[べらぼう] 江戸の土地売買と住宅事情について [大河ドラマ/解説]

※概要
江戸の武士は全員賃貸だった? 町屋における土地の売買には莫大な手数料が必要だった? などなど、お江戸の土地や住まい情報についての解説です。

2025年、NHK大河ドラマ「べらぼう」解説動画です。

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お祭り太鼓 (feat. マニーラ) / Stardom Sound
(P) & (C) Star Music Entertainment Inc.

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▼使用画像
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Webニュース各サイト

▼使用動画
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こんばんはきゆです ナットですくです 歴史はエンターテイメント鹿島歴史チャンネルへようこそえ皆さんはね 持ち家派でしょうか それとも賃貸派でしょうか ああ あの住む家っていうのはね今でもまご意見があるかとは思うんですけど今日はね江戸の住宅事情についてお話したいと思います ちなみにお二方は持ち家派 私はすっごい引っ越しをずっとしてたんでもう引っ越し引っ越し引っ越しでずっともちろんその時は賃貸だったんだけどこの奈良に来て持ち家初持ち家っていうかま両親が家を買ってからということでそっからずっと持ち家で今も持ち家だからどっちかていうと持ちえ派かもしれません おおくさんは 私はいところにじっとしてるのが好きじゃないのでむちゃくちゃ賃貸派でございます なるほど 引っ越しまくってるもうこの貸しの中でも何回引っ越ししてるかってそう だよねそうそうそう ま私もねえどっちかって言ったらその色々新しいところに行きたい派なんでね賃貸派なんですけどね まあまず賃貸とか持ち派以前にあのフリーだったしお給料とかいうもんじゃないからさあのローン組めないからまず無理派って感じですはい あの賃貸派そうの賃貸以外考えられない派っていうやつですねもうなので選択肢なしっていう感じでございますねまでその中でま人とでずっと同じとこで借りてるっていうんじゃなくてそうね 10 何回ぐらい引っ越ししてるからやっぱりまあまあ映るの好きなんでしょうね気分変えて引っ越しみたいなのをやるのでね [音楽] ということでねえ江戸のね今日はお話なんですけどよくあの江戸のねその土地っていうのがえ 69% が部景地ま武士が住んでる土地でであとその自社地っていうね自社のまある土地っていうのが 15% ぐらいでで人が住んでいた町屋っていう土地は 16% しかなかったんだよなんてま書いてあったりするんですけど実はね江戸時代にそうい 調査がされたってことはなくてですねこのなんか数字っていうのは明人になってからねあの調査した結果なんですよね なのでまちょっとしい言われとねあの一般的には広く知られてるんだけどいやもうちょっと違うんじゃねっていうんでこう計算し直した人が江戸の地図を見ながらまあまあ計算し直した人がいてえそれによるとまざっくりさあの計算でいくと値が 35% でで自社値が5%でで町屋が10% でま残り50% は農地だったっていうことらしいんですよ ああまうん これはねでもねあの引き打ちって言ってちょっと広い範囲の江戸で計算してるのであの引き打ちっていうねちょっとちっちゃい範囲になるとまケ地が 50%で自社値が7%で屋が16% でま後の落ちって感じなのでまちょっと部ケ地の比率が上がるんですけれどもまでも元々のその江戸って武士が住むことでね始まった町なのでその当初からの土地に武士が多いっていうのま当然かなっていう気はしますけどね うん その途中でずっと喋った守きとか住引きって何 [音楽] もそもそもうん これはまそもそもねその江戸の範囲を決めたまた線引内です地図にこのねあの言ったら隅で黒く引いた範囲内のことを住引き打ちって言って種で赤く引いた範囲内のことを守引き打ちって言ったんですよ で一応まあねその住引き打ちっていうのがま当初の江戸ででこの言うた引き打ちの中っていうのが街業の支配でちょっとそれより人回り広い守備引き打ちっていうのはまあだから今の板橋とか新宿とかあの品川千住なんか四っていうね本来だったらあの最初の頃江戸に含まれてなかったそういう宿泊までも含むま現在のま 23 区内よりちょい狭いぐらいの範囲がえ守備引き打ちになるんですけどまこっちはあ あの感情支配とかちょっとま轄違うんだけどまあまあ 大体その江戸と払ばいいって言ったらその守きより外っていう風にね決まってたんでまざっくりこの守の方が江戸って考えたらいいんじゃないかなと思うので なのでそう思うとこう大江戸て言ってもさ江戸城の周りこそねそのさんとか人とかぎっしり住んでるんですけどそのねちょっと周りになってくるとま結構のどかな電園風景も広がる自然豊かなったっていう感じなんですよね うん ああじゃあさっき言ってたその赤と黒の場所によってそのパーセンテージが変わるっていうのも今の話を聞くとなんとなくああなるほどねってわかるよねうんほうほうほう の周りは割とぎっしりね住宅値でちょっともうちょっと広く範囲広げるとま結構あの農地多いよねみたいになってるって感じですね でまずね江戸で大名や旗本ご家人なんかの武士が住んでいた部ケ地なんですがま大体 50% ぐらいって言われてるねそのケ地は土地の持ち主が爆府なんでね だからその江戸の武士はみんな賃貸住まいだったと言ってもいいかもしれませんねえ えそうただま別にね大名とか旗本とか ご家人が幕府にねその土地とか建物の賃療 をね払ってたとかって家賃払ってたって いうわけではないんですよねあの武士の 場合土地とか屋敷は幕府からの廃量って いう形になるのでなのでもう言ったらどこ に住むか個人で勝手に決めることはでき なかったんですよ なのでまここに住みなさいって言われたとこに住むである時ねこう言ったら府が急にこっちに移れって言われたらもう言われるまま引っ越しするしかなかったわけなのでだから配慮した土地屋敷とは言ってもまいつ取り上げられちゃうかつ大体地に移れって言われるかわからないっていうねま今の賃貸よりひどい住まいだったかもしれませんね うん 最初聞いた時になんか社員量みたいな感じなのかしらと思ったけどそういうのでも全然 イメージはそんな感じかな あの言ったらまでも社員量はさ割とその家賃も払うじゃないですかだから家賃払わないでいい社員量みたいな感じ うんそれでいいつと出されるかわからないという そうそうそうあのあの今度のあのこっちの工場の近くの方に映ってみたいに言われたらやでもそのこっちに染めてるんですけどとか言ってもそんなダメダメて言って変わらないといけないねそう もそんなないなくなってきてるんかなと まあねまだから今ね普通のねったらね地下貨法っていうんで割と仮主の権利強いからね守られてるんでね うん 代のはからちょっと引っ越してって言われたらえて映らないといけないっていうようなまそういう大量の土地屋敷っていう感じに住んでたわけなんですねうん であとねまたね困ったことにねこう出世していいお役目もらったらま広い屋敷とかねそれから広い土地とかもらえるようになるんで だからそしたらやった喜べるかと実はね喜んでばかりなかったらしいんですよあのもしそのるね前に住んでたその居住者が屋敷の修理とか全然してなかったりしたら後からね出世したんだけどその後から入った人間が全部修理しなくちゃいけないのであのいくら入るようって言っても府は屋敷まで直してはくれないんですよな だからせっかく出世したのに屋敷の修繕費で薬全部飛んでっちゃったよなんてこともあったようなんですよ で他にもま爆府がいつ何言うてくるか分からないんでせっかくねま言ったら配慮した屋敷をね綺麗に修繕したりお庭なんかもねこう好みにねたらえてたのにもう突然屋敷がねって言って言われて引越さなきゃならなくなったとかもあったみたいなんですよ なのでそうまなんかきっちり定理してた とこに後から入る人はラッキーだし せっかくなんかやってたのにお金かけてた のに引っ越せって言われてボロボロのそう いうとこに映らなきゃいけなくなった人は もう踏んだり蹴ったりみたいな感じでま 色々ねあの武士の場合は引きこもがあった みたいなんですよね ただね武士の場合はま江戸も中期以降になるとあの武士の生活ってのほらね厳しくなってきたのでね色々問題があったんでだからその幕府から配慮する屋敷っていうのはま土地がとにかくね経屋敷って土地むっちゃ広いんですよ で相当広いんでその広い庭を生かして植を育ててそれを売って生活の足しにするとかあるいはその庭に長屋を立ててま長屋だけじゃなくても一気屋でもいいんだけどそう離れみたいなの立ててそこを貸して賃療を稼ぐとかま色々とあの物資たちも工夫はしていたみたいなんですね ああだんだんそういうと自分でお金をどうにか作る工夫はしてきたわけだよねでもなんかその自分の うん副業だから持てないよね だからねま武士も色々頑張ってはいたわけだ頑張ってたんだねうん はいでまこういうね部ケ地に対して町人が住んでいた町屋っていうのはもう売自由だったんですよねあのというのも町屋っていうのは元々その江戸の初期の頃に幕府があの言うたら超人に下げ渡した土地っていうのが多かったんでだからまうろうが買おうが好きかにできたわけなんですね でもってこうした町や町のね貯人たちが住む土地にはな主と呼ばれる人たちがま管理者としていて でま土地の売買が行われる際にはこのな主が認めるね売認めましたよっていうね手数量になのかなみたいなものをま取ってたそうなんですねでそれがねむちゃくちゃ高額だったらしいんですよ なのであの松田平佐信がねあのた感染の改革の時にこう土地の売買については 100 両の売買について認めるは2両までもう2 両だけって決めたらしいんですよだからまそれ以降はいいんだけどそれ以前ねそれはもそん時はもう土地を打ったり買ったりってするとなると土地のねとか敷の代金以外にな主への認めだったりしかもそれプラス金もあったらしいんでね霊金とかなりねま余分にお金がかかっていたみたいなんですね あまあ今でもねそのその紹介量とか回手数量とかなんか飲酒とかなんかいろんな登録をするのにお金がかかるみたいなあるけどそれはもう江戸の時からずっとあったってことなんです そうかそうかま同じかどうかわかんないけどまとにかく土地の売買には江戸時代も今もまいろんな初期費用が必要だったってことなんですかねもうだから名目は違うけどなんだかんだお金がいったっていうのはま江戸時代も変わらなかったってことですよね であとあのさっき江戸には農地が多かったっていう風にね言ったと思うんですけど実はねこの町屋と違ってね農地の方は売買が禁止されていたんですあのま農地に関してはね江戸に限じゃないんですけど幕府の収入っていうのは言ったら農民たちが農地を耕して取れる米ですからねその大事な収入源の土地を勝手に売られたら府としてはやっぱり困っちゃうわけですよ なので農は絶対に打っちゃダめていうねまあの電波 A買禁止令っていうのが出されてたわけなんですよ今もなんかでもほら農地とあの宅地でなんかねとか色々ね法律が違ったりするんでま多分それは江戸時代から来てるのかなとは思うんですけど うんまなんですがその一応ね江戸時代は農地を売ることは禁止されてたんですけれども七入れるのは禁止されてなかったんです なので貧しい農民たちはこう次々にね土地 を七入れしていったんですよねで七に入れ るってことはま土地を売るってわけじゃ なくてま一時的に土地を田ぼにしてお金を 借りるだけなんでね借金返せば土地は戻っ てくるんであじゃあ別に売るわけじゃな いっていう理屈で名目上はね売ってないっ てことにはなったんでまオッケーみたいな 感じだったんですけどでも実際はさ土地 まで担保にしなきゃ暮らせていけないよう な貧しい農民がさ借金返せるわけ ないんでね事実上は土地はしなって言ってねま他の人間が所有することになっていったわけなんですね うん だからまあの名目は7 って言ってるけど実際はま土地の売買となんら変わらないってことが大ぴラに行われていたっていうことですねなのでま江戸の土地の中にもそうした農地を手に入れて町屋としてね高所なんかも多かったんじゃないのかなとは思いますねでもて町屋になりさえすればねもうバイバイ自由になっちゃいますからね えじゃあさっき言った農地をま一応はま7 に入れるじゃない?まかすってても売るようなもんじゃないで そこはまた農としてしか使えないんだそこの上に建物は どうもどうもそうじゃなかったらしいんですよ流れしたらその後は自由みたいになっててだから府もそれを禁止しようって言って言ってたわけなんですよ農地が農地のままならねだから多分今ほら今の法律農地は他の上に作っちゃだめとかっていうなんか法律あるじゃないですか あるみたい 分江戸時代にみがこの入れですからじゃなくなったせでこれはなんか変えないとなって名政府が考えたのかもしんないよね なるほどね そうを知のままだったらいいんだけどそうじゃなくなったからこそ問題になったんだと思うので多分入れた土地っていうのは街屋で売イ買イされちゃって色々なんか上におしぎとか立っちゃったんじゃないのかなとは思いますね そう友達が畑みたいなの持っててそこをすごい広いからえそこに家立てればいいじゃんつったけどなんかそれもすごいやこしくてそれを畑じゃなくなるような手続きとかもすっごい大変だから言うて 今は結構めんどくさいらしいですからね うんあのなんて言うの?吉原なんかでもさ言ったその向こう島に川の向こうの方のね向こう島に別荘をいっぱい持ってたんですけど向こう島って元々やっぱりその電波のね農地の多いところなのに そんな風に屋敷がいっぱい立ってること ことはあの農地を買ってたっていうことだよなってなんかこう思わせるような そううんなのでまあまあしれしちゃった土地はまそういう感じで利用されてたのかなっていう感じですよね うんうんうん であのちなみにさこう町屋の土地ね農地じゃなくて町屋の土地をま売理解する際にはその土地の価格だったりま金額とかを書き込んだ保険っていうねま今でうい土地の権利書みたいな少々を書いたんですけどあのこの保険っていうのがま大事なものだったんでま今も昔も土地の権利書ですからね大事なものだったんでまそこからま自分の意義とか対面に関わることを保険に関わる大事な保険に関わるなんていうようにもなったそうなのでね まあだからコ険っていうもの自体はね平安 時代の京都にもあったものなので別に江戸 独自のものってわけではないんですけども そのね自分の寝落ちと合体させちゃった 辺りがま江戸っこっぽいって言えば言える のかなと思いますねでとりあえずね町人 たちの方はま割と自由に土地の売買をして たんでじゃあ江戸の町人は持ち派が多かっ たのかというと差にああらずでま実は身体 派がもう圧倒的数だったんですねやっぱり いつ何時爆府かなんかするかわからないから変にこう家をちゃんと作っちゃうのもみたいなのとかそれかみんなやっぱり空さんのようにどっかいろんなとこに行きたいからき飽きるから変わろうみたいな感じな どうなんですかねまああのあ家事家事 そうそうそうそうそうやっぱりもう江戸っていうのは家事がね多い年だったんでね尺屋だったらね家事であげても別に自分で立て直さなくてもいいしねあの別の尺屋に映ればいいだけなんでねだからま江戸という街では家は借りる方が圧倒的にコスパが良かったっていうわけなんですね ま大きな消化だったらね結局そのクラもいるし大勢人のクラ部屋もいるしってことででそれだけ広い土地になんか大きな屋敷となると借りるのもね賃療高くなるしでしかも何よりおしてるとさ地主の都合で屋敷い出されてね店移りますって言ったらそのそのそこでやってたお商売の顧客とかさそういう繋がりとかもなくしちゃうからだからま大きな消化は家屋敷土地なんかを自分で有する方が利点は多かったんですけどま一般的な庶民はね別にそ う の持ってるその意味もないしあとあの長屋とかに暮らすようなその賃貸派の庶民っていうの多くはその日暮らしだったんでねだから家を買うだけのお金がなかったわけなんですよだって今みたいに住宅論があるわけじゃないんでねなのでとにかくもとまった金がないと家は買えないってものだなのでまあ多くの庶民はそんなまとまったかないからね 確かにそうだねうん ましてアイドなんて酔い越しの順には持たねえとかて使っちゃような人多かったんで まあまあほとんどの人が賃貸派だったっていううんうん 確かに今でもねそんなもう何千万とはい1 回でって友なんてなかなかいないから住宅論があってみんな 30 年ローンとかで買ったりとかだもんねあ そうだから今でも住宅論がなければ庶民は賃貸派だったと思いますね山はもう有名のまため金持ちのもんって感じだったと思いますね でまただねあの今と違ってね家を借りると 言っても江戸時代にはいろんなパターンが ありましてえまずねその土地も家も地主 さんが持ってる場合は別にそのやこしく なくてその筋タを地主さんに1人に払えば いいんですけどあの中にはね土地を主さん から借りてえそこに自分のお金で建物作っ て人に貸すなんて人もいたわけなのでその 場合は建物を借りる人はその建物の言っ たら持ち主に賃体力払うんだけどまだから 矢主ですよね 矢主にえ賃貸量払ってで矢主がその地主に土地の賃療払うみたいな形になったわけですね [音楽] でまどっちにしても建物を借りて賃療を払う人を田子っていうに呼びましてであの田子にも色々あるんですけどあの表の長屋裏長屋とかって言うんだけどその通りに面したところのそういうなんかお店長屋って言いながらもまあまあ店舗なんですけどそれを借りるものの場合は棚がりっていう風にね特別に言ったりしたわけ あのだから大棚のねそう自分で家屋敷持ってるような消化以外のま中小規模のえ商売してる人はこの棚がりっていうね表を借りるっていうパターンが多かったみたいですね おお でまそれ以外の業商人とかね大工とかなんかの職人さんなんかはまほとんどがその裏屋住まいえ賃貸物件住まいだったわけなんですね長屋の家賃はね今みたいな月払いの他にボンクレの年 2 階払いとかあの日払いなんていうのもありました 魚とかね野菜なんかのそのボテフリー商人なんかはまその日の売上の中から家賃払うっていう人も毎日毎日うんその日売れた分から家賃払うみたいな人も多かったみたいなんですけどまそういう人たちの収入ってのはどうしてもほら天候とかにね左右されるんでね [音楽] だから中には何日もあるいは何ヶ月も滞能するなんて人も多かったみたいでまそういうような人たちは棚てって言ってね大家さんに厳しく家賃を取り立てられてま中には長屋を追い出されてあの爆府のお救い小屋に転がり込むなんて人もいたみたいなんですねまそれより先に普通はね知り合いの家に転がり込んで相ろになるみたいなのが多かったとは思いますけどね ああそうか ななんか家でこうやってるこう職人さんとかっていうのは結構裏長屋でコンやってるとか必殺のなんだっけ?三田村さんとかがさやってたのってなんか裏あれ裏でやってたって感じ そうそうあれが裏ですね だから大体あの裏屋の場合は共同の井戸ででそれでま台所はちっちゃいのついてるだけでま余半一間とかまちょっと広くても 6 畳一間ぐらいでま職人さんなんかだったらねそこで寝泊まりしながら仕事するみたいなので十分って感じが多かったわけな へえ ということでね今日はお戸の住宅事情について簡単にお話ししてみましたえ江戸っこと同じで私は賃貸派だよって方はチャンネル登録グッドボタンをよろしくお願いいたします 一応私はえっと持ち派だけどやっぱりロー ンって大変よねって思う方やってますので よろしくお願いします なんか鹿島市の3人フットワーク軽そうな のにどうしていつもZoom で収録してるんだろう集まればいいのに風 にいいと思ったそこのあなた是非 メンバーシップ いやそれバラバラに住んでいるからで ございますはい ではまた次の動画でお目にかかりましょう じゃあ貸主さんは風のたびに家立てなあかんから大変やん そうそう結構だから大変だったんですよね うん儲からね そうあんまり儲からなかったみたいあの大体家賃がさ普通月でま日払いはあれだけど月の場合だったら 400問から600 問ぐらいなんで今みたいにね豪華な設備はないんですよ 半一間にちょいとちっちゃいねまたあの台所っぽいものがついてるぐらいでトイレも共同だし井戸も共同だしみたいな感じで 江戸はね畳がついてるとこもあったらしいんだけど多くは畳も自分持ちみたいなだからそういうのだったんでだからま大体今のお金でまでねあのおそばのあれで計算すると 1月1万2000円から1万8000 円だからあの安パート共同トイレ共同の安パートっぽい感じ う うんそういうイメージだったみたいですね しかも全員がちゃんと払うとは限らなさそうだもんね そうそうそうそうそうそうそうそうだからなかなかあの大田さん大変だったですね ああなんか終わりに合わん ね までもあの大家さんはその言ったらその家貸して別にその人がどんな人でもオッケーってわけじゃなくてやっぱりそのもしその自分の長屋にま犯罪者が紛れ込んでたりとかするとその大家さんも罪になったんですよ当時だから言た その元のしっかりした保証人のいる人しか重ないとかねだからお金払う払わないっていうよりもそっちも結構問題だったんですよね うーん だから江戸でその言うたらまうちらみたいにねそのなんて言うの?何もあの保証人のないような人間がいきなり貸してほしいって言ってもなかなか貸してもらえなかったりしたわけなんですよね 犯罪なんかしたことないのにヒント そう犯罪はしたことないんだけどね保証人がいないからね 悲しい 多分だからあれやね あのまずその大家さんのところに取り行ってあの大家さんに気に入られるようになんか色々ねあお使いですか?行きます行きますとかさそんなこと言って大家さんに気に入られてから実は最近ちょっとね引っ越したいと思ってるんですがなかなかいい家がとか言ってあじゃあうちの長いに泊まりなよって持ってくねそんな感じでそんな感じで持ってってね止めてもらうようにするかな貸してもらうようにするかなとかそれですぐ行けそうな気がするね 江戸だそれはそれでねいろんな手段があるかな だからそんな感じなんでまあまあその身元保証人がいるって言っても親さんがねその人を見て大丈夫だて思ったら貸してくれるってのもあったんで まその法律上ガチガチに保証人がとかっていうんではないんですけどまあのただなんかあったら本当に家さんの責任なんてあの家さんもバせられたんでなのでまあのあんまり簡単にホイホいってねそのどういう人かも分からずに貸すってことはなかったわけですね あそういえばあの今回え大門ジ屋さんがかぼちゃの旦那がなんか神田の土地買えないって言ってたですか うんなんかあれねあのま一応ねその吉原の人間が吉原以外の土地をまあそこはその見つけないって言ってたから本当にもう江戸の中でも江戸城に近いね一部の地域になるんでそこの土地を買えなかったかって言われたらああのそれはちょっとわかんないんだけど わかんないんだけどでもあの例のほら吉原が家事になった時とかに浅草とかに借りたくって言って家飼ったりとか借りたりしてるしで向こう島とかだったらベスを山ほど持ってますからねなので 吉村のものだから言うたら別に土地変えないとかってことはまあなかったんじゃないかなとは思うんですよね [音楽] 一応その本当にね江戸の時代はただま今回のドラマ的にはほら吉原者が差別されてるっていうのをま全面的に色々スタジオの本屋もそうだしで八ねえアベンジャーズの皆さんもそうだしみたいな感じでずっと描いてきたのでまそれを吉原者だからって言ってちょっと差別されてるんだ感を強調するためのエピソードとして持ってきたのかなと思うのでだ本当にその神田の土地まではわかんないけど土地は変えたんですよま浅草とか向島はね だから土かったんじゃないかなと思うんでまあの辺は若そういうフィクション部分でちょっと強調したいからでやったのかなと思うんですけどまただ吉原者がま差別されてないかっていうと喋べてないことはないんでうん うんまだからひょっとした大家さん的にそのジさんのね言ったらその好みだから土地持ってる人がいやお前に売らないって言ったらま売れないっていうのはあったかもしんないそれはまなくはなかったけどああいうなんかオブ表様からね言うたらもう私でダメていうのは多分なかった んじゃないかなと思いますねお かった そうだってさっき聞いた時に別荘を持ってるっていうから吉原の人だおうと思ってたんだけどあそういうことね そうだから結構あの向こう島あたりの別荘は吉原のねそういう理論のベス荘多かったんでね ネ岸シとかねその辺りも持ってるのでまあなのでジェノ主さんがそういう無ちゃむちゃわしはもうよしもんが綺麗なんじゃとかいうジ主さんならまあまあ買えないけどそうじゃなければまあまあお金があればみたいな感じでオッケーするところも多かったんじゃないのかなと思うのでまあの今回のあのドラマの中の大門ジアさんとかあのオブ様にね吉原も土地ない中の土地は変えないんだみたいなのはあのわゆるちょっと差別的な存在だった 差別される存在だったんだよっていうのを強調するためなのかなと思ったりもいたします うんなんか市民の外扱いやっていう言われてたのもあれ違うの そうねあの吉原の人間だから友女だからって別にそのいわゆるその一般の庶民じゃない方それはないんであれはないと うんなんやじゃないんか そう今で言うとさ語とやってる人なんかあのおその役所さんもそうだけどね そう人なんかはま言ったらその市民の他だったりするんで色々ま細かいルールはあってうんその時その時で外れたりもするんでまその一時期吉原がそんなに入ったのかどうかっていう記録は私も知らないんでね全部知ってるわけじゃないんでねその江戸の一時期そんな時期があったのかもしんないけどとりあえずま江戸通して土地買えないかって言われたらざっくりいいよ買ってるしなっていう感じではありますね もし知ってる人がいたらコメントください そうですねはい 実はなんかあのこのあの暗の何年から何年の短い期間にそういうのがとかっていうのがあるようでしたら是非教えていただけたいと思います いやそこまで詳しい人チャランポランなチャンネル聞いてないと そうなんかいチャンネル聞いてないよね そうねうんあのまあなんかその江戸専門の江戸中期なんかこう土地売師専門とかの学者さんでそういうのを研究している先生がいるというま身近にいるという方はちょっとあの尋ねてみていただいてもいいかな と思うでよろしくお願いします [音楽]

34 Comments

  1. 確かに江戸時代は火事が多くて賃貸じゃないと住めないですね
    農民も農地を質入れしたり子供を売ったりしないと食べていけないほど苦しかったのですね
    今は住宅ローンや火災保険などあって
    持ち家派も増えてますね

  2. そっかあ、歴史といっも、そういう不動産関係の歴史っていうのもあるんですねー!
    水の歴史にも感動しましたが、衣食住、暮らしの歴史は今の我々にまで連綿と続いているという感覚を持てました。

  3. 吉原者が市中の土地を買えないのは見附の内側は買えないってことじゃなかったですかね?
    確信はありませんが…

  4. 大名屋敷は上屋敷、中屋敷、下屋敷とあって居住部分以外は長屋を立てる以外に畑を作ったり庭園造ったりと好きに使っていたようですね。忠臣蔵の吉良殿は幕府の命令で襲撃されやすい場所に移されたのは有名な話ですね

  5. 私も持ち家無理派ですw 持ち家もいいけど、身軽に生きるのも案外いいかも♪ 武士が敷地内に家建てて家賃収入得ようとしたりっていう話、ご苦労が伝わってきました笑。そういえば、大文字屋と若木屋は俄祭り以来すっかり仲良くなりましたね、土下座する大文字屋を庇っててほっこりしました😊幕府連中には絶対ない連帯感いいですね!

  6. 松葉屋さんて火事を何度も出して店じまいしたって聞きました。大店は賃貸ってわけにもいかず、再建して支出、幕府の締め付けで収入減という悪循環で閉店になったとか。それがほんとなら大河ドラマの頃が一番景気良かったのでしょうか。なんでもそうですが、崩れる少し前が一番輝いてるのかも知れないと思いました。

  7. 持ち家で思い出したのは、昨年の広大な土御門殿です。池がハンパなかったですね😅江戸の大名屋敷跡の庭園に、現在では立ち入ることもできてラッキーです😊
    勝海舟が小さいころ岡野家にいたとかいうのは、武家の敷地内の賃貸に住んでいたということでしょうか(墨田区の冊子を見ています)。
    北斎はたくさん引越ししましたね。

  8. 江戸暮らしに明るい外国の方(有名な方だったような)に、大家と店子のどちらを選ぶか?と聞いたところ「断然店子!」と即答したそうです。
    江戸の長屋の大家さんは、店子の管理者、監視役的な立場だったそうで、その仕事は激務だったそうです。一方、店子はお気楽で手厚く保護されていたとの理由だったと記憶しています。
    具体的な事は、はっきり覚えていませんが…汗

  9. 今のは、市街地調整区域という田畠を宅地として売る事能わずて法律(実は色々例外あり)
    田舎では結構な足枷ですぜ😢

  10. 江戸の特徴は、広大な敷地を持つ武家地が広がりそこに多くの武士、特に単身赴任の武士がたくさん住んでいたこと。彼らは、防火の観点から「自炊」を禁じられていた。
    当然、彼らの食事はすべて外食で、このため江戸の各地に多数の飲食店ができることになった。現代の東京にも各地に繁華街があり、数多くの飲食店がある。繁華街が各地に散在しているのは東京の特徴。
    また多数の武士や町人が一度に昼飯を食べに来るため、短時間で多数の食事が提供できるよう「定食」が生まれた。
    単身赴任の武士の楽しみは、酒を飲みながら食事をすること、これを提供するのが「居酒屋」。酒屋で酒を買い、そこで飲んでしまうという「居酒」がまず始まり、そこでご飯も提供するようになったもの。江戸に始まる文化は結構現代にも残っている。

  11. 今の山手線沿線に寺が多いことから、当時は山手線沿線から内側が江戸の町で、それより外側は田園風景の農民が住む場所って、はるか昔に聞いた気がする…
    田畑永代売買禁止令って遠い昔に学んで以来聞いた言葉…なんか懐かしい響きでした。

  12. 見附の内側ってどれくらいの広さなのでしょう?
    赤坂見附しか知らないのですが、他にも⭕️⭕️見附ってあったのでしょうね。

  13. 田舎住まいの自分は一軒家の持ち家派で近所も皆一軒家の持ち家
    玄関先で井戸端会議や雨降ってたら洗濯物濡れるよ〜と教えてくれたりしてます
    東京の下町も数十年前まではそんな感じでしたが、今はどうなんでしょう
    賃貸でも持ち家でも人間関係が希薄になっているのは何とも寂しいと思ってしまいます

  14. そーいえば、討ち入りの前に吉良上野介も引越しさせられてましたねー。さて、鳥山検校の家、土地はお上の没収だったのかしら?

  15. 祖母の家の土地は借地なんですが、賃料は未だに盆暮れの年2回です。そして賃料は「年貢」って呼ばれています。

  16. 時代劇では大きな商家や武家屋敷、庶民は一間だけの長屋ばかりですが、もう少し大きな長屋もあったのでしょうか?4畳半が二つに台所のようなファミリー物件のようなものはあったのでしょうか?
    それとも基本的に一部屋だけで、家族(子ども)が増えると続きの2軒を借りたりしたのでしょうか?

  17. 墨引、朱引
    現在の感覚では、墨引=山手線の内側、朱引=23区って感じ?
    朱引はそんな広くないか?
    荒川の東側と、練馬、杉並、中野、世田谷、大田を入れたら、代々の江戸っ子にヘソを曲げられるかな?

  18. 当時の江戸の場所柄、風情などは池波正太郎氏の小説でなんとなく想像してました。
    郊外は田園風景や池や沼などの描写が多かった印象です。

  19. 落語大好き人間なので、お江戸の大河ドラマ、キリュウさんのお江戸の解説重宝しています。落語にも「大家と言えば親も同様、店子と言えば子も同様」という啖呵が落語によく出てくるのも、江戸の住宅状況が絡んでいることがよくわかりました。

  20. 先日放送された小芝風花さん主演BS時代劇「あきない世傳(せいでん) 金と銀2」でも土地店舗売買の話がありました。そちらでは手付金を払った買い手の権利がかなり強そうでした。

  21. 住んでいる所は賃貸ですが、すぐ近くに主人の実家が持ち家の店舗付き住宅があり、そちらが本籍になります(義母が住んでいる)
    引越しは荷物が多過ぎて😅する気になりません😹
    が、給湯器や換気扇が壊れても賃貸はタダ、固定資産税もなし(というかしっかり家賃に含まれているんでしょうが)は助かります
    賃貸派、持ち家派、どちらもメリット•デメリットありますよね

    遠距離でしょうがお三人さん揃って解説している動画も見てみたいです❤
    ラットさんの娘さんのポップアップストア?の時のライブ配信は幻になったのでしょうか?
    メンシプでは配信されたのかな😁

  22. なるほど〜🤔の多い解説、毎回為になります
    色んな背景を知ってから時代劇を観たり時代小説を読むと楽しみも倍増です👍

  23. 別の大河ドラマの解説動画で、大文字屋さんの一件は、津村正恭という方の随筆「譚海」に載っているとお話されていました。秋田藩につながり有ったので、平沢様から聞いた可能性も有るのではないかととおしゃっていました。

  24. 今回も解説ありがとうございます。
    私は賃貸暮らしですが持てるのなら持ち家欲しい派ですね、宝くじに期待ですw
    四民の外(下?)については、かぼちゃの旦那のWikipediaに民俗学者中山太郎の『売笑三千年史』を出典として、ドラマの通りの訴訟が発生し、やはりドラマの通りに棄却された旨の記述が有りました。同書(その参考文献)の史料的信頼性は不明ですが、そのような逸話が残る程の差別意識は有ったのでしょうね。むしろ制度化されず「社会の空気」だけが有る事で、その時々の都合で四民の内にも外にもされてしまったのではないかと、愚考する次第です。
    釈迦に説法かとは存じますが、言上仕ります(平伏)

  25. 土地とか話がメインだったので
    長屋暮らしを詳しく聴いてみたい
    二階のある裏長屋もあったとか

  26. 二十歳までに14回引越ししました。母親はよくやったなと感心しますが、本人は畑付きの田舎暮らしがしたかったみたいです。江戸の長屋暮らしは近所のお節介がうるさそうで嫌ですね。きりゅうさんのお隣に住んで、猫でも抱きながら、蘊蓄話を聞きたいです。楽しいだろうなあ。

  27. 神田は住民の意識が特別なのかもしれません。
    総武線を通す時も大反対したそうです。
    だから神田周辺は、総武線が高架になっています。
    秋葉原駅って、乗り換えの時に、上下移動が半端ないです。
    あれって、エスカレーターが無い時代からずっとだそうです。
    エレベーターは貨物専用で乗客は利用できないから、
    秋葉原駅を利用する客は、階段百段上り下りしたそうですよ。

    神田と日本橋の住民は、頑固でプライド高くて、駄目なもんは駄目って感じみたいです。

  28. 賃貸派!!
    裏長屋といえば落語の主人公ですねー。
    裏長屋というのはドラマで平賀源内さんが住んでいるところをイメージすればいいでしょうか?

  29. 限界ニュータウン探訪記の吉川さんの動画からこの動画にたどり着きました。

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