そして、次のように嘆く。米国政府は「かつて原爆やインターネットを生み出したような大規模なブレークスルーを追求する野心を失ってしまった」。シリコンバレーは「自己中心的になり、狭い範囲の消費者向け製品にばかりエネルギーを注ぎ」、より重要な社会的責任を放棄している。
そのうえでこう提案する。「わたしたちの目の前に差し迫る重大な課題に対応できるテクノロジーと人工知能(AI)」を築くためには、いまこそ団結し倍の努力をしなければならない。なかでもとくに重要な課題は、AIで力をつけた中国・ロシア・イラン勢力がもたらす脅威である。だが、真の敵はすでに国内にいる。いまの西洋社会は方向性を失い、軟弱になってしまった。
この本の主張は、新右派の思想家の多くに共通する「ポスト・リベラリズム」的視点と重なっている──「何がよい人生をつくるのか、社会が目指すべき集団的な目標とは何か、集団としての国民的アイデンティティは何を可能にするか、といった重要だが答えを出しづらい問題は、時代錯誤のものとして脇に追いやられてしまっている」という考えだ。
そしてこの本もまた、「去年の10月」という古い時代の産物である。政府とシリコンバレーが支え合うというその理想は、いまや時代遅れでのんきな幻想のように思えるほどだ。
当時カープはジョー・バイデンとカマラ・ハリスの選挙活動を支持しており、本書は明らかに民主党が勝利する前提で現状に対する提言を意図して書かれている。そこで描かれるのは政府のない世界ではなく、より積極的に機能する政府の存在だ。
カープの政治的立場には、いまや冷戦期のリベラリズムと呼ばれ批判されがちな思想の再興を試みる意図が伺える。その思想とは、われわれは自由と快適な暮らしを求めてふたつの戦線で戦ったのだ──つまり、国内における平等の追求は国外における共産主義との闘いと結びついている、という考えである。
他国の攻撃に対する抑止および国内産業の進歩という両面で成果を上げた原子力開発プログラムをカープはモデルとして考え、AI技術も同じく双方の目的のもと活用すべきだと主張する。AIが関わる軍拡競争は、かつての核開発競争と同様、世界の勢力図を再編する可能性がある。中国に先手を取られることは非常に危険だ。
国家を裏切ったシリコンバレー
この種の未来予言、特にそれが結果に利害関係をもつ人々によるものである場合、その内容を信用できない理由はいくつもある。さらに軍拡競争というものは根拠のない予測にとどまらず、自己成就的な予言になるかもしれない。
一方、この本がAIの現状について語る見解は議論の余地が少なく、的を射た内容だ。AI開発の驚異的なスピードに目を向けると、米国の技術力がいかに価値あることに使われていないかが浮き彫りになる。わたしたちはスタートアップに対し、広告技術の向上やくだらない農場ゲーム、20代の都会人向けの贅沢なおもちゃよりも、もっと優れたものを期待すべきだ。
問題は、なぜこんな状況になったのか、ということだ。カープの仲間の多くは、シリコンバレーから面白いことをする能力を奪ったのは政府の規制だと非難している。カープにも米国政府の官僚主義に対していら立ちはあるが、『The Technological Republic』の主な批判対象は、シリコンバレーを裏切った国家ではない。
この本がより説得力と独自性をもって伝えるのはむしろ、シリコンバレーが国家を裏切ってきた物語だ。社員は甘やかされ、投資家は臆病者、業界の大物たちはただの店長や店員が有力者の皮を被っているにすぎない。エンジニアも経営者も、もはやロケットや偵察機への情熱を失ってしまった。
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