「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」Ⓒ2024 House of Lead Belly


「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」Ⓒ2024 House of Lead Belly

 日本でもフォーク音楽好きが集まれば大合唱になる「グッドナイト・アイリーン」は、1950年のウィーバーズの全米ナンバーワンヒットでもあるが、元々は戦前に活躍した黒人歌手でギタリスト、レッド・ベリーの曲である。

 ロックバンド、CCR(クリーデンス・クリアウオーター・リバイバル)版がよく知られた「ミッドナイト・スペシャル」や「コットン・フィールズ」も彼の曲だ。




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 映画「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」は、レッド・ベリーの生涯とその音楽を過不足なく語るドキュメンタリー。

 彼はアメリカ音楽の巨人のひとりであり、その後の世代に大きな影響を与えた。映画の冒頭にも、ジョージ・ハリスンの「レッド・ベリーがいなかったら、ビートルズもなかった」という発言が引用される。











「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」Ⓒ2024 House of Lead Belly


「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」Ⓒ2024 House of Lead Belly


音楽伝統が共存した南部を体現

 レッド・ベリーはブルーズ歌手とも紹介されるが、幅広い種類の曲を歌う「ソングスター」と呼ばれる歌手だった。ブルーズだけでなく、黒人白人両方の伝統からのバラッド(物語歌)、ゴスペルや賛美歌、労働歌、子供の遊び歌、同時代の流行歌など、お客さんの喜ぶ曲なら何でもレパートリーに取り入れた。

 彼はレコード産業の成立が音楽にジャンル分けをもたらす以前の、さまざまな音楽伝統が共存していた時代の南部を体現する存在でもあったのだ。







 その人生はまさに波瀾(はらん)万丈。1888年にルイジアナ州で小作人の息子として生まれ、綿摘みの仕事をしながら、10代半ばまでには、12弦ギターの鮮やかな演奏と力強い歌声を聞かせる歌手として、地元で人気者になっていた。





「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」Ⓒ2024 House of Lead Belly


「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」Ⓒ2024 House of Lead Belly


「芸は身を助ける」歌の力で窮地脱する

 当然女性にもてて、男たちの嫉妬を買い、しばしばもめ事に巻き込まれ、殺人と暴行で3度も刑務所に入る。その罪状では極悪人に思えるが、暴力が生活の一部だった開拓時代の名残がまだある社会だったし、殺人罪は正当防衛だったともいう。







 そもそも当時の南部で黒人が公平に裁かれることはむずかしかった。それでも、「芸は身を助ける」で、その歌の力で2度も知事から恩赦を受けた。釈放に力を貸したのは、民俗音楽学者のジョン&アラン・ローマックス親子で、全米各地のさまざまな音楽を国会図書館のために録音していた彼らには、幅広いレパートリーを持つ歌手はまさに求めていた人材だった。





「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」Ⓒ2024 House of Lead Belly


「ロックの礎を築いた男 レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点」Ⓒ2024 House of Lead Belly


30年代米国 つきまとった人種差別

 1934年に自由の身となったレッド・ベリーは、ジョン・ローマックスとマネジメント契約するが、歌手活動と並行して「ボス」の運転手、料理人、アシスタントとしても働いた。この映画にはその関係を映し出す映像も出てくるが、まるで召使のように仕えている姿に驚かされる。

 また、そのボスは彼に囚人服を着させるなど、南部の黒人に対するステレオタイプなイメージを利用することもあった。民俗音楽の価値を認めて研究していた功労者のローマックスですら、そんな理不尽な行動をとっていたところに、まだ激しい差別のあった30年代のアメリカの実情と人種問題の複雑さを思い知らされる。

 その後、レッド・ベリーはニューヨークに移住し、その街のフォーク音楽界の一員となり、ピート・シーガーやウディ・ガスリーらと交友を深めた。アーティストとしての真価がやっと認められたわけだが、40年代後半に筋萎縮性側索硬化症(ルー・ゲーリッグ病)と判明し、49年12月6日に61歳で亡くなった。


フォークの教科書に

 彼の残した大量の録音は、この映画にも登場するジョーン・バエズやボブ・ディランらに大きな影響を与え、50年代末に花開くフォークブームの教科書ともなった。英国ではロニー・ドネガンが「ロック・アイランド・ライン」の大ヒットで、スキッフルブームを巻き起こす。

 若者はこぞってギターと日用品を改造した楽器でバンドを組んでレッド・ベリーの曲を歌ったが、そのなかにはビートルズやエリック・クラプトンら、英国ロックの第1世代となる面々がいた。確かにレッド・ベリーは「ロックの礎」を築いたのである。(五十嵐正)


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