雨が降る音。病室の光。静かな対話。『私たちが光と想うすべて』には、インド映画と聞いて連想するようなミュージカルシーンもなければ、ド派手なアクションシーンもない。そこにあるのは誰もが「知っている」風景ではなく、「感じたことがある」風景だ。

第77回カンヌ国際映画祭でインド映画として初めてグランプリを受賞し、是枝裕和をして「本当は自分だけの宝物にしておきたいけど、こっそりおすすめします」と言わしめた同作を手がけたのは、ムンバイ出身の映画監督、パヤル・カパーリヤー。彼女にとって『私たちが光と想うすべて』は初めての長編劇映画だ。

私たちが光と想うすべて
7月25日(金)より、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開。配給:セテラ・インターナショナル

「不在の家族」の存在感

作品の舞台は、カースト、宗教、言語が交錯するインド・ムンバイ。物語の主人公は、同じ病院で働くプラバとアヌ、パルヴァティだ。

年齢も境遇も異なる3人の女性は、それぞれ人生のゆらぎを抱えている。看護師のプラバは、ドイツで仕事を見つけた夫から音沙汰がないことに悩む。プラバの後輩看護師であるアヌは、恋人がイスラム教徒であることをヒンドゥー教徒の親に打ち明けられずにいる。そして、パルヴァティは夫に先立たれ、都市開発で家を追われ、故郷に帰る決断を迫られているのだ。やがて海辺の村へ帰る決断をするパルヴァティに、プラバとアヌが同行するかたちで3人の人生に変化が生まれる。

インドの映画やテレビでは「理想的な家族」が繰り返し描かれる。しかし、この映画に家族は登場しない。いや、正確には「不在の家族」がその存在感を強く放っている。

アヌは遠くにいる父親のまなざしを恐れている。プラバは夫の影を追い続け、パルヴァティは死んだ夫の責任のなさにいら立ち、呪う。「彼女たちは物理的にはひとりだけれど、男性や家族の影に縛られている。だからわたしは、友情をもうひとつの“家族のかたち”として描きたかったんです」と、監督のカパーリヤーは語る。

映画が静かに提案するのは、“支え合い”というもうひとつの生のかたち。食事をつくる、黙って隣に座る、旅に同行する。そんな日常のなかにゆるやかな連帯が育っていく。

映画『私たちが光と想うすべて』監督インタビュー:雨と沈黙でインドの家父長制を語る

© PETIT CHAOS – CHALK & CHEESE FILMS – BALDR FILM – LES FILMS FAUVES – ARTE FRANCE CINÉMA – 2024

コラージュのように映画をつくる

カパーリヤーの映画づくりの原点は映像編集の視点にある。「母が映像作家で、家でもよく編集をしていたんです。母と映像編集者がずっとリテイクを観ながら座って作業しているのを見て、『これはおもしろそうな仕事だな』と、とても好奇心をかき立てられました」

その視点は、長編映画でも生かされている。彼女は実際に、スマートフォンで撮った断片的な映像や、日常会話の録音などを編集ソフトの画面に並べ、それらの組み合わせから物語の構造を思いつくという。音と映像の無関係な組み合わせが、思いがけず感情や意味を立ち上げることがある。

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