「ヌーヴェル・ヴァーグ」は1950年代末にフランスで巻き起こった映画運動のことで、この運動は映画製作に革命をもたらした。今回紹介する書籍「ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命」は、映画好きはもちろん、映画にあまり詳しくない人にもヌーヴェル・ヴァーグ運動をわかりやすく教えてくれる1冊だ。
●「新しい波」ヌーヴェル・ヴァーグの始まり
ヌーヴェル・ヴァーグ(以下N・Vと表記)とは、フランス語で「新しい波」を意味する。元々この言葉は映画のみに使われたものではなく、フランスにおける「戦後の新時代」程度の一般的な使い方をされていた。それが徐々に映画の分野で使われるようになり、ついにはメディアや映画祭を通じて、フランス映画の新しい動きを示す言葉として定着。フランス語のまま海外へと広がっていったという。
映画の分野におけるN・Vを語るにあたり、フランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』を避けては通れない。N・Vの旗手となったのが、「カイエ」に寄稿していた若き作家たちだった。日替わりで大量の映画を見て、当時のフランスで主流とされた映画に不満を募らせていた彼らは、自らが映画監督となって自身の理想とする映画を生み出した。
N・Vを代表する作品である『勝手にしやがれ』を撮ったジャン=リュック・ゴダール、『大人は判ってくれない』のフランソワ・トリュフォーなどが、いわゆる「カイエ派」のメンバーだ。他にも『夜と霧』のアラン・レネや、『ラ・ジュテ』のクリス・マルケルなど、ドキュメンタリー作りから映画製作にかじを切った「左岸派」と呼ばれる作家たちも、N・V監督の一員として知られている。
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●ヌーヴェル・ヴァーグがもたらした映画技術の変化
「カイエ派」「左岸派」などといって分けられているが、N・Vの監督たちが重視したものは変わらない。彼らは既存の映画手法を見直し、より自由な映画作りに心血を注いだ。その結果、映画技術は大きく変化する。N・Vがもたらした変化について知るには、ミシェル・マリが挙げたN・Vの美学が最もわかりやすい。
(一)作家=監督が脚本家を兼ねる
(二)事前に決められたショット構成を用いず、即興に大きな余地を残す
(三)ロケが特権化され、スタジオ(撮影所)に依存しない
(四)数人からなる「機動性のある」撮影チームが用いられる
(五)後時録音よりは撮影時に録音する直接音
(六)過剰な追加照明は用いない。感度の高いフィルムを使用
(七)非職業俳優が用いられる
(八)職業俳優の場合は新人俳優を用いる
(※注)
N・V以前の映画では、プロの俳優を用いて撮影はスタジオでおこない、セリフや効果音は後から追加する後時録音が主流だったそうだ。従来のフランス映画は、徹底して“作られた”ものだったということがわかるだろう。一方、N・V映画では、リアリティを強調するためにロケで撮影し、同時録音や即興的な演出が好まれている。
今考えると、この方法は、「低予算映画」ともほぼ結びつく。特に撮影・録音機材がコンパクトで安価な現代では、これらは例えば学生が映画を作るときの条件に近い。
(※注)
N・Vの美学は現代では珍しくないが、当時は画期的だった。N・V運動がなければ、現代では当たり前のように見られる低予算映画や、自由で作家性の強い映画は生まれてこなかったかもしれない。
●ヌーヴェル・ヴァーグの影響を受けた日本人監督たち
日本人監督たちの中にもN・Vの影響を受けた人たちがいる。ただし著者いわく、フランスに比べて日本の監督たちのほうが明らかに政治性が強く、体制への反抗や虚無感を濃厚に表していたという。特にそれが顕著だったのが、『戦場のメリークリスマス』などで知られる大島渚だった。
大島は自身の作品に手持ちカメラでの撮影や長回し、ロングショットなどを取り入れ、わずか半年の間に3本の話題作を公開。その中の1つである『日本の夜と霧』は旧世代を糾弾する、日本映画史の中でも異様な作品だ。
一方、同時期に活躍した篠田正浩は政治的な作品を撮ったものの、大島ほど社会に反抗的ではなかった。同じN・Vの影響を受けながらも、自分の作品への反映のさせ方は人それぞれ異なる点が興味深い。
知れば知るほど映画の見方が変わって勉強になるヌーヴェル・ヴァーグの世界。ただ物語を楽しむのではなく、映画製作の背景や歴史にも触れてみたいという人は、ぜひ本書を手にとってみてはいかがだろうか。
注) 古賀太「ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命」より引用