こんなに人が亡くなるものだとは思ってもいなかった。
テレビや映画でよく観ていた俳優。贔屓にしていたスポーツ選手。若い頃に感化されたアーティスト。毎年のように、毎月のように、ひどいときは一週間のうちに何人もの訃報を目にするようになった。
身近な、顔なじみとお別れすることも増えてきた。
長生きすることは、すなわち、自分が知っている人で形成されている世界においてマイノリティになっていくことなのだ。
かつて『死者のカタログ』(ニューミュージックマガジン社)という本があった。「ミュージシャンの死とその時代」の副題どおり、50年代、60年代、70年代にこの世を去った(主に)ロック・ミュージシャンたちの死について、カタログ風に構成されたユニークな本だった。1979年の刊行時には、まさか、その翌年にジョン・レノンが、2年後にボブ・マーリーが死ぬなんて誰も想像できなかった。この本が「成立」した時代、ロック文化において、死はまだ特殊だった。死者は圧倒的に少数派だったのだ。
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私は追悼が下手だ。
おくる言葉を心と頭でひねり出しても、その最後に「心からお悔やみ申し上げます」と口にするときの妙にしらじらしい感覚にいつまでも慣れることがない。「天国で●●さんとセッションしてください」なんて恥ずかしくて言えない。私の辞書には、はなからR.I.P.なんて文字はなかった。
そもそも、亡くなった人へのメッセージのはずが、それを読む生きている人たちの目を意識しなきゃいけないなんて、ナンセンスな話ではないか。そう考えると、「追悼ベタ」で上等じゃん、という気にもなる。
もっと自由に追悼したい。訃報に際して、SNSで「いいね」ボタンを押すよりも、もっと冴えた、人それぞれの追悼があってもいいのではないだろうか。
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テリー・ジョンスンは亡くなった人を描く。一目見て、テリーさんが描いたとわかる絵で死者をひたすら描く。どの絵も笑っちゃうほど生き生きしている。そういえば、先に書いた『死者のカタログ』の表紙画もテリーさんが描いていた。
亡くなった人にとって命日は新しい誕生日である、という。信心と縁のない私もこれは悪くない考えかただと思う。テリーさんの画に「自分だったらこう書くだろうな」という新聞の死亡記事欄のような短い文章を寄せた。今月から3ヶ月に渡って、ここエレキングwebで、その一部をご覧いただくことにした。
まずは、「8月」に旅立たれた方々から、ご覧いただきます。
テリーさんに描かれる人生に最大の敬意を。人は死んで星(スター)になる、とは、こういうことだったのかと腑に落ちました。
最後に、テリーさんが提言する「似な顔」の定義を。
「似顔絵としては失敗だけど、絵としては結構面白いというところがポイントでしょうか。つまりあなたがその人をどう見ているかを素直に描けばいいんです。(中略)
その人の印象を線そのものに託せばいいんです」
『決定版 ヘタうま大全集』
(ブルース・インターアクションズ刊)
前田武彦(マルチタレント)
1929年4月3日生まれ。放送作家。開局間もないNHKのラジオ、テレビで番組の構成作家に。裏方では飽き足らず、タレント活動をメインに、「夜のヒットスタジオ」の司会、5歳年下の大橋巨泉とのコンビによる『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』など、毒を含んだ軽妙な喋りで親しまれる。愛称はマエタケ。
1929.4.3-2011.8.5
渥美清(俳優)
1928年3月10日生まれ。俳優。浅草のストリップ小屋でコメディアンとして活躍。バラエティ番組「夢で逢いましょう」で人気者に。69年にはじまった映画「男はつらいよ」シリーズで48作に渡って車寅次郎を演じた。…と思いきや、没後にも49作目「男はつらいよ お帰り 寅さん」が制作された。
1928.3.10−1996.8.4
阿久悠(作詞家)
1937年2月7日生まれ。作詞家。尾崎紀世彦「また逢う日まで」、都はるみ「北の宿から」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンク・レディー「UFO」、八代亜紀「雨の慕情」と5曲のレコード大賞受賞曲を手掛けた、昭和を代表するヒットメイカー。歌詞は直筆で、自身でレタリングした曲名をつけて入稿。
1937.2.7−2007.8.1