米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。
今回のゲストは作家・金原ひとみ。今年4月には性暴力被害をテーマにした最新作『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』(文藝春秋)を発表し、大きな反響を呼んでいる。デビューから20年以上にわたって作家として歩んできた道のり、そして執筆を通じて見つめてきた社会の変化について、率直な思いを語ってもらった。(Interview:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING]I Photo:Yukitaka Amemiya)
ただ息苦しいから書く、から
視野が広がって見えてきたもの

――2018年にフランスから帰国されて、もう7年が経つんですね。
金原:子供も17歳と14歳になって、家にいない時間が増えたので、日中も書く時間を確保できるようになりました。2年ほど前に朝型の生活に切り替えて、最近は日中に執筆をして、夜は家事や事務的な仕事をすることが多いです。
――2004年にデビュー作『蛇にピアス』で芥川賞を受賞した際は大変話題になりました。作品のことだけではなく、年齢や容姿、女性作家であることもフィーチャーされたと思います。 “女性作家”という枕言葉がつくことや、作品の内容と関係ないところに言及されることについて、当時はどのような思いでいらっしゃいましたか。
金原:当時は「何か言ってるな」ぐらいにしか思っていませんでした。やっぱり私自身が若くてそこまで問題意識を持っていなかったので、「そう騒ぐ人たちがいるんだな」という感じでしたが、後々「今思えばあれは差別的だったな」と思うようなこともありましたね。でも女性作家のイメージというものがこれからどんどん覆っていくだろうなという気もしていたので、自分もそこに一役買えたのなら良かったなと思っています。
――年を重ねていくことで、作家としてご自身の執筆活動に感じる変化はありますか?
金原:自分自身の視界が広がったなとは思っています。若い頃は、自分の怒りや衝動……かなりパッションで書いているところがありました。けれど、だんだん「なんでこの怒りが生じるのか」ということを突き詰めて、「これは個人の怒りじゃないんだ」「システムの問題なんだ」「窮屈な社会や腹の立つ相手にも何かしらの背景や経緯があるんだ」という認識に変化していきました。
――小説を書くことの意味についてはいかがでしょうか?
金原:何で自分がこれを書いて救われるのかを、自分の言葉で説明できるようになってきたという変化があります。昔は何となく、「ただここが息苦しい感じがするから書く」という感じでしたが、なんで小説を書くと自分が生きやすくなるのかということを、自分でも少しずつ認識できるようになりました。やっぱり訳のわからない地獄にいるのが一番つらい。歳を重ねることで、何がつらいのか、何でこのつらい状況は変わらないのか、何がその痛みを与えてくるのかということが体系的に見えてきた。小説を書いていなければ、気づけなかったことかもしれません。
見過ごしてきたことに
向き合うために小説を書く

――今年4月に『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』を発表されました。出版業界を舞台に性暴力の加害者と被害者を描いたこの作品を書こうと思ったきっかけは?
金原:実は、以前は「#MeToo」的なものにあまり乗りきれなかった時期があって。時代が変わったからこそ言えるようになってきたことで、それまでそれについて声を上げることができなかったのに、社会の空気が変わったからといっていきなり「ガンガンいこう」というふうにはなれなかったんです。自分がそうして見過ごしてきたことへの罪悪感や後悔に誠実に向き合うにはどうしたらいいのか、逡巡していたと言ってもいいかもしれません。
――声を上げるのに躊躇があったということでしょうか?
金原:自分の中の意識も変えていく必要があったし、自分自身がちゃんとその流れを把握できているのかという不安もあったし、今自分が正しいと思っていることも、これから先は間違いになっていくだろうという確信もありました。ここで声を上げてしまうと、何か間違ったことを言ってしまうのではないかという不安があったんです。でも、この変化はもう止まらないだろうとどこかで確信しました。そして、「現段階での自分の答えを書かなきゃいけない時期がきたな」と腰を上げ、『YABUNONAKA』の執筆に挑みました。
――実際に書き始めてみていかがでしたか?
金原:性加害の問題については、自分の中でずっと抑圧してきたものや溜め込んできたものがあったので、それが流れ始めたことにカタルシスがありました。連載を続けていくうちにあらゆる業界で告発が起こり、そのたびに自分でも気づかされていくものがあって。小説の中でも、「告発という花火が上がるたびに、自分の古傷が照らされ、痛み始める」という表現をしていますが、自分自身も、この社会の変化の中で「あれは搾取だった」「差別だった」と気づいていくことがありました。
――舞台を出版業界にしたのはなぜですか?
金原:その業界の空気や、中にいないとわからないような慣習もあると思います。そもそもがセンシティブなテーマなので、ちょっとした勘違いや思い込みで、その業界に対して失礼なことや傷つけるようなことをしてしまうのではないかと考えて、自分が一番よく知っていて細かく書ける出版業界が舞台となりました。
歳を重ねることで見えた
怒りの本質と社会システム

――この20年間で出版業界のジェンダーバランスに変化を感じることはありますか?
金原:私のデビュー時、自分が会う出版関係者はほとんどみんな男性で、一番若くても10歳以上年上でしたが、それから20年ぐらい経ち、最初は女性の割合が増えて、最近では男女を問わず若い人たちも編集担当になるケースが増えたので、そこは圧倒的に変わったなと思っています。昔は深夜まで飲み歩く作家も多く、編集者も「毎晩飲みに行け」という教えがあったようですね。社会全体の働き方が変わっていったことで、女性作家や出版業界で活躍する女性が増えていったのかもしれません。
――金原さんは、作家として、そして人として、女性であることについてどのような思いがありますか?
金原:私は女性という属性をけっこう引き受けてきたというか、真正面から受け止めてきたところがあったんじゃないかなと思っています。時代的に、私が若い頃は世の中的にも恋愛至上主義的な思想が強くて、「恋愛していないと」という抑圧がありました。デビュー当時は小説の中心にも恋愛があったし、若いうちに子供を出産し、母親になって母というアイデンティティを引き受けてきたので、女性という属性は自分にとって大きな部分を占めていたと思います。
――今ではお子さんも10代後半になられて、その世代の人々と接して、ご自分の世代との違いを感じることはありますか?
金原:若い人たちの間では、怒りの感情自体があまり良しとされない傾向があるように感じます。人と良い関係を築くことを大切にして、そもそも喧嘩をほとんど経験しないまま大人になっていく人たちも少なくないんじゃないかな。私の友人でも、若い彼氏と付き合っている人がいて、議論しようとしても向こうが逃げ腰になってしまって「これは喧嘩じゃなくて話し合いなのに、何でそんなにビビるんだろう」と憤っていたことがありました。怒りを持つのは本当に疲れるしうんざりする行為だから、それらをすっ飛ばしてすべてを許容してしまうほうが楽なのかもしれません。人と本気でぶつかることって、それなりにトレーニングを積まないとできないですよね。
生きていくために必要な
書くことと怒りのエネルギー
――金原さん自身は、怒りの感情についてはどのようにお考えですか?
金原:私はすごく“怒る人”だし、”書く” という前提があるから、強い怒りを内に溜めておけるんです。だから怒り続けることが発電装置みたいなものになって、それが小説を書きたい、人を理解したい、今のこの状況を把握したい、という気持ちにも繋がっています。怒らなくなったらすべてを許容するしかないので、拒絶するためにずっと怒っていたいなと思っています。
――そうした世代間の違いについて、どのように考えますか?
金原:私たちが人と向き合うために必要な摩擦だと考えているものを、ただネガティブに感じる人たちに、「私たちが一緒に生きていくために必要なこと」と分かってもらうために、どうしたらいいのかということを考えています。喧嘩しなくても普通に生きていけると言えば生きていけるんですよね、摩擦する部分をスルーしていけば。でも、身近にいる人がどういう思いを持っているのか分からないまま、本当に表層的な「ご飯美味しいね」みたいな会話だけで生きていくって恐ろしいことだなと思う、だと思うし、それは愛情に似た拒絶だと思います。
――金原さんは、価値観の違う人とはどうお付き合いしていらっしゃるのでしょう?
金原:大人になると、根本的に考え方や価値観が違う人とは会わなくなっていきますよね。やっぱり同じ問題意識を持っている人たちと話していると、一言えばすべて通じる感じがしてすごく楽しいんですけど、時には雑音的なものも絶対にあったほうがいいなと思っています。私はフランスで、普段だったら付き合わなかったような人たちと話をしていくことで新しい価値観を知り得たし、これまで書けなかった人物も書けるようになりました。
――自分の考えを更新するためにも必要な摩擦なのかもしれないですね。時代の変化の中で言葉を発信することについては、どう考えていらっしゃいますか?
金原:自分で証言を残し続けるのは、すべてがログで残ってしまう時代において、すごく怖いことですよね。でも、「人は変わっていく」という前提を受け入れて発言していくしかないと思っています。ある程度の無責任さを許容しながらじゃないと、もはや発言するということはできないんじゃないかな。
金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年、東京都生まれ。2003年『蛇にピアス』で【第27回すばる文学賞】を受賞し、翌2004年、同作で【第130回芥川賞】を綿矢りさと共に受賞。2010年『TRIP TRAP』で【第27回織田作之助賞】、2012年『マザーズ』で【第22回Bunkamuraドゥマゴ文学賞】、2020年『アタラクシア』で【第5回渡辺淳一文学賞】、2021年『アンソーシャル ディスタンス』で【第57回谷崎潤一郎賞】、2022年『ミーツ・ザ・ワールド』で【第35回柴田錬三郎賞】を受賞。2012年から2018年まで2人の娘と共にフランスで生活し、帰国後も精力的に執筆活動を続けている。最新作は『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』(文藝春秋)。
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