米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。
今回のゲストは作家・鈴木涼美。学生時代にAV女優を経験し、その後日経新聞の記者を経て、現在は作家として活躍する。異色なキャリアを歩んできた彼女が、昨年9月に第1子となる女児を出産。母親となった今、女性として生きることの意味や娘への想いを聞いた。(Interview:Naoko Takashima l Photo:Shinya Kato)
どこにいても
“ちょっと場違いな人”だった
――非常に幅広いキャリアを積んできた鈴木さんですが、それぞれの環境でどのような存在だったのでしょうか。
鈴木涼美:どこにいても“ちょっと場違いな人”という感じでした。大学院にいたときは「変に派手で裏で何をやっているかわからない人」と思われていたのではないでしょうか。大学院の図書館の地下に降りていく階段が金属製だったのですが、私だけピンヒールを履いているから、「その音で鈴木が大学に来ると分かる」と言われていました。
AV女優のときやキャバクラ嬢のときは、大学に行っているというだけで当時はすごく珍しかったので、“あの頭の良い人”という感じ。日経新聞に在籍していた当時は元AV女優とは公表していなかったのですが、やはり“拭いきれぬ夜臭”みたいなものがあったようで……後で『週刊文春』に「日経AV記者」と書かれたことがあるのですが、当時記者クラブで一緒に働いていた人の証言が載っていて、「裏で“キャバ嬢”というあだ名で呼ばれていました」と書いてあったので、どこでも色眼鏡で見られていたのだなと思います。
――ご自分が表現したいことと周囲の反応とのギャップを体感して、居心地は良かったのでしょうか、悪かったのでしょうか。
鈴木:私自身は、本来は非情に凡庸な人間なのですが、周囲にどこか“変な人”って思われるのは、楽ではあります。例えばその場の正当なマウンティングや張り合いの外に置かれます。「あの人と私は変わらないのに、あの人が得している」って思うと、みんな嫉妬したり炎上させたりするじゃないですか。だから私が言うぶんにはそんなに怒られない、みたいなところがありました。裏を返せば、私の話はそんなに大真面目ではなく話半分で聞いている、ということだったと思いますが。だから大学院でも、まっとうなゼミ生だったら慎重になるような発言をズケズケ言っても、ちょっと許されるキャラみたいなところはあった気がします。そのキャラに甘えてその場で真剣勝負をしなかったことは、今となっては良いことだったかどうかはわかりませんが、気楽にいろいろな場所に出入りしたかった私にとっては1つの武器だったかもしれません。
女性であることの「旨み」と
出産後に気づいた現実
――女性であることは、これまでのキャリアにどんな影響がありましたか。
鈴木:私は“女性であることの旨み”を利用してきたほうだと思うんです。AV女優やホステスって基本的には女性の特権的な仕事ですし。そういう匂いをずっと持って新聞記者もやっていたし、大学院でも『AV女優の社会学』という論文を書いていたので、ある種、研究者としても女性に特権的な立ち位置から書いているところがありました。ずっと“女性であること”は意識していた気がします。
――上野千鶴子さんとの往復書簡『往復書簡 限界から始まる』(幻冬舎)では、「女性が被害者という顔をしないと、差別について語れないのか」というところから始まっていました。その考え方は今も変わっていませんか。
鈴木:私自身が若いときに、“女であることの得”や“楽しみ”、“喜び”みたいなものを享受した自覚があったので、女性を弱いものとして語る一部フェミニズムの論調にあまりしっくりきていないところがあって。それを上野先生にぶつけました。ただ上野先生が言うには、私は傷や弱いところに目を向けてこなかった、ある種見ないふりをすることで自分の楽しさみたいなものを担保していた、という話だったと思うんですよね。納得するところもあれば、「うーん、でもやはり自分の青春を振り返って、被害者というレッテルはそぐわない」と思ってしまう部分もありました。
去年初めて子供を産んだのですが、私にとってその経験はジェンダーの問題について考え直す良い契機でした。子供を産み育てる局面では、「なんか女のほうが損している」という気持ちになることがよくあります。例えば、私自身が新聞社にいたときには子供を産んでいないから同期の男性と同じ条件で働けていたのですが、子供を持っていた女性が、私のような独身女性と同じ条件であの場所で働けていたとは思いません。
女性であることの“傷の蓄積”に自覚的になるのと、今を楽しむことは相反せず同時進行であり得るんだけど、過度に楽しみばかりを強調すると女性の被害に着目したい人の声をかき消してしまうかもしれない。逆に傷や弱みを強調してばかりいると今女であることを楽しんでいる人たちの空気感を拾えない……書くときに、そこは常に揺れています。ただ、どちらも否定しないように、その間の線を縫うようにして書いている感じがすごくするんですよね。
ライフステージによる
女性同士の分断
――女性であっても、立場の違う同性への共感に難しさを感じるものですね。
鈴木:35歳くらいで学生時代の仲間と集まったりしたとき、女性のほうが(ライフステージによる生活の違いの)幅が広いのを実感しました。男の人は大体働いていて、働いていないということはかなり特殊じゃないですか。女性だと働いている人もいれば、産休中の人もいれば、仕事を辞めた人も、リスキリングみたいなことをしている人もいる。子供がいるのにスーパー出世している人もいれば、子供がいないけど専業主婦という人もいる。バラバラですよね。
エリート女性は専業主婦や水商売の女性よりもエリート男性とのほうが接点がある場合も多い。全く違う生き方をする女性同士には意外と会う機会がない。だから、ずいぶん分断がありますよね。
――ライフステージによる男女の違いを感じた経験はありますか。
鈴木:それこそ35歳くらいのときに同窓会のような大規模な飲み会があったのですが、深夜開催で、男性は既婚者も、子供がいる人もみんな来ていたけど、女性の参加者が少ない。よく見てみると、参加できたのは私のように比較的自由業で、かつ結婚していなくて子供がいない人だけということに気づきました。
既婚で子持ちの男性が当たり前の顔をして参加できているのは、パートナーの女性が夜中に子供を見ているからですよね。男性は子供がいてもそういう場に来られる場合がかなり多いから、社会から疎外されづらいのだと思いました。そういうことから、例えば結婚制度ひとつとっても「得をしている人たちと割りを食っている人たちがいるな」と思うこともありました。
娘に伝えたい
「人間の愚かさを愛すること」
――キャリア1年目の自分に、何かアドバイスするとしたら。
鈴木:「あなたのしていることはすごく間違いだらけで、後悔しか生まないかもしれない。親の言っていることとか、先生の言っていること、友達の言っていることを全部無視して突き進んだその道があなたにとってベストだったとは言えないし、周りのみんなのほうが圧倒的に正しかったと思う。でもその道を進んでも、間違っていても人生は続くわけだし、後悔や傷を抱えて生きちゃいけないわけじゃない。むしろ自分の愚かさや後悔を味わいながら前に進めばいいのだから、大丈夫」、みたいな。
みんなほら、「やらない後悔よりやった後悔」とかって言うけど、やった後悔のほうが全然辛いですよ。だって「いやあ、AV、1回出てみたかったな。やらなかったけど」っていうのは、すごく順当な、人としてのちょっとした若き日の「あんなん憧れたな」で終わるけど、やっちゃった後悔ってマジで取り返しつかないし。私は一生“元AV女優”として生きなきゃいけないわけだから。
だけどまあ、後悔したり間違っていたところで、別にその人自身が終わってしまうわけではないから。将来のことはそんなに考えずにそのときのノリや好みで選択してきた人生は、そこまで……いろんな人に否定されるだろうけど、全否定しなくてもいいんじゃないかなと思いますね。それは別に、20年前の私っていうよりは“20年前の私みたいに愚かな女の子たち”にエールとして思っています。
――これから先、お子様にどんなことを伝えていきたいですか。
鈴木:自分で探し当てるしかない気がしますね。私が何を語っても、そこから学べることは本当に少しで、やはり世界に出ていって学ぶんだろうなと思います。
でも、“愚かさ”みたいなものを否定せずに、人間の愚かさを愛せるような子供になってくれたほうが、“生きていくのが辛い”“この世界を否定したくてしょうがない”という状態でいるよりは良いのかなと思います。
例えば「なんでこんなことやっちゃうんだろう」とか「なんでこんなにお金遣っちゃうんだろう」とか、自分自身の持つ理解不能な愚かなところってあるじゃないですか。“別に人は正しいようには作られていない”ということは教えていきたい。私の生き方を見ていて、彼女がそれを学んでくれるといいなと思います。
自分の愚かさを愛すことができれば、他人の愚かさも愛せるようになるんじゃないかな。自分に大きい負い目というか、「あれは愚者の道だった」と思う過去があると、他者が理解不能でも共存できると思うんですよね。私はやはりいまだに男性のことはよく分からないし、女性に対しても考え方が相容れないなと思う人はいっぱいいるんだけど、別にその人が存在していることが嫌ではないんです。それは、「若いときの私よりはマシ」くらいに思えるから。私は、これまですごく間違った道を歩んできたけれど、それはそれでアリだったかな。私みたいに愚かな女の子たちを見て、苛立ちよりも“楽しかったあの頃”や“愚かさの先にあるもの”を想像できるのは、あの愚かな若い頃のおかげだと思うから。
鈴木涼美
1983年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学在学中にAVデビュー。東京大学大学院修士課程修了後、日本経済新聞社に5年半勤務。現在は作家・エッセイストとして活動。小説『ギフテッド』(文藝春秋)が【第167回芥川賞】候補、『グレイスレス』(文藝春秋)が【第168回芥川賞】候補となる。2024年5月に結婚、同年9月に第一子を出産。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『身体を売ったらサヨウナラ』(幻冬舎)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)、『往復書簡 限界から始まる』(幻冬舎、上野千鶴子との共著)、『不倫論』(平凡社)など。
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