2003年(平15)の大みそかの夜、日本中の視線が元横綱の曙とK-1ファイターのボブ・サップの一騎打ちに注がれました。曙が1回失神KO負けした瞬間最高視聴率は43%。あのNHK紅白歌合戦を上回りました。この社会現象の仕掛け人がK-1の運営会社FEGの代表取締役だった谷川貞治イベントプロデューサー(63)。選手発掘からマッチメーク、テレビ解説までこなして、平成の格闘技ブームをけん引しました。ところが12年にFEGは突然、破産して歴史に幕を下ろします。絶頂を極めたK-1はなぜ消滅したのか。そして、谷川氏は厳しい現実とどう向き合い、どん底から立ち上がったのか。現在もプロデューサーとして新時代の格闘技を模索している谷川氏に聞きました。3回連載の上編は「衰退への分岐点」です。
バトル2025.06.17 11:00
◆谷川貞治(たにかわ・さだはる)1961年(昭36)9月27日、愛知・名古屋市生まれ。日大法学部卒業後、ベースボールマガジン社入社。91年に『格闘技通信』編集長。K-1のマッチメークなどにも携わる。96年に退社してCS放送の編成局長などを経て、03年にK-1イベントプロデューサー(EP)、同時にK-1運営会社FEG代表取締役に就任。12年にK-1のEP辞任。学生時代は中、高とハンドボール部、大学時代はアメリカンフットボール部に所属した。
冷静に振り返ると、異常な時代だった。
2003年大みそかの夜、民放テレビ3局が競って格闘技イベントを地上派で中継した。平均視聴率の合計は36・8%。実に日本の3分の1以上の世帯が、お茶の間で殴り合いを見ながら年を越したのである。
視聴率戦争に圧勝したのがTBSの「K-1 Dynamite!!」(ナゴヤドーム)。メインイベントでボブ・サップが曙を1回KOした23時2分、瞬間最高視聴率は43%に達し、NHK紅白歌合戦を7・5%も上回ったのだ。
わずか4分間とはいえ裏番組が紅白を上回るのは初めて。平均視聴率19・5%も裏番組としては過去最高だった。
仕掛け人は長年K-1でマッチメークを手がけ、この年の1月にK-1イベントプロデューサーに就任した谷川貞治氏。大相撲の元横綱の曙を口説いて格闘家に転向させて、三つどもえの格闘技戦争に圧勝した。
格闘技ブームがまさに爆発したK-1の絶頂期。ところが谷川氏は今、この03年の興行戦争が、衰退へと向かう分岐点だったと振り返る。
谷川選手の引き抜きでK-1とPRIDEがケンカをして、ファイトマネーがみるみる高騰しました。(K-1と契約していた)ミルコ(クロコップ)が、(PRIDE)にポーンと高額条件を提示されて行ってしまった。K-1で1000万円払っていたミルコが、PRIDEに行って3000万円。僕は行くヤツは行けという考えだったけど、やっぱり「PRIDEがそれだけ払っているんだったら」と報酬を上げざるを得なくなるじゃないですか。テレビ局からも「(ピーター)アーツや(ジェロムレ)バンナを取られたらどうするの」とプレッシャーがありましたから、アーツに2000万円は出せないけど1500万円は出すからという話をしたり。数百万円だった選手たちのファイトマネーが数千万円にはね上がりました。そこからどんどん無理をするようになりました。
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1965年、大分市生まれ。
88年入社。ボクシング、プロレス、夏冬五輪、テニス、F1、サッカー、K-1など幅広いスポーツを取材。アントニオ猪木、マイク・タイソン、有森裕子、高橋尚子、岡田武史、フィリップ・トルシエらを番記者として担当する。
五輪は92年アルベールビル冬季大会、96年アトランタ大会を現地取材。08年北京大会、12年ロンドン大会は統括デスク。21年東京大会は五輪・パラリンピック担当委員。サッカーは現場キャップとして98年W杯フランス大会、02年同日韓大会を取材。
23年1月に退社してフリーに。現在は日刊スポーツの契約ライターのほかNPO法人スポーツネットワークジャパン企画編集委員、東日本ボクシング協会の評議員などを務める