って、日本語も話せなかったし、日本にある韓国学校に通ってたから、もうすごく混乱してた。いつもアウトサイダーだったの。
でもニューヨークに戻ったときに、「あ、ここではそんなこと関係ないんだ」って心から思えた。ここには本当にあらゆる人がいるから。そういう意味では、世界で最もオープンマインドな場所の一つだと思う。でも同時に、狭い場所にいろんな人が密集してるからこそ、衝突も共存も、日々目の当たりにするんだよね。毎日毎日、暴力的なこともあれば、「あなたきれいね」「どこ出身なの?」って声をかけられることもあるし、とにかくいろんなことが起きる。
だからすごくチャレンジングで、極端な街。でもそれが、この街の美しさでもあると思う。だから私にとってニューヨークに戻ってくることには、大きな意味がある。この世界をより大きな視点で見ることを思い出させてくれるから。韓国で起きてることだけじゃなくて、韓国って、すごくバブルというか、閉じた空間みたいだから。でもニューヨークにいると、「世界は本当に広くて、みんな違うんだ」っていうことを実感できるっていう。
日本で印象に残っている音楽
——では、日本で暮らしていた時期でも、最近の来日時の話でもいいんですけど、日本での記憶と深く結びついている曲やアルバムは?
イェジ:日本で暮らしてたときの思い出でいうと、あの頃はめちゃくちゃロックを聴いてた。ELLEGARDEN(エルレガーデン)とか、BUMP OF CHICKEN(バンプ・オブ・チキン)とか。まさにそういう時代だったから。
——中学生のときですよね。
イェジ:(日本語で)“うんうん、中学のとき”。で、あとは同じジャンルで……フォール・アウト・ボーイ(Fall Out Boy)とか、グリーン・デイ(Green Day)かな。マイ・ケミカル・ロマンス(My Chemical Romance)も。とにかくロック。私がロックにハマってた唯一の時期って、日本にいたときだった気がする(笑)。あと、そんなにたくさんじゃないけど、orange pekoe(オレンジ・ペコー)とか、YMOとかも聴いてた。時系列はちょっとバラバラだけど。それとASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン・カンフー・ジェネレーション)のコンピレーションも覚えてる。
——その中で、特にお気に入りだったアルバムや曲はありますか?
イェジ:いっぱいある。でも、スマホが必要かも。ちょっと確認してみるから、あとで見つけてから教えてもいい?
————ええ、もちろん。(※インタビュー後にスマホで見せてくれたのは、ファンタスティック・プラスティック・マシーンのプレイリストだった)
「With A Hammer」について
——「With A Hammer」は、まさにハンマーで心の鎖を叩き割るように、これまで自分の内面に押し込めていた“怒り”を解き放つことで生まれた作品で、自己解放がテーマになっています。あなたが音楽による自己解放を最初に強く実感したのは、誰のどの作品でしたか?
イェジ:音楽じゃなくてもいい? その感覚をくれたのが、音楽じゃなかったかもしれないんだけど。
——もちろん大丈夫です。
イェジ:「With A Hammer」の制作が始まったのは、コロナ禍、つまりロックダウン中だった。その頃、いろんな抗議運動が起きていて。例えばブラック・ライブズ・マターとか、ストップ・エイジアン・ヘイトとか。私は実際に街に出て、その抗議運動を目にして、参加もしてた。そのときに怒りを、激しい怒りを感じた。日常の小さな怒りとは違う、本当の怒りを感じたのはあのときが初めてだった。で、「なんでこれまで、この感情に気づかなかったんだろう?」って考えたの。
それで私は、感情をすごく抑圧する文化的な環境で育ってきたことに気づいた。私自身の性格もすごくシャイで、抑え込むタイプだし。友達もいなかったし、いじめられることも多くて。だからいつも自分の中に閉じこもってた。自分のことも好きじゃなかった。だから、自分を守ろうって気持ちがなくて、怒る理由もなかった。でもブラック・ライヴズ・マターとかストップ・エイジアン・ヘイトを経験して、大事な友人たちがそんな状況に置かれているのを見て、私は怒りを感じた。そして「あ、これは自分自身のための怒りでもあるんだ」って気づいたの。私たちは傷つけられている。それが「With A Hammer」の出発点になったっていう。
——なるほど。
イェジ:で、音楽を作る前に、まず一つの物語を書いて(※と言って、「With A Hammer」をテーマにイェジ自身が制作した本を取り出す)。この本には、友達と一緒に作ったマンガが収録されていて。舞台は質屋。そこに現れるのが、魔法使いの犬、ウーファ。私は彼に「怒りを抑える呪文をかけてほしい」ってお願いするんだけど、彼はちょっと頼りない魔法使いで、呪文がうまくいかなくて、怒りがバーンって口から飛び出してしまう。そしてその怒りは、質屋にあったハンマーに宿る――それが、ハンマー誕生の物語。
で、次に書いたのが、「ハンマーが生まれた後の世界では何が起きるのか」っていう話。ハンマーは自分が生み出した存在だから、私の“子ども”でもある。でも、私はずっと自分の怒りを見ようとしてこなかったから、“敵”かもしれない。このアルバムはその問いの探求であり、「怒りに初めて呼吸させたらどうなる?」という実験だったの。
でも結局、全部の曲を書き終えても、私の怒りとは何なのか、まだ分かってなかった。それが1~2年経って、ツアーやインタビューやさまざまな反応を通して、ようやく分かったの。その怒りとは、実は“愛”だったんだと思う。結局、自分を愛することで、他人を愛することも学んだから。ある意味、錬金術みたいなもので、怒りが別のものに変化したっていう。だからこの話は、音楽というより、すごく感情的なインスピレーションの話。まず世界観を作って、そこから音楽が生まれたって感じ。それが、このアルバムの成り立ち。
——とても興味深いです。ただサウンド面にフォーカスして考えたとき、「With A Hammer」に影響を与えた曲やアルバムはあったのでしょうか?
イェジ:アルバムを作るとき、いくつかルールを決めていて。まず一つは、今話したみたいに、「音楽作りからじゃなくて、世界観を作るところから始める」ってこと。で、もう一つのルールは、「他の音楽を聴かない」ってこと。というのも、私はほんとにスポンジみたいな性質で、一つのアルバムとかアーティストを聴くと、すぐにめちゃくちゃ影響されちゃうから。もちろん、どんなアートも何かしらに影響を受けてるし、私が作るものだって、どこかから来てるのは確か。でも、「このアーティストばっかり聴いてたから、こんな感じになったんだね」って明確に見えるのは避けたかった。
——もっとオーガニックに、自分の中で自然に混ざるようにしたかった、と。
イェジ:だから制作の初期には、あまり音楽は聴かないようにしていて。でも結果的に、このアルバムにはいろんな影響が入ってる。途中からは、韓国のちょっと古いアーティストを聴き始めて――名前をちょっと思い出せないんだけど、たぶん90年代くらいのアーティストたち。私の音楽とはジャンルが違うけど、90年代のバラードやロックには、もっと感情が詰まっていて、生々しさがある。特に東アジア――韓国、日本、台湾のバラードは、生々しくて感情表現が豊か。そういうのがすごく好きで、よく聴いてたのを覚えてる。
——他にも聴いていたものはありますか?
イェジ:昔の曲をけっこう聴いてたと思う。コロナのときって、みんなあんまり新しい音楽を聴いてなかったでしょ? 心が疲れてて、ノスタルジックなものばかり求めてたから。私もそうで、子どものころによく聴いてたミッシー・エリオット(Missy Elliott)とか、ボーン・サグズン・ハーモニー(Bone Thugs-N-Harmony)とか、エイコン(Akon)、キッド・カディ(Kid Cudi)とかを聴いてた。ソランジュ(Solange)の最近のアルバムも、その時期すごく気に入ってたな。
それと、クラシックな渋谷系はずっと聴いてるし、当時も変わらず聴いてた。私はゲームもよくやるから、ゲーム音楽もよく聴いてて。「ボンバーマン」って、すごく音楽がいいの。韓国のRPGにも、良い音楽がたくさんある。だから、たぶんちょっとずつ全部が混ざってる感じ。でも私は影響を受けやすいから、アルバムを作るときは、何を聴くかはすごく意識的に選ぶようにしてるの。
——「With a Hammer」では、ジャングルやトリップホップも取り入れていますよね。
イェジ:うん、確かに。
——ジャングルやトリップホップは、90年代イギリスの移民コミュニティーやマイノリティーの自己表現とも結びついていますよね。韓国系アメリカ人という移民系のマイノリティーであるあなたが、そういったサウンドを「With A Hammer」に取り入れるにあたって、その社会的な文脈については意識していましたか?
イェジ:うん、(ジャングルやトリップホップを)ジャンルとして強く意識してたわけじゃないけど、確かにそう。例えばコロナ禍に2年くらいNTSの番組でDJをやってたときは、ルールとして、マイノリティーのアーティストの音楽だけを流すって決めてた。有色人種とか、クィアとか、社会的に過小評価されてる存在とか。そういう意味では、ちゃんと考えてたと思う。ジャングルの歴史とか、テクノの歴史も理解してるつもりだし。ちょっと忘れてたけど、トリップホップは少し前に親しい仲間と聴き直してた時期があって。トリップホップって、感情的なんだけど、ちょっと違う感じの情緒があるんだよね。
——そうですね。
イェジ:それで思い出したんだけど、「With A Hammer」を作って気づいたことがあって。「韓国語と英語で歌ってるけど、なんで?」とよく聞かれるんだけど、最初は「その方が気持ちをうまく表現できるから」って答えてた。でも「With A Hammer」を作るうちに気づいたのは、「音そのものが、言葉を超えた言語なんだ」ってこと。トリップホップとか、90年代の東アジアのバラードも、歌詞以上の感情を伝えてくれる音楽だと思う。
——あなたの音楽もそうですよね。韓国語が理解できなくても、伝わってくるものがあります。
イェジ:そうやって伝えられる自分って、すごく恵まれてると思う。音楽を作れていること自体に、私はすごく感謝してるの。うん、だから、指摘してくれたように、確かに私はトリップホップも聴いてた。
来日公演と新作の展望
——今年3月にリリースした最新シングル「Pondeggi」は、韓国の伝統的なストリートフードと、子どもがする遊びのリズムに影響を受けたとのことですが、具体的にどのように生まれた曲なのか教えてください。
イェジ:何年か前に、DJ/プロデューサー仲間の友達と「ああいう(子どもがする)ゲームがあったよね」って話していて。「それ、曲にしたら面白いんじゃない?」ってなって、1回作ろうとしたことがあったの。しばらく忘れてたけど、最近また話題にのぼって、自然な流れで完成したっていう。
ミュージック・ビデオは、韓国系アメリカ人の映像監督アンドリュー・トーマス・ファンが撮ってくれて、有名な女優のオム・ジョンファも出てくれた。計画してたわけじゃないんだけど、結果的にMVも韓国との深いつながりが生まれた感じ。MVはちょうど私が韓国にいたときに撮影したんだけど、私のおじいちゃんも出演してるの。監督のアンドリューもわざわざ韓国まで来てくれて。あと、韓国系アメリカ人の友達も撮影に参加してくれた。だから本当に美しい偶然の重なりだった。単なる韓国のルーツっていうより、アジア系アメリカ人としての自分のルーツが韓国でつながった。すごく特別な偶然だったと思う。
——「Pondeggi」のミュージック・ビデオには、ハンマーで魔女とラップトップを叩き壊す場面が出てきますが、「With A Hammer」とテーマ的な連続性はあるのでしょうか?
イェジ:私とコラボしてくれる人たちはみんな、ハンマーや、ウーファっていう(日本語で)“犬”のキャラクターにすごく興味を持ってくれる。だから自然とそういうモチーフが出てくるの。「With A Hammer」より前に、韓国のアーティストのヒョゴ(Hyukoh)のオ・ヒョク(OHHYUK)と一緒に作った曲のMVにも、ハンマーが出てくるし。「パックマン」の40周年で曲を作ったときも、MVにウーファが出てきた。なんていうか、それってマルチバース的な世界観だと思ってる。
——2025年も半分が終わり、さまざまなメディアで上半期のベストが発表されています。あなたにとって、25年上半期のベストアルバムやベストソングは?
イェジ:(日本語で)“お~、難しいですね”……今年の作品じゃないけど、日本にいるとき、中島美嘉の「GLAMOROUS SKY」をよく聴いていて。(※同曲が主題歌の映画)「NANA」を観たからだけど。あれは私のカラオケ・ソング(笑)。
——なるほど(笑)。
イェジ:今年のベストは、(日本語で)“ちょっと待ってください”……そうだな、メイ・シモネス(Mei Semones)を紹介するのがいいかも。ニューヨークを拠点にしている、日本人とアメリカ人のミックスのアーティスト。ジャズのバックグラウンドがあって、バンド編成でやっていて。私とはかなり違う音楽だけど、大好きで。すごく独特な感覚がある。(日本語で)“おすすめの曲は”、「Kabutomushi」かな。ミュージック・ビデオもすごくきれい。知り合いなんだけど、文化的な話をするのも面白くて。
——さて、「With A Hammer」ツアーでの来日公演が8月27日に控えていますが、どんなステージを期待していいでしょうか?
イェジ:アジア・ツアーは、「With A Hammer」の(日本語で)“最後のツアーです”。だから、すごくエモーショナルになると思う。アジアにはたくさんリスナーがいるんだけど、欧米から来るとなると、機材やフライト、クルーも8~10人くらいいて、なかなか移動が大変で。でも私としては、韓国、日本、台湾、シンガポールではどうしてもパフォーマンスがしたかった。このショーは、心からみんなと共有したい。だって、ショーやインタビューを通じて、私は自分の中にある怒りに気づけたから。このライブは感謝の気持ちであり、すごくパーソナルな体験をシェアするものになると思う。それに、ライブ・ショーはDJとはまったく違う。私は歌って踊るし。ダンサーが2人いて、LEDスクリーンも使って、演出は全部自分でやってる。だから、楽しんでもらえたら嬉しいな。
——ちなみに、次のアルバムのことって、もう考えてたりしますか?
イェジ:うん、いろいろと。
——具体的には、どういうことを考えているんですか?
イェジ:最近は、ポップだったり、いろんなミュージシャンのために音楽を書いてるの。それって自分のことを考えなくていいから、すごく自由で。ちょっとチージーな曲を作ったり、新しいことを試したりもできるし。それで気づいたのが、次のアルバムはそんなにパーソナルじゃなくてもいいかも、ってこと。「With a Hammer」はすごくパーソナルだった。それはとても大事な経験だったけど、本当に大変だった。まるで出産みたいなもの。だから次のアルバムは、もっと明確な“目的”を持った作品にしたいと思ってる。必ずしも自分自身について語るのではなく、その目的を推し進めるための“手段”に自分がなれたらなって。
——その“目的”というのは?
イェジ:今、世界は本当にひどい状況だと思ってる。例えばスマートフォンを見ながら過ごす時間が増えたことも、その一つ。そういった習慣は、人々を分断し、感情を麻痺させてしまう。アパシー(無関心、無感動)を生んでしまうの。でも、音楽はその逆で、感情を取り戻す手助けをしてくれる。だから、次のアルバムには「目覚めてほしい」という思いを込めてるの。「起きてー!」って。たとえ胸が張り裂けるような感情だったとしても、それを感じてもらいたい。泣けるほどの気持ちでも構わない。それは、この世界で生きていく中で自然なことだし、ある意味とても美しいことだから。でも同時に、もっとポップで、もっとダンサブルな作品にもしたい。まあ、そう言っても、結局また“変な音楽”になっちゃうかもしれないけど(笑)。それでも、より多くの人が「おっ?」と興味を持ってクリックして、私の世界に足を踏み入れて、何かを感じてもらえたらうれしい。だから、今はとてもワクワクしてる。
PHOTOS:YUKI KAWASHIMA
◾️Yaeji「LIVE WITH A HAMMER ASIA TOUR ’25」
会場:KANDA SQUARE HALL
日程:2025年8月27日
時間:(開場)18:00 /(開演)19:00
チケット料金:スタンディング 9000円
https://tickets.kyodotokyo.com/yaeji/