「ハリー・ポッター」は出版を断られていた
メタルフレームの丸メガネ。額にある稲妻型の傷。この2文だけで、誰のことか、何のことなのかわかるだろう。
あなたがたとえ「ちょっと好き」程度のファンだったとしても、あの心をとりこにするテーマ曲が頭のなかで流れるかもしれない。あの本のカバーや、最初のシーンを思い浮かべるかもしれない。魔法や魔術、そして想像力を刺激するあらゆるものが脳裏に浮かぶのではないだろうか。
本を開いたり画面のスイッチを入れたりすれば、また、テーマパークや店舗、英国各地の映画のロケ地を訪れれば、この魔法の世界の一員となれる。幻想的な世界が、読者を、観客を、そしてゲームユーザーを待ち受けている――子どもから大人まで、すべての人たちを。
だが、この魔法の世界は、もう少しのところで日の目を見ることなく終わるところだった。『ハリー・ポッターと賢者の石』(静山社)は、最終的にロンドンにあるブルームズベリー社から出版される前に、12社以上の出版社から断られていた。
理由は「話が長い」「全寮制は身近ではない」
この傑作がこれほど断られつづけたのはなぜか。著者であるJ・K・ローリングの最初の著作権エージェントだったクリストファー・リトルによれば、理由はたくさんあるという。
たとえば、この物語はとても長かったし、舞台である全寮制の学校というのは多くの読者にとって、身近に感じられる場所ではないだろうと思われた。リトルは言う。「1年近くものあいだ、この物語は、イギリスのほとんどすべての大手出版社に断られつづけました」
この物語は最終的に、ブルームズベリー社の会長の机にたどりついた。彼はその物語の最初の章を、信頼のおける読み手に託した。8歳の娘、アリスだ。腰かけて最初の章を読みはじめると、彼女は物語に入り込み、離れられなくなった。アリスは読み終わると、父親に続きをねだった。
ブルームズベリー社はこの本を出版することを決めたが、それでもまだ、1997年に『ハリー・ポッター』が世に出た時点ではそのポテンシャルには気づいていなかった。ローリングを担当した編集者、バリー・カニンガムが、児童書の執筆では生活していけないだろうから何かパートタイムの仕事をしたほうがいいと勧めたほどだった。一言で言うならば、カニンガムは間違っていたということだ。