◆名門武士という神話を打破
歴史上、ろくな氏素性もなしに異例の出世を遂げたのは豊臣秀吉くらいなものと思っていた。が、本書を読むとそれは間違いだと分かる。
源氏の一強体制が確立した中世、地方の武士たちは生き残りを賭けて中央由来の外来勢力と現地勢力との婚姻による融合を進めた。ところがその痕跡を伝えるはずの系図は捏造(ねつぞう)の疑いが濃厚という。武士社会では男系(父系)が尊重されるため、女系(母系)を男系と偽る。藤原氏の女性と結婚すると、自分がもとから藤原氏であったように系譜を書き換えるのである。
その名残が佐藤、伊藤、斎藤など○藤という名字にあると著者は言う。中世武士社会で爆発的に普及した名字は、官職の一字と藤原姓を合成したというのが通説だ。しかし史料を駆使して詳細な分析を行った結果、多くは父と母の姓から一字ずつ抜き出した「二姓合成通称」と著者が呼ぶ手法によるものだという。これは中世の武士社会が、「後世のような男系至上主義ではなく、融合した男系・女系の双方に等しい価値を認めていた証左である」。
驚くのは、院政期、出自不明の人たちが多数出世していることだ。彼らは院の命で貴人の養子になって藤原姓を名乗り、子息たちは近藤姓を名乗る。「近」は院の「近臣」という含意がある。鎌倉幕府の支配者である北条家や安達家の出自も不透明。「頼朝の没後に鎌倉幕府を、ひいては日本国を支配した最高権力者たちが、誰一人として素性のはっきりしない謎の人々だった」。かつて朝廷は「錯綜(さくそう)と混乱を極めて王位簒奪(さんだつ)・王朝交代を繰り返したはずの古代史を大きく隠蔽(いんぺい)・改竄(かいざん)し」『日本書紀』という神話を作った。同様に、「名門武士団の系図もまた“神話”に過ぎない」わけである。
秀吉的な存在がほかにもいたかもと思うと夢と希望が湧いてくる。系図は血統を写したものではなく、どんな「家」を形成したいかという「設計図」なのだ。強固な身分社会とか男系至上主義、その他、種々の思い込みや通説を爽やかに打ち砕いてくれる一冊。
(講談社選書メチエ・2530円)
1978年生まれ。武蔵大教授。古代・中世の礼制と法制・政治の関係史。
◆もう1冊
『武士の起源を解きあかす 混血する古代、創発される中世』桃崎有一郎著(ちくま新書)