まずひと言、
というか、長くなるけれど文句を言わせてほしい。
そうでなければこの映画を僕は語れないからだ。
松本市は ”ストリップダンサー“ は禁止みたいです。映画芸術への理解は まったく有りません
松本のシネコン、
「アノーラ」。一週間と少しで打ち切りでした。
ドン引きです。
映画文化がお粗末な長野県の中部地方。
今回はアノーラへのレビューではなく、「アノーラ」を侮辱した長野県人の、「特に松本市の映画館」について、糾弾の思いを先に記しておきたいですね。
松本市内の大きなシネコン。
「アノーラ」を上映した唯一の映画館でした。
アカデミー作品賞を受賞したというこの「アノーラ」を観るべく、封切り後まもなくの土曜日に、そのシネコンのサイトと、映画ドットコムを開いてみたら
すでに終わっていた。・・マジ!?(汗)
たった10日間の上映って有りなんですか?
目を疑いませんか?
アカデミー作品賞ですよ。
金土のウイークエンドならいざ知らず
週日すべて、月曜日から木曜日までも、上映の全てが、
上映時間は深夜の10:00から〜日付が変わる0時過ぎまでの、一日一回限り。
一週間通してこの時間でした。
いったい誰が行けます この時間?
誰かに観せるつもりがありますか、この映画。
松本の地にはこの「R18のストリップ映画」はふさわしくないという映画館の判断でしょうかね。
(そのシネコンでは教育映画「教皇選挙」はもう2カ月も、延々と上映をかけているのにです)。
映画ドット・コムの封切り情報は重宝しているけれど
「―長野県では上映はありません―」
この字幕には、自分の街でありながら今回どれだけがっかりしたことだろう。
まだ言いたい、この街、
「娯楽は罪」の精神風土が歴然としてあるのだ。
江戸〜明治以来、県民性に染みついているこの長野県、特に中信=松本市が本当にイヤになった顛末だ。
厳寒の冬。雪と山に閉ざされる信州。
長い冬は囲炉裏端で小難しい哲学を語り合うしかなかったここ信州において、縄文以来、必死に働いて夏の間に米と漬物を備蓄し、冬を耐えるしかなかった土地柄。田畑に這いつくばって働く者だけが生き残れた土地。
自己主張は激しいが、人の話は聞かない。クソ真面目な、面白みのない人種が生成されるのも、風土上、仕方なかったとは思うが、
「おらが教育は明治政府のお上なんぞには任せられない。おらたちでやるだ」と
自力で開智小学校(国宝)を建てたのはこの県民性の偏狭なプライドと融通の効かなさゆえだと感じている。
仕事場の上司が「笑いは要らない」と本気で言い放ち、業務以外の無駄話を禁じたのも成る程ねと思う土地柄。
かつて市内唯一存在していたストリップ劇場「人生劇場」でさえ、終演が0時だった。(開場が0時なのではなく、終演が0時って事) 。これ驚愕だろ?
なんという健康文化都市か。
ご近所さんからは
「子供を連れて町内の公園で遊んでいるのを人に見られないようにしたほうがいいわよ」と言われた僕。
遊ぶ事は恥、働いていない事は堕落、享楽は罪。
勤勉でない人間に生きる価値なしと、冗談のような厳しい社会的裁きと、軽蔑の目が注がれる ―
これが松本なのです。ユニークだけどね。
「アノーラ」は、だからこの町から駆逐放逐されたんだろうなー
ファッキン松本!💢
ここまで我が町松本への罵詈雑言、
怒りにまかせて言わしてもらいました。
【以下、レビュー】
・・・・・・・・・・・・・
好きだ、この作品。
「フロリダ・プロジェクト」を撮ったその人=
紛れもないショーン・ベイカー監督が見つめる、世の片隅に生きる人々のための人間模様だった。
「愛のようなもの」にすがりつく人間の哀しい性に、後半の中途からもう涙が流れた。
そして少しでも本物の愛に近づきたいと願うアノーラの、叫びと猿ぐつわの拘束の中で、大暴れで、僕らに向って叩きつけられるその心底からの訴えに
もう震えるしかなかったんてす。
「教皇選挙」をアカデミー賞で蹴落として打ち破ったのは納得です。
だって、
アノーラが求めた物のほうに、圧倒的に優先性が会ったから。
・・・・・・・・・・・・・
ユーリ・ボリゾフ見たさに
そして「フロリダ・プロジェクト」のショーン・ベイカー監督推しで鑑賞。
ファッキン映画館でやっていないから
Amazonプライムで 1500円。
しかしムカつく、
ファッキン松本。アスホール松本のシネコン。
でも本作、
3つの映画が有機的に寄り添って結び合っているのだよねぇ ―
男気のイーゴリ、ここにあり だ。
「アニー」の藻掻きと、
「フロリダ・プロジェクト」の哀切と
「コンパートメント6」の優しさを
イーゴリ役のユーリ・ボリゾフとショーン・ベイカーが今作で、人肌で結んでくれて、
このファッキン・ワールドにも
ファッキンLOVEがまだまだあるんだぜぃ!と教えてくれた。
僕は本当に嬉しい。
「フロリダ・プロジェクト」のあの幼女ムーニーが、あのあとでどうなっていったのか、
あの子の成長が僕はずっと気になって仕方なかったのだ。
監督がムーニーたちのために、そして
アニーたちのために、
ウィリアム・デフォーとか
ユーリ・ボリゾフとか
《天使》を登場させてくれた優しさが、
僕は本当に本当に嬉しかったのだ。
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