イギリスから中国に返還されて28年の香港。高度な自治が保障された「一国二制度」が適用されているが、2020年6月には「国家安全維持法」が施行され、言論の自由は大きく制限された。一方、世界有数の金融センターとしての地位はいまも健在だ。激動する香港で、躍進する日本のビジネスや日本人ビジネスマンの姿を追った。
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日本と香港 過去といま

中国・香港特別行政区。100万ドルとうたわれた華やかな夜景は、昔もいまも旅人の心を魅了する。香港島と九龍半島、周りの島々を合わせて、広さは東京都の半分ほど。そこに約750万人が暮らしている。
バブル経済期からしばらくの間、香港は日本人観光客であふれていた。ピーク時は年間約275万人も来港。円高を背景に高級グルメやブランドもののショッピングを楽しむのが定番だった。
しかし、いまや香港観光の主役は中国本土から押し寄せる旅行客で、全体の7割以上を占めている。彼らにとって香港は人気の国内旅行先、話題の映えスポットで写真を撮ることが主な目的。日本に来ている中国人と同じように、爆買いから節約型に変わっている。

そして日本人には、“あるツアー”が人気になっていた。行き先は、かつて違法建築が密集した「九龍城砦」の跡地。麻薬などの犯罪の温床で“東洋の魔窟”と呼ばれており、中国へ返還される前に取り壊された。
この「九龍城砦」をCGで再現し、ここを舞台に黒社会の覇権争いを描いた香港のアクション映画「トワイライト・ウォーリアーズ 決戦!九龍城砦」が日本でも異例のヒット。そのセットを精巧に再現したのが、跡地にできた施設「九龍城寨:映画の旅」だ。
「映画の世界観を体験したい」とやって来る日本人が多いという。
香港の激動の始まりは清の時代に遡る。アヘン戦争でイギリスに負けた清朝は、香港島を割譲。香港はイギリスの統治下に入った。
それから150年余り、1997年7月1日、香港はイギリスから中国に返還される。
この時、中国は「一国二制度」を約束。香港に50年間、経済や司法、言論の自由など、高度な自治を認めたのだ。

しかし、2014年に「雨傘運動」が起きる。中国政府が選挙制度などへの介入を強めたため、香港の人たちに危機感が募り、民主化を求める声が強まったのだ。
2019年には大規模な反政府デモが頻発。

そして2020年6月30日、反政府的な活動を取り締まる「国家安全維持法(国安法)」が施行される。違反すると最高で終身刑という重い罪が科される。
言論の締め付け…。市民の声はかき消され、政府に批判的なメディア関係者や活動家など、332人が逮捕された(2025年6月時点)。
自由貿易と“世界の工場”
2020年以降、厳しいコロナ政策、その後のインフレなどで消費が低迷する香港。高級店が苦戦する中、目立つのが、デフレ時代に培ったノウハウで拡大した日本のチェーン店だ。「スシロー」は35店舗、「すき家」は18店舗、「ドン・キホーテ」は10店舗を展開中。おととし進出したスポーツジム「チョコザップ」も、5店舗に拡大している。

アジアの金融センターとして君臨してきた香港。いまもその地位は変わらないが、ここ5年ほどで戦略の見直しもあり、香港拠点の縮小や移転が目立つようになっていた。
そんな香港を拠点にビジネスを展開しているのが、この街に住んで22年になる中込直樹さん(47)だ。中込さんが経営する「ウィングファットインターナショナル」のオフィスは、雑居ビルの中にある。
「ここでやることはほとんどなくて、会計処理や船のブッキングは香港サイドでやっている。営業・開発・生産管理は、全部中国の方で行っている」(中込さん)。
香港は税率が低く、海外との資金のやりとりも自由。貿易をするのに有利な環境が整っている。中込さんはその利点を生かして、これまでビジネスを展開してきた。

中込さんは中国の大学を卒業し、香港でプラスチックを扱う日系商社に就職。そこで携わったのが日本で社会現象を起こしたあの商品だ。
「ペプシマンのボトルキャップというシリーズを作ったら、ものすごく売れた。当時、1回の発注が3000万個。休みは中国の旧正月の3日間だけで、工場で寝泊まりしてやっていた」。
会社は急成長を遂げたが、社長が事業を広げすぎた結果、夜逃げ。中込さんが28歳の時だった。「僕は残されてお客さんも困る。製品を作ってるからどうにかしなきゃいけないので、僕が引き継いでやり始めた」。
中込さんは2007年に会社を立ち上げ、18年間コツコツと事業を広げてきた。
この日、中込さんが香港から高速鉄道で向かったのは、中国、広東省 東莞市。この一帯は「世界の工場」の中心地で、多くの日系企業が進出している。
中込さんは中国の2つの工場で、日本やアメリカ市場向けにプラスチック製のおもちゃなど、部品の生産から組み立てまでを担っている。
手がけるのは、日本で生まれた誰もが知るキャラクター商品など年間2000アイテムで、従業員は1200人、年商は約60億円だ。

工場では、塗装の工程などで機械化が進んでいる。中国は人件費などのコストが上昇しているが、日本向けの商品は価格が上げられないため、コスト削減に努めているのだ。
社員の食堂も人材確保に重要で、食べ物の味や品数にこだわるだけでなく、1日3食を提供しているという。

そんな中、中込さんはある対応に追われていた。
4月、アメリカのトランプ大統領が各国に対する追加関税を発表。中国からの輸入品に、累計145%もの関税を課すとしたのだ。
中込さんの工場では、アメリカの大手量販店に依頼されたベビーチェアの生産が停止され、組み立て前の状態で積み上げられていた。
しかし、その後に追加関税の措置を90日間停止するとの連絡が入る。
それを受けて、工場では、アメリカ向け商品の生産ラインが再開。関税措置が停止している90日間になるべく多く出荷するため、急いで生産に取りとりかかっていた。
実は中込さん、トランプ関税に翻弄されるだけでなく、すでに対策を打っていた。果たしてその秘策とは? 激動するビジネスの最前線をどう見ているのか――。
一国二制度の香港 国安法から5年

香港の街で忙しなく働くのは、店を経営するデレック・チュウさん(48)。今年に入って運転免許を取得、慣れない運転で配送をしている。つかの間のランチはオフィスでかきこむカップラーメンだ。「1日、7~9時間は車の中にいる」とデレックさん。
実はデレックさん、かつては民主派と呼ばれた区議会議員だった。
2019年11月、市民の抗議活動が続く中、香港の地方議会にあたる区議会議員選挙が行われた。香港で一人一票を投じることができる唯一の選挙だ。
この時、民主派は85%もの議席を獲得。誰もが、風が変わったと感じた瞬間だった。
しかしその7カ月後、国家安全維持法が成立。民主派の議員は、次々と締め出されてしまう。「私は2021年9月28日に、議員の資格を剥奪された」(デレックさん)。

その直後にデレックさんが始めたのが、香港製の商品にこだわったこの店。売り上げの一部を、逮捕された人々の差し入れに充てている。
店内には、民主派の元立法議員の獄中記や政府を批判した歌手の雑誌も並ぶ。いまでは手に入りにくいものばかりだ。
香港の客は、「純粋に地元民として、香港産の商品を応援したい。私たちが応援しなければ、潰れるか生産できなくなるかもしれないから」と話す。
値段はやや高めだが、店のネット販売を利用する常連客も。こうした支えがあり、デレックさんは、なんとか商売を続けてきた。

ある日の早朝、デレックさんが向かったのは、バスと歩きで約1時間かかる場所にある刑務所。香港の刑務所にはいま、多くの民主派が国安法違反の罪で勾留・収監されている。
友人との面会を終えたデレックさんはこう話す。「元気だった。塀の外の人より社会情勢への情報感度が高い。毎日、新聞や雑誌を読み込んでいるから」。

今年、香港の街には、国安法から5周年を記念した派手なネオンが登場した。そこには国威発揚のスローガンが並ぶ。
この5年で、活動家や多くの市民が、イギリスやカナダ、台湾などに逃れた。
香港市民に話を聞くと「いま、政治の話は率直に話せない…吸っている空気が以前とはまるで変わってしまった」。
「国安法を支持していますよ(笑)。正直に言うと悲しい。でも5年前と比べて、その気持ちも薄れてきている。結局、受け入れるしかない」。
国安法が施行されて街で見かけるようなったのが、「見疑即報(疑わしきはすぐ通報を)」という文字。警察のテロ対策部門が展開する「密告推奨」のキャンペーンだ。
香港当局によると、これまで92万件の通報があったという。

1989年6月4日の「天安門事件」。中国・北京の天安門広場で、民主化を求めた学生を軍が武力鎮圧した事件だ。死者は欧米で数千から1万人以上と言われているが、中国政府は319人と発表した。
一方、香港では2019年まで、中心部のビクトリアパークで毎年大規模な追悼集会が開かれてきた。犠牲者を思いキャンドルを灯すのが恒例で、「(子どもを)幼い頃から連れて来ていた。事件を伝えていくために」と話す参加者も。
しかし国安法ができて以来、この集会は行われていない。集会やさまざまな活動が、徹底的に禁止されたからだ。
今年の6月4日。ビクトリアパークでは、3年前からこの日に合わせるように中国の物産展が開かれているが、そこには多くの警察官が配置されていた。
一方デレックさんは、配達の仕事を休み、一人で店番をする。しかし、そこに現れたのは…。
