北朝鮮に24年間、幽閉されていた当事者だからこそ書ける北朝鮮の国家的犯罪の真相。日本人拉致の目的、マインドコントロールされる革命教育の実態、抑圧下での生活など、一般の関心が薄れ、拉致問題が風化しつつあるだけに、ぜひ読んでもらいたい1冊である。
1987年7月末、中央大学3年で在学中の蓮池さんは、恋人の祐未子さんとともに新潟県柏崎市中央海岸で拉致された。2002年9月、訪朝した小泉純一郎首相と金正日総書記との首脳会談で、金総書記はようやく日本人拉致の事実を認め、翌月、蓮池さんは他の4人とともに、24年ぶりに母国の土を踏むことができたのである。
この時、日本政府が安否確認を求めた13人に対し、北朝鮮は曽我ひとみさんを加えた14人のうち、「5人生存、8人死亡、1人未入境」と回答した。本書で蓮池さんは、横田めぐみさんを含む死亡とされた人々の安否について、自らの見聞を元に、北朝鮮の説明はでたらめで根拠がないと論破している。
これまで蓮池さんは、拉致問題の内情を公にすることは、現地で生存する拉致被害者の安全に影響するのではないかと危惧していた。しかし、被害者家族の高齢化と「拉致問題風化への懸念」から執筆を決意。本書には初めて明らかにされる事実が多く含まれている。
「用済み」とされた拉致被害者たち
そもそも拉致の目的は何であったのか。当初は、工作員に仕立てるもくろみがあった。蓮池さんは、拉致を企てた朝鮮労働党の秘密工作機関・対外情報調査部の幹部から、「わが国はとても素晴らしい国だ。いろいろ見て聞いて学び、立派な革命家になったらいい」と言い渡された。
蓮池さんは、隔離された招待所での暮らしぶりについて、衣食住にわたり詳述していく。拉致被害者をマインドコントロールするための思想教育とはどのようなものだったか。主体思想の学習が繰り返し行われ、疑問が生じても、それを考える「意欲」や「勇気」が次第に失われていき、「言われるままに書き、書いたままに覚え、口にするようになっていた」。日本軍の残虐行為を主にした北朝鮮製のプロパガンダ映画を何度も見せられ、日本人として「負い目」を感じるようにもなったという。
しかし、工作員養成の目的は頓挫する。1970年代後半から80年代にかけて、日本人だけでなく、世界各地で拉致が実行された。このうち、マカオとレバノンで拉致された中国人やレバノン人の女性が逃亡に成功し、北朝鮮の企みが明るみに出る。決定的だったのは、1987年、大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫の自供により、計画的な外国人拉致と、彼女の日本語教師・田口八重子さんの存在が公にされたことだ。
拉致被害者をどう扱うか。朝鮮労働党の方針がいかに場当たり的で、ずさんであることか。「用済み」とされた彼らは、それぞれ別の施設へ分散して収容されるようになり、互いの消息が不明となっていく。
蓮池さんは、1979年末から89年頃まで、「革命任務」として日本人に成りすますための日本語教育を担当させられ、北朝鮮人12人を教えたが、いずれもモノにならなかった。その後は、日本の出版物の翻訳や工作員教育のための資料作成を命ぜられたという。
「1週間ほど国内旅行に行ってくる」
蓮池さんは、「なぜ自分は拉致されたのか、その結末はどうあったのか、自分たちだけが帰国できたのはなぜなのか──などの問いが頭から離れなかった」と打ち明ける。拉致から2年後、祐未子さんと再会して結婚、2児をもうけたが、子供たちには日本人であることを伏せていた。帰国は望めない。「ずっとこの社会で暮らしていくしかないと思っていたし、子どもの未来もここでしか考えられない」と諦めていたからだ。
小泉訪朝によって、突然、蓮池さん夫妻は帰国することになった。「日本から経済援助を引き出すためのカード」として使われたと蓮池さんは見るが、当初は、「海岸で遭難して北朝鮮の船に救助された」「北朝鮮で幸せに暮らしている」とのシナリオが用意されていた。従うしかない。
しかし、金正日総書記が拉致を認めたことから状況は一転。「北朝鮮の体制宣伝はしなくていい、とにかく戻ってこい」と指示される。「人質」である子供たちは連れてはいけない。蓮池さんは「1週間ほど国内旅行に行ってくる」とだけ言い残した──。
蓮池さんは、北朝鮮の指示に従い、一時帰国のつもりだったが、家族の説得により留まることを決意する。のちに子供たちも取り戻すことができた。生還して23年の歳月が流れた。「自分たちだけが帰国できたのはなぜなのか」と問い続けた答えはこうだ。
私たち2人を含む「生存」とされた5人の拉致被害者は、北朝鮮当局の目には、強い帰国願望が表立ってみえず、子どもたちを含む家族を人質にさえ取れば、筋書通りに動かせると判断したのではないか。
拉致被害者の人権は蹂躙(じゅうりん)された。全編を通じ、蓮池さんは、極めて冷静な筆致で客観的な記述になるよう努めているが、たまたまその海岸に居合わせただけで、北朝鮮の国家的犯罪に巻き込まれ、人生を狂わされた無念の心情がひしひしと伝わってくるのである。